水虎十二品之図 ― 江戸時代の河童図 ―

水虎十二品之図(すいこじゅうにひんのず)とは、江戸後期に制作された河童図のこと。
図中には12体の河童が描かれており、図に関する説明も加えられている。
基本情報
水虎十二品之図とは?
『水虎十二品之図』は、江戸時代後期の紀伊藩医・坂本浩雪と弟の摂津高槻藩医・坂本純沢が編纂した水虎(河童)の図会である。江戸後期の制作とされており、浩雪が水虎図を鑑定、純沢が縮図し、35×51cmの一枚物の資料となっている。
図中には9種12体の水虎図と、それぞれの姿や性質に関する説明が収録されている。その内容は『水虎考略』に多少の増補を加えた資料から12図を転写したものであり、各地で伝えられた水虎の姿や習性、目撃・捕獲にまつわる記録とともに、中国古典に記された水怪との比較も行っている。
水虎十二品之図の序文
『水虎十二品之図』には、以下のような序文が付されている。
考えてみると、川には二つに分けられる水怪がいて、不可思議なことをするものが数種類ある。関東では河童(かわたろう)と呼んでいるが、その数は非常に少なく、人に害を及ぼすこともまた少ない。豊後地方では非常に多く生息し、人を害することも多い。その姿は、すなわち図に示したとおりである。
中国の書籍などにもそのことはすでに記載されており、これらを水虎と呼ぶ名がある。本邦の漢籍の附録にも記載されている。しかし、いずれの説も詳しいことは明らかではない。中国では木客(やまわろ)や山操などの名があり、すなわちこれらも水虎に属するものである。
『幽冥録』
中国の書籍などにもそのことはすでに記載されており、これらを水虎と呼ぶ名がある。本邦の漢籍の附録にも記載されている。しかし、いずれの説も詳しいことは明らかではない。中国では木客(やまわろ)や山操などの名があり、すなわちこれらも水虎に属するものである。
『幽冥録』
水虎十二品之図の水虎図
水虎十二品之図の水虎図9種と説明は以下の通り。
水虎図1

豊後・筑後(現在の大分県・福岡県)の地方に生息するものは、人間や子供に似た姿をしている。体は小さく、細く長い毛が生えている。人を捕らえて相撲を取ることを好むとされ、何らかの妖術を身につけた化物の類であると考えられている。
水虎図2

この水虎の図は、越後国新潟に生息するものだという。寛政6年(1794年)の秋、興津氏猿中が写生して記録したものである。
水虎図3

その類の中でも、長く生きたものほど力が強く、人家に入り込んでは婦人や男性の姿に化け、人を惑わすという。その誘惑に乗って交わった者は、河童になってしまうとされる。
水虎図4

大きさは七寸(約21センチ)で、手足の指は五本ずつある。顔は猿に似ており、全身に細かな毛が生えている。
水虎図5

『説文解字』には、魍魎は山川の精気が変化したものだとある。『淮南子』には、魍魎は三歳ほどの子供のような姿で、赤黒い色をしており、目は赤く、耳は長く、髪は美しいと記されている。
なお、「魍」の字音は「巫紡切」で「もう」、「魎」は「南」の音に通じて「りょう」と読む。徐鉉は、俗に「魎魎」と書くとしている。
水虎図6

寛永年間(1624~1644年)、豊後国の肥田という場所で捕らえられた水虎である。人の生臭さを非常に好み、頭上の凹みは干し貝のように深く、一斗もの水が入るほどだったという。
水虎図7

享和元年(1801年)6月、秋田の水戸東浜の西側で網にかかった「うつろ童子」である。大きさは三尺数寸余りで、指は二本ある。姿は図のとおりである。
水虎図8

水虎のミイラの図である。長さは二尺余り(約60センチ)で、菅原大明神(菅原道真)の宝物とされる。水虎の害を避けるため、菅丞相(菅原道真)の和歌が添えられているという。和歌については「万人の約に出せし印彦」と記される。小川立男氏は『左原伝』に記されていると伝えている。
水虎図9

明和年間(1764~1772年)、本庄の新竹屋に怪しい者として現れ、そこで雇われたという。殺そうとしたところ、両脚が長いことに驚いて助けた。主人から詳しい報告を受けた権元が急いで駆けつけて調べたところ、これは水虎(河伯)であるとわかった。手元にあった図と見比べても、少しも違いがなかったという。大田澄元が生きたまま飼育したこともあったと伝えられている。
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