青龍の資料

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『呉子』治兵(紀元前4世紀頃)
原文
治兵:武侯問曰:「三軍進止。豈有道乎?」 起對曰:「無當天竈、無當龍頭。天竈者、大谷之口。龍頭者、大山之端。必左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武、招搖在上、從事於下。將戰之時、審候風所從來。風順致呼而從之、風逆堅陳以待之。」
現代語訳
(軍の運用について)武侯が問うた。「全軍の進退において、守るべき法則はあるか。」 呉起が答えて言った。「(陣を張る際、)天竈(てんそう)に直面してはならず、龍頭(りゅうとう)に直面してもいけません。天竈とは大きな谷の出口のことであり、龍頭とは大きな山の端のことです。必ず(四神の旗を配置し、)左に青龍、右に白虎、前に朱雀、後に玄武を配し、頭上には招揺(北斗七星の第七星)の旗を掲げて、それに基づき下々の軍務を遂行するのです。いざ戦う時には、風の吹いてくる方向を慎重にうかがいます。追い風であれば、勝鬨をあげてこれに乗じて攻め、向かい風であれば、陣を固くして敵を待ち構えるべきです。」
『墨子』貴義(紀元前4世紀〜紀元前3世紀頃)
原文
貴義:子墨子北之齊、遇日者。日者曰:「帝以今日殺黑龍於北方、而先生之色黑、不可以北。」子墨子不聽、遂北、至淄水、不遂而反焉。日者曰:「我謂先生不可以北。」子墨子曰:「南之人不得北、北之人不得南、其色有黑者有白者、何故皆不遂也?且帝以甲乙殺青龍於東方、以丙丁殺赤龍於南方、以庚辛殺白龍於西方、以壬癸殺黑龍於北方、若用子之言、則是禁天下之行者也。是圍心而虛天下也、子之言不可用也。」
現代語訳
(墨子の北行と占い師との対話)「墨子が北の斉の国へ行こうとしたとき、日者(占い師)に出会った。占い師は言った。『天帝は今日、北方で黒龍を殺しました。あなたの顔色は黒いので、北へ行ってはいけません。』墨子はこれを聞き入れず、そのまま北へ向かったが、淄水(しすい)まで来たところで(増水などの事情により)渡ることができずに引き返した。占い師は言った。『だから私は、北へ行ってはいけないと言ったのです。』墨子は答えた。『南の者が北へ行けず、北の者が南へ行けない。その中には顔色が黒い者も白い者もいるが、なぜ皆が渡れなかったのか。そもそも、天帝は甲・乙の日には東方で青龍を殺し、丙・丁の日には南方で赤龍を殺し、庚・辛の日には西方で白龍を殺し、壬・癸の日には北方で黒龍を殺すという。もしあなたの言葉に従うなら、それは天下の歩行者をすべて禁止することになる。それは人々の心を縛り、天下を空虚にするものであり、あなたの言説は到底採用できるものではない。』」
『管子』地員(紀元前4世紀〜紀元前3世紀頃)
原文
地員:墳延者六施、六七四十二尺、而至於泉。陝之芳七施、七七四十九尺、而至於泉。祀陝八施、七八五十六尺、而至於泉。杜陵九施、七九六十三尺、而至於泉。延陵十施、七十尺、而至於泉。環陵十一施、七十七尺、而至於泉。蔓山十二施、八十四尺、而至於泉。付山十三施、九十一尺、而至於泉。付山白徒十四施、九十八尺、而至於泉。中陵十五施、百五尺、而至於泉。青山十六施、百一十二尺、而至於泉。青龍之所居、庚泥、不可得泉。赤壤𠢕山十七施、百一十九尺、而至於泉。其下清商、不可得泉。𨹫山白壤十八施、百二十六尺、而至於泉。其下駢石、不可得泉。徙山十九施、百三十三尺、而至於泉。其下有灰壤、不可得泉。高陵土山二十施、百四十尺、和至於泉。
現代語訳
(土地の性質と地下水までの深さについて)「墳延(高台の平地)は六施(6段階)であり、六七の四十二尺掘れば水源に至る。陝之芳(狭い芳地)は七施であり、七七の四十九尺で水源に至る。祀陝は八施で五十六尺、杜陵は九施で六十三尺、延陵は十施で七十尺、環陵は十一施で七十七尺、蔓山は十二施で八十四尺、付山は十三施で九十一尺、付山の白徒(白い土)は十四施で九十八尺、中陵は十五施で百五尺、青山は十六施で百一十二尺掘れば水源に至る。この(青山のような)青龍が居座る場所は、庚泥(硬い粘土層)があるため、水を得ることはできない。赤壤(赤い土)の𠢕山(ごうざん)は十七施で百一十九尺掘れば水源に至るが、その下は清商(固い層)であり、水を得ることはできない。𨹫山(ききざん)の白壤(白い土)は十八施で百二十六尺掘れば水源に至るが、その下は駢石(重なり合った岩)であり、水を得ることはできない。徙山(しざん)は十九施で百三十三尺で水源に至るが、その下は灰壤(灰のような土)であり、水を得ることはできない。高陵の土山は二十施で百四十尺掘れば水源に至る。」
『六韜』五音(紀元前4世紀〜紀元前3世紀頃)
原文
五音:武王問太公曰:「律音之聲、可以知三軍之消息、勝負之決乎?」 太公曰:「深哉!王之問也。夫律管十二、其要有五音:宮、商、角、徵、羽、此其正聲也、萬代不易。五行之神、道之常也、可以知敵。金、木、水、火、土、各以其勝攻之。古者、三皇之世、虛無之情以制剛彊。無有文字、皆由五行。五行之道、天地自然。六甲之分、微妙之神。其法:以天清淨、無陰雲風雨、夜半遣輕騎、往至敵人をの壘、去九百步外、偏持律管當耳、大呼驚之。有聲應管、其來甚微。角聲應管、當以白虎;徵聲應管、當以玄武;商聲應管、當以朱雀;羽聲應管、當以勾陳;五管聲盡不應者、宮也、當以青龍。此五行之符、佐勝之徵、成敗之機。」 武王曰:「善哉!」
現代語訳
(音律による敵情視察について)武王が太公望に問うた。「律管が奏でる音によって、三軍の動静や勝負の決着を知ることはできるだろうか。」 太公望が答えた。「深い問いでございます。そもそも律管には十二ありますが、その要となるのは五音、すなわち宮・商・角・徴・羽であり、これらは万代不変の正しき音です。五行の神は道の常道であり、これによって敵を知ることができます。金・木・水・火・土の五行に基づき、それぞれの相克(勝ち負け)の関係を用いて敵を攻めるのです。古の三皇の時代には、文字はなくともすべて五行によって剛強なものを制しました。五行の道は天地自然の摂理であり、六甲(干支)の区分は微妙にして神妙なものです。 その術法はこうです。天が清浄で、雲も風雨もない夜半に、軽騎兵を敵陣へ派遣します。陣から九百歩離れた場所で、律管を耳に当て、大声をあげて敵を驚かせます。すると敵陣から応じる音が微かに聞こえ、律管に響きます。もし『角』の音が響けば(木)、(金である)白虎の陣で対応します。『徴』の音が響けば(火)、(水である)玄武で対応します。『商』の音が響けば(金)、(火である)朱雀で対応します。『羽』の音が響けば(水)、(土である)勾陳で対応します。そして、五つの管のどの音にも応じない場合は『宮』の音(土)であり、そのときは(木である)青龍をもって対応するのです。これこそが五行の符合であり、勝利を助ける兆し、成敗の機密なのです。」 武王は言った。「素晴らしい。」
『呂氏春秋』本味(紀元前3世紀頃)
原文
本味:湯得伊尹、祓之於廟、爝以爟火、釁以犧猳。明日、設朝而見之、說湯以至味……(中略)……肉之美者:猩猩之脣、獾獾之炙、雋觾之翠、述蕩之踏、旄象之約……(中略)……魚之美者:洞庭之鱄、東海之鮞……(中略)……所以致之馬之美者:青龍之匹、遺風之乗。非先為天子、不可得而具。天子不可彊為、必先知道。道者止彼在己、己成而天子成、天子成則至味具。故審近所以知遠也、成己所以成人也。聖人之道要矣、豈越越多業哉!
