九千坊【キュウセンボウ / クセンボウ】
珍奇ノート:九千坊 ― 熊本県八代市に伝わる伝説の河童 ―

九千坊とは、熊本県八代市に伝わる伝説の河童のこと。

中国から渡来した九千匹の河童の頭領で、加藤清正に討伐されたと伝えられている。


基本情報


概要


九千坊は、肥後国八代郡(現・熊本県八代市)に伝わる伝説の河童である。

八代市に伝わる伝承によれば、仁徳天皇の御代に中国の黄河にいた河童が一族郎党を引き連れて八代へ渡来し、球磨川に住み着くようになったという。その河童の数は九千匹におよび、その頭領は「九千坊」と呼ばれたとされる。この河童たちは、八代の人々に害を及ぼすようになったため、これを知った加藤清正は九州中の猿を集めて河童を攻めさせたという。猿との戦いに敗れた河童たちは降伏し、その後、久留米の有馬氏の許しを得て筑後川へ移り住み、水天宮の使いを務めるようになったと伝えられている。

なお、八代市には九千坊伝承に関連する文化も残されており、前川付近には「河童渡来之碑」も置かれている。また、当地で毎年6月18日に行われる子供の水難防止を願う祭り「オレオレデーライタ川祭り」も河童伝承に由来するとされている。ちなみに「オレオレデーライタ」という言葉は「呉人呉人的来多(オレジンオレテキライタ)」から転化した言葉であり、河童が中国の呉から渡来したことを示すとする説もある。

『本朝俗諺志』における九千坊伝承
九千坊伝承の根拠を示す文献として江戸時代の地誌『本朝俗諺志(1746年)』が挙げられることが多い。この文献の二巻「肥後の河童」には以下のように記されている。

肥後国の隈本から八代の間には河童が多く、たびたび人に害を及ぼしていた。

加藤清正がこの国の主であった時、川遊びをしていた児小姓(主君に仕える小姓)の一人が河童に水中へ引き込まれて命を落としてしまった。そのため、清正は国中の河童を一匹残らず滅ぼそうと考え、四方に網を張らせて河童を捕らえるそばから次々と射殺させた。

さらに諸々の川には「さるか」という毒のある木を流し、数万個の石を焼いて釜ヶ淵へ投げ入れた。また、多くの猿を集めて川の上流と下流に配置し、河童に逃げる隙を与えないようにした。そして、総力を尽くして攻撃する際には淵に石を投げ入れて水を濁らせ、猿たちにも河童を引き出すために力を尽くさせた。こうして、力の限り抵抗した河童たちも、猿に出会うと悉く沈められていった。

それでも河童の勢いは強かったが、威勢盛んな清正が激しく攻め続けたため、ついにすべての河童は降伏することになった。この九千匹の河童の群れは「九千坊」と名付けられ、大きな淵に封じ込められた。清正は多くの僧侶を集めると、河童たちは嘆き悲しんで許しを乞うたため、再び国中に住むことを許す代わりに「これから永く人々に害を加えない」という誓いを書かせた。

それ以来、水難は起こらなくなったが、後の世では誰がその誓いを守ったのか分からなくなったという。

これは『本朝俗諺志』の原文に沿った意訳になるが、同書では九千坊という名称が「九千匹の河童の群れ」を指すものとして記されており、八代市などで伝わる「河童一族の頭領」としての九千坊とは描かれ方が異なっている。そのため、九千坊伝承には複数の説話や解釈が存在するものと思われる。

データ


種 別 妖怪、UMA、伝説の生物
資 料 民間伝承、『本朝俗諺志』ほか
伝承地 熊本県八代市
年 代 仁徳天皇の御代
備 考 類似する説話や解釈が見られる