珍奇ノート:螣蛇の資料



『荀子』勧学篇(紀元前3世紀頃)


原文

螣蛇無足而飛、梧鼠五技而窮。

現代語訳

螣蛇は足がないが空を飛ぶことができ、梧鼠(ムササビの類)は五つの技能(飛ぶ、歩く、泳ぐ、掘る、登る)を持っているが、どれも不完全なために追い詰められて窮する(一つのことに専心する大切さの例え)。

『韓非子』難勢篇(紀元前3世紀頃)


原文

飛龍乘雲、螣蛇遊霧。雲罷霧霽、而龍蛇與螾螘同矣、則失其所乘也。

現代語訳

飛龍は雲に乗り、螣蛇は霧に遊ぶ。雲が消え霧が晴れてしまえば、龍や蛇もミミズやアリと同じになってしまう。これは、自分が乗るべき足場(勢い)を失ったからである。

『爾雅』(紀元前2世紀頃)


原文

螣、螣蛇。

現代語訳

螣(とう)とは、螣蛇(とうだ)のことである。

『淮南子』(紀元前2世紀頃)


主術訓


原文

夫騰蛇遊於霧露、乘於風雲、而能騰大。其所仗者、非不工也。然雲罷霧霽、而與螾螘同幅者、失其所乘也。故騰蛇離霧而露、則為螻蟻所制、失其所乘也。

現代語訳

そもそも騰蛇は霧や露に遊び、風や雲に乗って、天高く上昇することができる。その頼りとする手段は巧みであるが、雲霧が晴れてミミズやアリと同じ場所に落ちるのは、拠り所を失ったからだ。霧から離れて姿を晒せば、小さな虫にさえ制圧されてしまう。

兵略訓


原文

故善用兵者、見其發、而不見其所停止。見其存、而不見其所亡。如騰蛇、見其前、不見其後、見其左、不見其右。

現代語訳

ゆえに兵法に巧みな者は、動き出しは見えても停止する所を見せず、存在は見えても消える所を見せない。それは騰蛇のようであり、前が見えても後ろは見えず、左が見えても右は見えない(ほどに変幻自在である)。

『曹大家集』(1世紀後半〜2世紀初頭)


原文

螣蛇、不乳而生。

現代語訳

螣蛇は、乳を与えずに生まれる(哺乳しない生物である)。

『説文解字』(100年頃)


原文

螣:神蛇也。从虫朕聲。

現代語訳

螣(とう):神なる蛇である。「虫」を意符とし、「朕」を音符とする。

『爾雅注』(3世紀〜4世紀頃)


原文

飛蛇也。能興雲霧、而遊其中。

現代語訳

空を飛ぶ蛇である。自在に雲や霧を発生させることができ、その中を遊泳するように移動する。

『本草綱目』(1596年)


原文

時珍曰、螣蛇、蛇之神者、能飛。案《爾雅》云、螣、螣蛇。郭璞注云、飛蛇也。能興雲霧而遊其中。《荀子》云、螣蛇無足而飛。《淮南子》云、螣蛇遊於霧、而殆於螘、則失其所仗也。時珍曰、按《曹大家集》云、螣蛇、不乳而生。又按《瑞應圖》云、螣蛇、不外交而孕。

現代語訳

李時珍は言う。螣蛇は蛇の神聖なもので飛ぶことができる。『爾雅』や郭璞の注、また『荀子』や『淮南子』の記述(上記参照)の通りである。また『曹大家集』によれば乳によらず生まれ、『瑞應図』によれば外部と交わらずに独りで孕むとされる。

『三才図会』(1609年)


原文

螣蛇、蛇之神者、能飛。爾雅云:螣、螣蛇。郭注云:飛蛇也。能興雲霧而遊其中。荀子云:螣蛇無足而飛。

現代語訳

螣蛇は蛇の中でも霊妙な力を持つもので、空を飛ぶことができる。『爾雅』には「螣とは螣蛇のことである」とあり、郭璞の注では「飛ぶ蛇であり、雲霧を興してその中を遊ぶ」とされる。『荀子』には「螣蛇には足がないが飛ぶ」とある。

『和漢三才図会』(1712年)


原文

本綱能興雲霧、乘之飛游千里、能化龍、有雌雄、不交。陰陽變化論、所謂螣蛇、聽而有孕、白鷺視而有胎、是也。

現代語訳

本綱によれば、螣蛇は雲や霧を興すことができ、これに乗って千里も飛び回ることができる。龍に変化することもあり、雌雄がいても交わらない。

陰陽変化論によれば、これを螣蛇といい、音を聞くだけで妊娠し、白鷺は交わらずに胎を持つのと同じである。