現代語訳
(最高の美味と名馬について)「湯王は伊尹を登用した際、廟においてお祓いを行い、かがり火を焚き、生贄の豚の血を塗って清めた。翌日、朝廷を開いて彼と対面すると、伊尹は湯王に『至高の味わい』について説いた。……(各地の最高の肉、魚、野菜、調味料、水、果物の名を挙げた後)……それらを集めるための足となる最高の馬とは、青龍の血統を引くつがい(青龍之匹)や、遺風(ゆいふう)という名の名馬の乗り物である。これらはまず天子(天下の覇者)にならなければ、手に入れて揃えることはできない。だが天子とは無理になろうとしてなれるものではなく、必ず先に『道』を知らねばならない。道とは他所にあるのではなく自分自身の中に止まるものであり、自己が完成して初めて天子としての器が成る。天子が成れば、自ずと至高の美味も揃うのである。ゆえに、身近な自分を省みることが遠い天下を知る術となり、己を成すことが人を成すことへと繋がる。聖人の道とは要約すればこれに尽きるのであり、あちこちと手を広げることではないのである。」
『淮南子』(紀元前2世紀頃)
天文訓
原文
天文訓:天神之貴者、莫貴於青龍、或曰天一、或曰太陰。太陰所居、不可背而可向、北斗所擊、不可與敵。天地以設、分而為陰陽、陽生於陰、陰生於陽。陰陽相錯、四維乃通。或死或生、萬物乃成。蚑行喙息、莫貴于人、孔竅肢體、皆通於天。天有九重、人亦有九竅;天有四時以制十二月、人亦有四肢以使十二節;天有十二月以制三百六十日、人亦有十二肢以使三百六十節。故舉事而不順天者、逆其生者也。以日冬至數來歲正月朔日、五十日者、民食足;不滿五十日、日減一十;有餘日、日益一升。有其歲司也。
現代語訳
天の神々の中で最も尊いものは青龍であり、これを「天一」とも「太陰」とも呼ぶ。太陰が位置する方角には背を向けてはならず、向かい合うべきである。北斗七星の剣先が向かう方向には、逆らってはならない。
天地が設けられて以来、万物は陰と陽に分かれ、陽は陰から生まれ、陰は陽から生じた。陰陽が交錯することで四方すべてに道が通じ、死と生が巡って万物が成り立つのである。
這って動くもの、息をするものの中で、人間ほど尊い存在はない。人の孔(九竅)や手足の形は、すべて天の仕組みに通じている。天には九重があり、人にも九つの穴がある。天には四季があって十二か月を統べるように、人には四肢があって十二の節を動かす。天には十二か月があって三百六十日を司るように、人には十二の肢体があって三百六十の骨節を動かす。
だから、天の理に従わずに事を行う者は、自らの生に逆らう者である。冬至の日から翌年の正月朔日までの日数を数え、五十日であれば民の食は足りる。五十日に満たなければ一斗減り、五十日を超えれば一日ごとに一升増える。これはその年を司る存在の働きによるのである。
墬形訓
原文
墬形訓:偏土之氣、御乎清天、清天八百歲生青曾、青曾八百歲生青澒、青澒八百歲生青金、青金八百歲生青龍、青龍入藏生青泉、青泉之埃上為青雲、陰陽相薄為雷、激揚為電、上者就下、流水就通、而合于青海。
現代語訳
(大地の気の循環について)「東方の土地の気は、清らかな天へと通じている。その清らかな天の気は八百年の歳月を経て『青曾(せいそう:青い鉱物・硫酸銅)』を生じ、青曾は八百年経って『青澒(せいこう:青い水銀)』を生じ、青澒は八百年経って『青金(せいきん:青い金属・鉛など)』を生じる。さらに青金が八百年経つと、ついに『青龍』が生じるのである。こうして生まれた青龍が地中に深く隠れ潜むと『青泉(せいせん)』が生じ、その青泉から立ち昇る微細な塵(水蒸気)が、空に昇って『青雲』となる。そこで陰陽の気がぶつかり合うことで『雷』となり、激しく飛び散ることで『電(稲妻)』となる。空にあるものは雨となって下へと降り注ぎ、流れる水は滞りなく通じて、最後には『青海』へと合流するのである。」
覽冥訓
原文
覽冥訓:昔者黃帝治天下、而力牧、太山稽輔之、以治日月之行律、治陰陽之氣、節四時之度、正律曆之數、別男女、異雌雄、明上下、等貴賤、使強不掩弱、眾不暴寡、人民保命而不夭、歲時孰而不凶、百官正而無私、上下調而無尤、法令明而不暗、輔佐公而不阿、田者不侵畔、漁者不爭隈。道不拾遺、市不豫賈、城郭不關、邑無盜賊、鄙旅之人相讓以財、狗彘吐菽粟于路、而無仇爭之心。於是日月精明、星辰不失其行、風雨時節、五穀登孰、虎狼不妄噬、鷙鳥不塾搏、鳳皇翔于庭、麒麟游於郊、青龍進駕、飛黃伏皂、諸北、儋耳之國、莫不獻其貢職、然猶未及虙戲氏之道也。
現代語訳
(黄帝による理想の統治について)「かつて黄帝が天下を治めたとき、力牧(りきぼく)と太山稽(たいざんけい)がこれを補佐した。彼らは日月運行の法則を整え、陰陽の気を治め、四季の節度を定め、暦の数理を正した。また、男女の別を立て、雌雄を異にし、上下の秩序を明らかにし、貴賤の位を等しくした。強い者が弱い者を圧倒せず、多勢が無勢を虐げないようにした。人民は命を全うして若死にせず、実りの季節は豊作で凶作がなかった。役人は公正で私欲がなく、上下の心は調和して不平はなかった。法令は明快で、補佐役は公平で阿(おもね)ることがなかった。耕す者は隣の田の境界を侵さず、漁をする者は水辺の好適地を争わなかった。道に落ちている物を拾う者はおらず、市場ではあらかじめ値段を吊り上げることもなかった。城郭の門は閉ざす必要がなく、村々に盗賊はいなかった。辺境を旅する者は財を譲り合い、道端の犬や豚ですら食べきれない穀物を吐き出すほどであり、争いの心は消え失せていた。 こうして、太陽や月は明るく輝き、星々は運行の軌道を外れず、風雨は時節に従い、五穀は豊かに実った。虎や狼もむやみに人を襲わず、猛禽類も手当たり次第に獲物を打つことはなかった。鳳凰(ほうおう)は庭に舞い降り、麒麟(きりん)は郊外に遊び、青龍は進み出て天子の車を牽き(進駕)、飛黄(ひこう:伝説の名馬)は馬小屋に伏した。諸北(しょほく)や儋耳(たんじ)といった遠方の国々も、みな貢ぎ物を捧げて臣下の礼をとった。しかし、これほどの盛世であっても、まだ(伝説の聖王である)伏羲(ふぎ)氏の境地には及ばないのである。」
兵略訓
原文
兵略訓:所謂天數者、左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武。所謂地利者、後生而前死、左牡而右牝。所謂人事者、慶賞信而刑罰必。動靜時、舉錯疾。此世傳之所以為儀錶者、固也、然而非所以生。儀錶者、因時而變化者也。是故處於堂上之陰、而知日月之次序;見瓶中之冰、而知天下之寒暑。夫物之所以相形者微、唯聖人達其至。故鼓不與於五音、而為五音主;水不與於五味、而為五味調;將軍不與于五官之事、而為五官督。故能調五音者、不與五音者也;能調五味者、不與五味者也;能治五官之事者、不可揆度者也。是故將軍之心、滔滔如春、曠曠如夏、湫漻如秋、典凝如冬、因形而與之化、隨時而與之移。
現代語訳
(用兵の基本と変化について)「いわゆる『天数(天の理)』とは、左に青龍、右に白虎、前に朱雀、後に玄武を配することである。いわゆる『地利(地の利)』とは、後方に生気(高地など)を置き前方に死地(湿地など)を置くこと、また左を陽(牡)とし右を陰(牝)とすることである。いわゆる『人事(人の理)』とは、恩賞を誠実に行い、刑罰を必ず実行すること、そして動静が機を失わず、行動が迅速であることである。これらは世間に伝わる(軍の)規範(儀表)であり、確かに欠かせないものである。しかし、これらは勝利を生み出す根本そのものではない。規範とは、時に応じて変化させるべきものだからである。ゆえに、優れた者は堂の軒下の陰に居ながらにして日月の運行を知り、瓶の中の氷を見て天下の寒暑を察する。物事が互いに影響し合う兆しは極めて微細であるが、ただ聖人のみがその深淵に到達できる。たとえば、太鼓は五音(宮商角徴羽)のどれにも属さないが、五音の主(リズム)となる。水は五味(甘酸辛苦鹹)のどれにも属さないが、五味の調和を司る。将軍もまた、五官の細かな実務に直接加わることはないが、五官のすべてを監督するのである。ゆえに、五音を調和させる者は五音そのものであってはならず、五味を調和させる者は五味そのものであってはならない。五官の仕事を治める者は、(固定的な枠に囚われず)推し量ることのできない存在でなければならない。したがって、将軍の心は、春のように滔々と暖かく、夏のように広々と明るく、秋のようにひっそりと清らかで、冬のように厳かに凝り固まる。状況の変化に応じて自らも変化し、時に随って共に移り変わるのである。」
『漢書』司馬相如伝(紀元前2世紀〜紀元前1世紀頃)
原文
司馬相如……:「於是乎離宮別館、彌山跨谷、高廊四注、重坐曲閣、華榱璧璫、輦道纚屬、步檐周流、長途中宿。夷嵕築堂、絫臺增成、巖突洞房。頫杳眇而無見、仰攀橑而捫天、奔星更於閨闥、宛虹拖於楯軒。青龍蚴蟉於東箱、象輿婉僤於西清、靈圉燕於閒館、偓佺之倫暴於南榮、醴泉涌於清室、通川過於中庭。磐石裖崖、嶔巖倚傾、嵯峨𡽱嶪、刻削崢嶸、玫瑰碧琳、珊瑚叢生……」
現代語訳
(広大な上林苑に建つ離宮の壮麗さについて)「そこには離宮や別館が立ち並び、山を覆い谷をまたいでそびえ立っている。高い廊下は四方にめぐり、二階建ての座敷や曲がりくねった楼閣がある。垂木には華やかな装飾が施され、軒端には玉の飾りが輝く。屋根付きの通路(輦道)は延々と連なり、廂(ひさし)の下の歩道は周囲を巡り、あまりの長さに途中で宿をとるほどである。険しい山を削って堂を築き、台を重ねて高楼をなし、岩をうがって奥座敷(洞房)を作っている。 下を向けば深すぎて底が見えず、仰ぎ見れば垂木に手が届き天を撫でんばかりである。流星は部屋の入り口を通り過ぎ、美しい虹は手すりや窓をまたいでたなびいている。東側の離れ(東箱)では、青龍の彫り物がくねくねとのたうっており(蚴蟉)、西側の清涼な間(西清)では、象の車の飾りがゆったりと安置されている。伝説の御者(霊圉)は静かな館でくつろぎ、仙人の偓佺(あくせん)の徒は南の軒先で日光浴をしている。清らかな室内には甘い泉(醴泉)が湧き出し、中庭には川が引き込まれて流れている。切り立った崖には巨大な岩が重なり、険しくそびえ、彫刻を施したような奇岩が連なっている。そこにはバラ輝石や緑玉、珊瑚が叢生し、美しい玉が至る所にちりばめられ、五色の文様が輝き、赤い宝玉が混ざり合っている。朝の光に映える美しい玉や、かの和氏の璧(かしのへき)のような名玉も、ここから出ているのである。」
『史記』封禅書(紀元前1世紀頃)
原文
封禪書:秦始皇既并天下而帝、或曰:「黃帝得土德、黃龍地螾見。夏得木德、青龍止於郊、草木暢茂。殷得金德、銀自山溢。周得火德、有赤烏之符。今秦變周、水德之時。昔秦文公出獵、獲黑龍、此其水德之瑞。」於是秦更命河曰「德水」、以冬十月為年首、色上黑、度以六為名、音上大呂、事統上法。
現代語訳
(秦の始皇帝が天下を統一した際、ある者が唱えた五行説について)「秦の始皇帝が天下を併呑して帝位についたとき、ある者がこう言った。『かつて黄帝は土徳(土の徳)を得たため、黄龍や巨大なミミズ(地螾)が現れました。夏王朝は木徳を得たため、青龍が郊外に留まり、草木が青々と生い茂りました。殷王朝は金徳を得たため、銀が山から溢れ出しました。周王朝は火徳を得たため、赤いカラス(赤烏)が現れるという瑞兆がありました。今、秦が周に取って代わったのは、水徳の時代になったからです。かつて秦の文公が猟に出た際、黒龍を捕らえましたが、これこそが水徳の瑞兆であります。』 これを受けて、始皇帝は黄河の名を『徳水』と改め、冬の十月を年の始まりとし、衣服や旗の色は黒を最上とした。また、数の基準を六とし、音律は大呂(だいりょ)を尊び、政務のすべてを厳格な法によって統括することとした。」
『礼記』曲礼上(紀元前1世紀頃)
原文
曲禮上:兵車不式。武車綏旌、德車結旌。史載筆、士載言。前有水、則載青旌。前有塵埃、則載鳴鳶。前有車騎、則載飛鴻。前有士師、則載虎皮。前有摯獸、則載貔貅。行:前朱鳥而後玄武、左青龍而右白虎。招搖在上、急繕其怒。進退有度、左右有局、各司其局。
現代語訳
(儀礼の決まりとして)軍用車に乗る際は(敬意を示すための)横木への会釈は行わない。武車(戦車)は旗を垂らし、徳車(天子の車)は旗を巻き結ぶ。記録官は筆を携え、士は言辞を携える。前方に水場があれば(青い色で示すため)青い旗を掲げる。前方に砂塵が舞っていれば(警戒を示すため)鳶の描かれた旗を掲げる。前方に敵の車騎がいれば(急報を示すため)飛び行く雁の旗を掲げる。前方に軍隊がいれば(威を放つため)虎の皮を掲げる。前方に猛獣がいれば(勇猛さを示すため)貔貅(ひきゅう)の旗を掲げる。軍が進軍する際は、前方に朱鳥(朱雀)、後方に玄武、左方に青龍、右方に白虎を配置する。(北斗七星の尾にあたる)招揺星の指す方向に呼応して軍旗を掲げ、士気を高めて奮い立たせる。進退には節度を持たせ、左右の陣容を整え、各部隊がそれぞれの持ち場を統括するのである。
『説苑』服制(紀元前1世紀頃)
原文
服制:天地之生萬物也以養人、故其可適者以養身體、其可威者以為容服、禮之所為同也。劍之在左、青龍之象也。刀之在右、白虎之象也。韍之在前、朱鳥之象也。冠之在首、玄武之象也。四者、人之盛飾也。夫能通古今、別然不然、乃能服此也。蓋玄武者、貌之最嚴有威者也、其像在後、其服反居首、武之至而不用矣。聖人之所以超然、雖欲從之、末由也已。夫執介冑而後能拒敵者、故非聖人之所貴也。君子顯之於服、而勇武者消其誌於貌也矣。故文德為貴、而威武為下、此天下之所以永全也。
現代語訳
(衣服の制度について)「天地が万物を生み出したのは人間を養うためである。それゆえ、適当なものは身体を養うために用い、威厳を示すものは身だしなみ(衣服)として用いる。これらはすべて『礼』に適っている。剣を左側に帯びるのは青龍の象(かたどり)であり、刀を右側に帯びるのは白虎の象である。韍(ふつ:ひざ掛けのような礼服)を前に垂らすのは朱鳥(朱雀)の象であり、冠を頭に戴くのは玄武の象である。この四種は、人間の最も盛大なる装いである。古今に通じ、正しさと間違いを判別できる者だけが、これらを身に纏うことができる。そもそも玄武とは最も厳格で威厳ある姿であり、本来その像(四神の配置)は後方にあるべきものだが、礼服においてはあえて首(頭部)に位置している。これは武の極致にありながら、あえて武力を用いないことを意味する。聖人が超然としているのはこのためであり、人々がそれに従おうとしても、到達する術がないほどである。武器や甲冑を手にして初めて敵を防げるような状態は、聖人の尊ぶところではない。君子はこれを衣服によって(威厳を)示し、勇猛な者もその外見に触れるだけで戦意を消失させるのである。ゆえに文徳を尊貴とし、威武を卑下とする。これこそが天下が永遠に保たれる所以である。」
『楚辞』九嘆・自悲(紀元前1世紀頃)
原文
自悲:……聞南藩樂而欲往兮、至會稽而且止。見韓眾而宿之兮、問天道之所在?借浮雲以送予兮、載雌霓而為旌。駕青龍以馳騖兮、班衍衍之冥冥。忽容容其安之兮、超慌忽其焉如?苦眾人之難信兮、願離群而遠舉。……
現代語訳
(世を儚み、仙界を彷徨う魂の告白)「南方の国の楽しさを聞いてそちらへ向かおうとしたが、会稽(かいけい)の地に至って立ち止まった。そこで仙人の韓衆(かんしゅん)に出会い、共に宿りて『天道の在り処』を問うた。浮雲を借りて私を送り届けてもらい、虹を旗印として掲げよう。青龍に車を引かせ、縦横無尽に駆け巡れば、その行列ははるか暗遠の空(冥冥)へと連なってゆく。ゆらゆらとどこへ向かうともなく、恍惚としてどこへ行き着くのかもわからぬ。信じがたい俗世の人々に苦しむのはもう嫌だ、群れを離れて遠く高くへと飛び去りたいのだ。……」
『白虎通義』五行(1世紀頃)
原文
五行:少陽見寅、寅者、演也、律中大蔟、律之言率、所以率氣令生也;卯者、茂也、律中夾鐘;衰於辰、辰震也、律中姑洗。其日甲乙者、萬物孚甲也;乙者、物蕃屈有節欲出。時為春、春之為言蠢蠢動也。位在東方。其色青。其音角、角者、氣動耀也。其帝太皞、皞者、大起萬物擾也。其神勾芒者、物之始生、其精青龍、芒之為言萌也。
現代語訳
(五行の「木」について)「少陽(春の気)は『寅』のあらわれである。寅とは『演(のべる)』を意味し、十二律では『大蔟(たいそう)』にあたる。律とは『率(ひきいる)』ということで、陽気を引き連れて万物を生じさせることを指す。次の『卯』は『茂(しげる)』を意味し、律は『夾鐘(きょうしょう)』にあたる。その勢いは『辰』で衰えるが、辰とは『震(ふるえる)』を意味し、律は『姑洗(こせん)』にあたる。その十干が『甲・乙』とされるのは、甲は万物が殻(甲)を破って芽生えることを指し、乙は万物が増え、屈曲しながらも節を持って地上に出ようとする姿を指すからである。季節は『春』であり、春とは万物が『蠢(しゅん:うごめく)』き動くことをいう。方位は『東方』に位置する。その色は『青』である。五音では『角』にあたり、角とは気が動き輝くことを意味する。司る天帝は『太皞(たいこう)』であり、皞とは万物を盛んに奮い起こすことを指す。その神は『勾芒(こうぼう)』であり、万物の始まりを司る。その精(神獣としての真髄)が『青龍』であり、芒とは『萌(きざし・芽生え)』を意味するのである。」
『論衡』(1世紀頃)
難歳
原文
難歲:且太歲、天別神也、與青龍無異。龍之體不過數千丈、如令神者宜長大、饒之數萬丈、令體掩北方、當言太歲在北方、不當言「在子」。其東有丑、其西有亥、明不專掩北方、極東西之廣、明矣。令正言在子位、觸土之中直子午者不得南北徙耳、東邊直丑、巳之地、西邊直亥、未之民、何為不得南北徙?丑與亥地之民、使太歲左右通、得南北徙及東西徙。可則?丑在子東、亥在子西、丑、亥之民東西徙、觸歲之位;巳、未之民東西徙、忌歲所破。
現代語訳
(太歳という神の迷信を論難して)「そもそも、太歳とは天の別の神であり、(方位を司る)青龍と異なるものではない。龍の体格は数千丈に過ぎないが、もし神としての龍が巨大であるとするならば、数万丈あると仮定しよう。その体が北方全体を覆っているというのなら、『太歳は北方に在る』と言うべきであって、『子(ね)の方向に在る』と言うべきではない。その東には丑(うし)があり、西には亥(い)があるのだから、北方のすべてを専有しているわけではなく、東西の広がりにも限界があることは明らかだ。もし(占いが言うように)太歳が正確に『子』の位置に在るというのなら、その土地の中で子午線上に直面している者だけが南北への移転を禁じられるだけであって、東側の丑や巳の地、西側の亥や未の地に住む民までもが、なぜ南北へ移転してはならないというのか。丑や亥の地に住む民にとっては、太歳の左右は通り抜け可能であり、南北への移転も東西への移転もできるはずである。そうではないか。丑は子の東にあり、亥は子の西にある。丑や亥の民が東西に移動すれば太歳の位置に接触し、巳や未の民が東西に移動すれば太歳が壊す(歳破)方向として忌まれるというが、(そのような理屈は通らない。)」
解除
原文
解除:且夫所除、宅中客鬼也。宅中主神有十二焉、青龍、白虎列十二位。龍、虎猛神、天之正鬼也、飛尸流凶、安敢妄集、猶主人猛勇、姦客不敢闚也。有十二神舍之、宅主驅逐、名為去十二神之客、恨十二神之意、安能得吉?如無十二神、則亦無飛尸流凶。無神無凶、解除何補?驅逐何去?
現代語訳
(家のお祓いという風習について)「そもそも、お祓いによって追い払おうとするものは、家の中に紛れ込んだ『客鬼(外来の悪霊)』である。家の中を司る主神には十二神があり、青龍や白虎もその十二の位に列している。青龍や白虎は猛々しい神であり、天の正当な霊神である。そのような神々がいる場所に、飛び回る死霊や流れ込む凶悪な霊などが、どうして勝手に集まることができようか。それはちょうど、家主が強くて勇ましければ、悪だくみをする者が家を覗き見ることさえできないのと同じである。この十二神が家に留まっているのに、家主が(お祓いとして)追い払う儀式を行うのは、いわば十二神の客分を追い出し、十二神の意向に背く(恨みを買う)ようなもので、どうして吉運を得られようか。もし(占いが言うような)十二神が存在しないのであれば、同時に飛び回る死霊や流れ込む凶悪な霊も存在しないことになる。神も凶事も存在しないのであれば、お祓いに何の効用があり、何を追い払おうというのか。」
『漢書』郊祀志上(1世紀頃)
原文
郊祀志上:秦始皇帝既即位、或曰:「黃帝得土德、黃龍地螾見。夏得木德、青龍止於郊、草木鬯茂。殷得金德、銀自山溢。周得火德、有赤烏之符。今秦變周、水德之時。昔文公出……」
現代語訳
(秦の始皇帝が即位した際、ある者が唱えた五行説について)「秦の始皇帝が即位すると、ある者がこう言った。『かつて黄帝は土徳(土の属性)を得たため、黄龍や巨大なミミズ(地螾)が現れました。夏王朝は木徳を得たため、青龍が郊外に留まり、草木が青々と生い茂りました。殷王朝は金徳を得たため、銀が山から溢れ出しました。周王朝は火徳を得たため、赤いカラス(赤烏)が現れるという瑞兆がありました。今、秦が周に取って代わったのは、水徳の時代だからです。かつて(秦の)文公が猟に出た際……(黒龍を捕らえたことこそが水徳の証である)』」
『吳越春秋』勾踐入臣外傳(1世紀頃)
原文
越王勾踐……:越王聞之、召范蠡告之曰:「孤聞於外、心獨喜之、又恐其不卒也。」范蠡曰:「大王安心、事將有意、在玉門第一。今年十二月、戊寅之日、時加日出。戊、囚日也;寅、陰後之辰也。合庚辰歲後會也。夫以戊寅日聞喜、不以其罪罰日也。時加卯而賊戊、功曹為騰蛇而臨戊、謀利事在青龍、青龍在勝先、而臨酉、死氣也;而剋寅、是時剋其日、用又助之。所求之事、上下有憂。此豈非天網四張、萬物盡傷者乎?王何喜焉?」
……(伍子胥對吳王曰):……且大王初臨政、負玉門之第九、誡事之敗、無咎矣。今年三月甲戌、時加雞鳴。甲戌、歲位之會將也。青龍在酉、德在上、刑在金、是日賊其德也。知父將有不順之子、君有逆節之臣。……
現代語訳
(越王勾踐と范蠡の対話、および伍子胥の諫言) 「(越王勾踐が呉の動向を耳にして喜んだ際、)范蠡は言った。『大王、ご安心ください。物事には兆しがあり、それは玉門(占術の法)の第一に示されています。今年の十二月、戊寅(ぼいん)の日の日の出の時刻についてですが、戊(つちのえ)は五行では(冬の時期には)囚獄の気であり、寅は陰の気が後ろに控える辰(とき)です。この戊寅の日に喜び事を聞いたとしても、それは罪を罰する日ではありません。(しかし占えば)時刻は卯にあって日干の戊を害し、功曹(寅)は騰蛇(とうだ:凶神)となって戊に臨んでいます。利益を謀るべき「青龍(吉神)」は、勝先(申)にありながら酉(西・金)の位に臨んでおり、これは(金が木を剋する)「死気」の状態です。さらに青龍は日支の寅を剋しており、時刻が日を剋し、その作用が重なっています。求める事は、上も下も憂いに包まれるでしょう。これこそ天網が四方に張られ、万物が傷つく兆しではありませんか。大王、何を喜ぶことがありましょうか。』
(一方、呉の伍子胥は呉王夫差に警告して言った)『……大王が政を始められた当初、玉門の第九(の法)を背負い、失敗を戒めておられたので過ちはありませんでした。しかし今年の三月甲戌(こうじゅつ)の日、鶏が鳴く時刻のことです。この日は一年の運気が会合する時ですが、「青龍」が酉の位にあり、徳は上にありますが、刑(殺気)が金(西)に宿っています。これは日がその徳を損なう形です。これによって、父には不順な子が、君主には反逆の臣が現れることが分かります。……越王がわが呉に臣下として入ったのは、その深謀遠慮によるものです。大王、どうか注意深く察してください。』」
『太玄經』太玄圖(1世紀頃)
原文
太玄圖:一玄都覆三方、方同九州、枝載庶部、分正群家、事事其中。則陰質北斗、日月畛營、陰陽沈交、四時潛處、五行伏行。六合既混、七宿軫轉、馴幽推歷、六甲內馴。九九實有、律呂孔幽、歷數匿紀、圖象玄形、贊載成功。始哉「中羡從」:百卉權輿、乃訊感天。雷椎𣣪𥨎、輿物旁震。寅贊柔微、拔拫于元。東動青龍、光離于淵。摧上萬物、天地輿新。中哉「更睟廓」:象天重明、雷風炫煥、與物時行。陰酋西北、陽尚東南。內雖有應、外觝亢貞。龍幹于天、長類無疆。南征不利、遇崩光。終哉「減沈成」:天根還向、成氣收精。閱入庶物、咸首艱鳴。深合黃純、廣含群生。泰柄雲行、時監地營。邪謨高吸、乃馴神靈。旁該終始、天地人功咸酋貞。
現代語訳
(宇宙の根源である「玄」の運行について)「唯一なる『玄』は三方(天・地・人)をすべて覆い、その広がりは九州(天下すべて)と同じである。それは万事を支え、諸家を正し、あらゆる事象はその中に含まれる。陰の性質は北斗に現れ、日月はその境界を巡り、陰陽は深く交わり、四季は潜み、五行は伏して巡る。天地四方が混ざり合い、二十八宿が回転し、幽玄なる理に従って暦が推移し、十干十二支が内に巡る。九九(八十一首)の構成には実体があり、律呂(音律)は奥深く、暦の数は法則を秘め、図像は玄の形を現し、言葉はその成功を記す。
始まり(春・発生)の段階:万物が芽吹き、天の感応を問う。雷が激しく轟き、万物は傍らで震え動く。寅の月は柔らかな微かな気を助け、根元から引き抜くように芽生えさせる。東方では青龍が動き出し、その光は深淵を離れて立ち昇る。万物を押し上げ、天地はすべて新しくなる。
中間の段階:天の重ね合わさる光を象(かたど)り、雷と風が輝き放たれ、万物とともに季節を巡る。陰気は西北に集まり、陽気は東南を尊ぶ。内側に呼応するものがあっても、外側では高く正しい処にある。龍は天に昇って活動し、万物を成長させる力は限りない。しかし南へ征くことは利あらず、光が崩れる(衰える)兆しに出会う。
終わりの段階:天の根源へと還り、完成した気は精髄を収める。万物はこれを受け入れ、みな声をあげて苦難(冬の厳しさ)に備える。地(黄)の純粋さと深く合致し、広く群生を包み込む。泰平の柄(北斗)は雲のように巡り、時に応じて地を監視する。邪な計略は吸い込まれ、神霊に従う。こうして終始を網羅し、天・地・人の功績はすべて正しく成就するのである。」
『傷寒論』辨太陽病脈証并治(2世紀〜3世紀頃)
原文
辨太陽病……:太陽中風、脈浮緊、發熱惡寒、身疼痛、不汗出而煩躁者、大青龍湯主之。若脈微弱、汗出惡風者、不可服。服之則厥逆、筋惕肉瞤、此為逆也。
大青龍湯方:麻黃六兩、桂枝二兩、甘草二兩、杏人四十箇、生薑三兩、大棗十二枚、石膏如鷄子大。……
辨太陽病……:傷寒表不解、心下有水氣、乾嘔、發熱而欬、或渴、或利、或噎、或小便不利、少腹滿、或喘者、小青龍湯主之。
小青龍湯方:麻黃三兩、芍藥三兩、五味子半升、乾薑三兩、甘草三兩、桂枝三兩、半夏半升、細辛三兩。
右八味、以水一斗、先煮麻黃、減二升、去上沫、內諸藥、煮取三升、去滓、溫服一升。
(中略)
傷寒、心下有水氣、欬而微喘、発熱不渇。服湯已渇者、此寒去欲解也。小青龍湯主之。
現代語訳
(太陽病の治療について)「太陽病において、風邪に当たり、脈が浮いて緊(硬く引き締まっている)で、発熱と悪寒があり、身体が痛み、汗が出ずにひどくもだえ苦しむ(煩躁)者には、大青龍湯(だいせいりゅうとう)がこれを主治する。もし脈が微弱で、すでに汗が出ており、風を嫌う者には(この薬を)服用させてはならない。服用させれば、(陽気が漏れ出し)手足が冷え切り、筋肉がピクピクと震える。これは誤診(逆)である。
大青龍湯の処方:麻黄(まおう)六両、桂枝(けいし)二両、甘草(かんぞう)二両、杏仁(きょうにん)四十個、生姜(しょうきょう)三両、大棗(たいそう)十二枚、石膏(せっこう)卵大一つ。……」
(太陽病の治療、および体内の水気について)「傷寒(重い風邪)を患って表証(体表の病変)が解けず、みぞおち辺りに余分な水分(水気)が停滞しているために、空吐き気がし、発熱して咳が出る、あるいは喉が渇く、下痢をする、むせる、尿が出にくい、下腹部が張る、あるいは喘鳴(ぜんめい)がするといった症状がある者には、小青龍湯(しょうせいりゅうとう)がこれを主治する。
小青龍湯の処方:麻黄 三両、芍薬 三両、五味子 半升、乾姜 三両、甘草 三両、桂枝 三両、半夏 半升、細辛 三両。
以上の八味を水一斗(十升)で煮る。まず麻黄を先に煮て、煮汁が二升減ったところでアクを除き、他の薬を入れて三升になるまで煮詰め、カスを除いて温服一升(コップ一杯程度)を服用する。
(中略)
傷寒でみぞおちに水気があり、咳が出てわずかに喘ぎ、発熱して喉が渇かない場合。薬を服用した後に喉が渇き始めたなら、それは体内の冷え(寒)が去って病が解けようとしている兆しである。小青龍湯がこれを主治する。」
『金匱要略』(2世紀〜3世紀頃)
肺痿肺癰咳嗽上気病脉証治
原文
肺痿肺癰……:肺脹、欬而上氣、煩燥而喘、脈浮者、心下有水、小青龍加石膏湯主之。
現代語訳
(肺が膨らんで呼吸が苦しい病態について)「肺脹(はいちょう:肺が膨らんで苦しい状態)によって、咳が出て逆上し(上気)、もだえ苦しんで(煩燥)喘鳴があり、脈が浮いている場合。これはみぞおちに余分な水分(水気)が停滞しているためであり、小青龍加石膏湯(しょうせいりゅうとうかせっこうとう)がこれを主治する。
痰飲咳嗽病脈証并治
原文
痰飲欬嗽……:病溢飲者、當發其汗、大青龍湯主之、小青龍湯亦主之。
(中略)
欬逆倚息、不得臥、小青龍湯主之。
青龍湯下已、多唾口燥、寸脈沉、尺脈微、手足厥逆、氣從小腹上衝胸咽、手足痺、其面翕然熱如酔状、因復下流陰股、小便難、時復冒者、與茯苓桂枝五味甘草湯、治其氣衝。
現代語訳
(体内に水が溢れる「溢飲」などの病態について)「溢飲(いついん:水分が体表に溢れ、浮腫や痛みが出る病)の者は、発汗させて治すべきである。これには大青龍湯が主治するが、小青龍湯もまた主治するものである。」
(中略)
「咳き込んで呼吸が激しく、何かに寄りかからなければ息ができず、横になって寝ることもできないような状態には、小青龍湯が主治する。」
「青龍湯(大・小)を服用した後、唾液が多く出て口が渇き、手足が冷え切り、気が下腹部から胸や喉へ突き上げ、手足がしびれ、顔が酔ったようにのぼせ、さらにその気が太ももの内側へと流れ、尿が出にくくなり、時にふらつき(冒)が起きるような場合。これは(青龍湯の激しい作用で気が動揺したためであり)、茯苓桂枝五味甘草湯(ぶくりょうけいしごみかんぞうとう)を与えて、その気の突き上げを治すべきである。」
婦人雑病脈証并治
原文
婦人雜病……:婦人吐涎沫、醫反下之、心下即痞、當先治其吐涎沫、小青龍湯主之。涎沫止、乃治痞、瀉心湯主之。
小青龍湯方。
現代語訳
(婦人の病と誤診後の処置について)「女性が(体内の冷えと水気のために)泡のような唾液(涎沫)を吐いているとき、医師が(熱の病と勘違いして)誤って下剤をかけて便を排泄させてしまった。すると(体内の陽気が失われ、水気が停滞して)みぞおち辺りがつかえて硬くなってしまった(痞)。このような場合、まずはその唾液を吐く症状を先に治療すべきであり、小青龍湯がこれを主治する。唾液が止まったのを確認してから、次につかえ(痞)を治すために瀉心湯(しゃしんとう)を服用させるべきである。」
『抱朴子』内篇・巻二十(4世紀頃)
原文
(前略)……珠玉之樹、枝條花葉、互相扣擊、自成五音、清哀動心。吾見謫失志、聞此莫不愴然含悲。又見昆侖山上、一面輒有四百四十門、門廣四裏、內有五城十二樓、樓下有青龍白虎、蜲蛇長百餘裏、其中口牙皆如三百斛船、大蜂一丈、其毒煞象。又有神獸、名獅子辟邪、三鹿焦羊、銅頭鐵額、長牙鑿齒之屬、三十六種、盡知其名、則天下惡鬼(後略)
現代語訳
(葛洪が見たという仙界の情景)「(仙界には)珠玉でできた樹木があり、その枝や葉が互いに触れ合うと、自然に五音(五つの音律)を奏でる。その音色は清らかで物悲しく、心に響くものである。天界から追放された者がこれを聞けば、誰もが悲しみに沈むことだろう。また、崑崙(こんろん)山の上を見ると、一面ごとに四百四十もの門があり、一つの門の幅は四里もある。その内部には五つの城と十二の楼閣がそびえ立ち、楼閣の下には青龍と白虎が控えている。その姿は蛇のようにうねり、長さは百余里にも及ぶ。その口や牙は三百石(さんびゃくごく)もの荷を積む船のように巨大である。一丈もある大きな蜂がおり、その毒は象をも殺すほどだ。他にも獅子、辟邪(へきじゃ)、三鹿(さんろく)、焦羊(しょうよう)といった神獣がおり、銅の頭や鉄の額、長く尖った牙を持つものなど、合わせて三十六種にのぼる。これらの名をすべて知る者であれば、天下のあらゆる悪鬼も(恐れて近づくことはできない)。」
『抱朴子神仙金汋經』(4世紀頃)
原文
(描述還丹的製作與功效)「此還丹先以金水煮之、令得金水之氣味。今又燒之、還丹成、不與常水銀同、故能使人得仙也。仙官下降、所在山川土地之神、悉為下官、故雲奉迎。神人皆左青龍、右白虎、煩冤懇也。凡服仙藥、皆推四時王相之日、甲子開除平旦、向日、日始出時服之。此方不道日數、似是一服便仙也。然丹經有一品、上士服之即日昇天、中士(後略)」
現代語訳
(還丹の効能と神人の出現について)「この還丹(かんたん)は、まず金水で煮ることで金の気味を得させる。これをさらに焼成して完成した還丹は、通常の水銀とは異なるものであり、ゆえに人を仙人にすることができる。丹薬が完成すれば仙官が天から降り立ち、その地の山川や土地の神々はすべてその配下となってこれをお迎えする。その神人たちは皆、左に青龍、右に白虎を連れており、その威厳は凄まじいものである。およそ仙薬を服用する際は、四季の王相(旺気)の日、あるいは甲子の日や開・除といった吉日の早朝、日の出に向かって服用すべきである。この処方には日数の記載がないが、一度服用すればただちに仙人になれるかのようである。丹経の一品によれば、上士(優れた修行者)がこれを飲めば即座に昇天し、中士(中ほどの修行者)であれば(後略)」
『後漢書』(5世紀頃成立)
粛宗孝章帝紀(1世紀の記録)
原文
肅宗孝章……:章帝元和二年、鳳皇三十九、麒麟五十一、白虎二十九、黃龍四、青龍、黃鵠、鸞鳥、神馬、神雀、九尾狐、三足烏、赤烏、白兔、白鹿、白鷰、白鵲、甘露、嘉瓜、秬秠、明珠、芝英、華平、朱草、木連理實、日月不絕、載於史官、不可勝紀。
現代語訳
(後漢の章帝の治世における瑞祥について)「章帝の元和二年(西暦85年)、鳳凰が三十九、麒麟が五十一、白虎が二十九、黄龍が四、そして青龍、黄鵠(こうこく)、鸞鳥(らんちょう)、神馬、神雀、九尾の狐、三足烏、赤烏、白兎、白鹿、白燕、白鵲(はくじゃく)が現れた。さらに甘露が降り、嘉瓜(かか:立派な瓜)がなり、黒い米(秬秠)が実り、明珠(真珠)、芝英(霊芝の花)、華平(伝説の植物)、朱草、連理の木などの瑞祥が、日を置かずして次々と現れた。これらは史官によって記録されたが、あまりに多くてすべてを記しきれないほどであった。」
馮衍伝下(1世紀の作品)
原文
馮衍傳下:覽天地之幽奧兮、統萬物之維綱;究陰陽之變化兮、昭五德之精光。躍青龍於滄海兮、豢白虎於金山;鑿巖石而為室兮、託高陽以養仙。神雀翔於鴻崖兮、玄武潛於嬰冥;伏朱樓而四望兮、採三秀之華英。纂前修之夸節兮、曜往昔之光勳;披綺季之麗服兮、揚屈原之靈芬。高吾冠之岌岌兮、長吾佩之洋洋;飲六醴之清液兮、食五芝之茂英。
現代語訳
(天地の神秘に遊ぶ境地について)「天地の奥深い神秘を眺め、万物を結ぶ根本の規範(維綱)を統べよう。陰陽の絶え間ない変化を究め、五徳(木火土金水)の放つ精妙な輝きを明らかにしよう。青い海(滄海)に青龍を躍らせ、金の山(金山)に白虎を飼い慣らす。岩山を穿って住まいとし、高陽氏(伝説の帝王)の知恵に身を委ねて仙人の道を養うのだ。神雀(朱雀)は広大な崖に舞い、玄武は深く暗い水の底(嬰冥)に潜む。私は朱塗りの楼閣に身を伏せて四方を眺め、不老不死の霊草(三秀)の花を摘み取る。先人の高潔な節操を継承し、往時の輝かしい功績を称えよう。隠者・綺季(きき)の美しい衣服をまとい、屈原の霊妙な香りを漂わせる。冠を高く高くそびえ立たせ、腰の帯玉をゆったりと長く垂らし、六種の清らかな美酒(六醴)を飲み、五色の霊芝(五芝)の茂る花を食らうのである。」
律暦志下(2世紀の科学記録)
原文
律暦下:昔者聖人之作暦也、観琁璣之運、三光之行、道之発斂、景之長短、斗綱之建、青龍所躔、参伍以変、錯綜其数、而制術焉。
(中略)
律暦下:日周于天、一寒一暑、四時備成、万物畢改、摂提遷次、青龍移辰、謂之歳。
(中略)
律暦下:……是以二十蔀為紀。紀歳青龍未終、三終歳後復青龍為元。
現代語訳
(暦の作成と青龍の運行について) 「かつて聖人が暦を作った際、天文観測器(琁璣)の動きを観察し、三光(太陽・月・星)の運行、天道の広がりと収束、日影の長さ、北斗七星の指す方向、そして『青龍(木星)』がどの宿(星座)に滞在しているか(躔)を観測した。それらの変化を照らし合わせ、複雑な数値を整理して、暦の法則(術)を制定したのである。」
「太陽が天を一周し、一度の寒暑を経て四季が備わり、万物が一新される。その間、摂提(せってい:星の名)が順に動き、青龍(木星)が干支の十二辰を一つ移動することを、これを『一歳(一年)』と呼ぶのである。」
「(計算を重ねると)二十蔀(ぶ)が『一紀』となる。しかし、一紀の歳月では青龍(木星)の運行周期が(端数のために)ちょうど終わらない。そのサイクルを三回繰り返し、ようやく青龍の運行が最初に戻る(周期が一致する)時を、これを『一元』と呼ぶのである。」
『五行大義』(6世紀末)
巻四 第十六論七政
原文
二十八宿の総配(五行と龍の身体)
「二十八宿配五行。有二別。一總配。二別配。總配者。東方蒼龍七宿。角。亢。氐。房。心。尾箕。木也。……石氏天官訓解云。角。二星。是蒼龍之首。……亢。爲朝廷。……氐。是正寢。……房。是天子四時所居。……心。……如人心處中。爲身之主。……尾。是東方蒼龍宿之尾。故名尾。象形也。」
現代語訳
二十八宿の総配(五行と龍の身体)
「二十八宿を五行に割り当てるには、総括的な割り当て(総配)と、個別の割り当て(別配)の二通りがある。
総配によれば、東方の蒼龍七宿(角・亢・氐・房・心・尾・箕)は『木』に属する。
(石氏の天官訓解を引いて解説すれば)
『角』の二星は蒼龍の頭(角)であり、その間は天の道(日月五星の通り道)である。
『亢』は朝廷(龍の首、喉)を象徴する。
『氐』は正寝(龍の胸、宿舎)である。
『房』は天子が四季を通じて居る場所(龍の腹)である。
『心』は人間が心臓を中心とするように、龍の身体の主(心臓)である。
『尾』は東方蒼龍の尾であり、その形を象っているのである」
巻四 第十九論治政
原文
木用事……無伐木、恩及草木。則朱草生。……若夫人君馳騁無度……則民疾疢瘮。……故皆木病也。木傷敗、則龍深藏。木禽懼而不見也。
(中略)
礼記云……春之月、天子居青陽左个、乘鸞輅、駕蒼龍、載青旂、衣青衣、服蒼玉。
(中略)
承水而王……善則景雲至、龜龍被文、皆水氣爲祥也。
現代語訳
(五行に基づいた統治のあり方について)
「木気が支配する時期(春)には……みだりに木を伐らず、慈しみが草木にまで及べば、瑞祥である朱草(しゅそう)が生える。……もし君主が節度を失って馳せまわり、民に重い役夫を強いて農時を奪うようなことがあれば、民は病に苦しみ、春の気(木の気)を傷つけることになる。これらはすべて『木の病』である。木の気が傷つき敗れれば、龍は深く隠れ、木に属する鳥獣(木禽)は恐れて姿を見せなくなるのである。」
(中略)
「『礼記』にいう……春の月には、天子は青陽(東の宮)の左個に居し、鸞鳥の車に乗り、蒼龍(青い馬、あるいは龍)に車を引かせ、青い旗を掲げ、青い衣を着て、蒼い玉を身につけるのである。」
(中略)
「水気を受けて王となった者(黒帝の徳を持つ者)の治世において……政治が善ければ、めでたい雲(景雲)が至り、文様を帯びた亀や龍(亀龍)が現れる。これらはすべて『水の気』がもたらす吉祥なのである。」
巻五 第二十論諸神
原文
九宮十二神者。……青龍在乾宫。……青龍主霜雹。
又別有青龍。行十二辰。卽太歲之名也。古者名歲曰青龍。此神主福慶。
十二將者。……青龍木將。後一。……青龍主福助。
現代語訳
「九宮(方位と数に基づく神格)における十二神について……青龍は『乾(西北)』の宮に在る。……この青龍は、霜(しも)や雹(ひょう)の現象を司る神である。」
「また、これとは別に、十二辰を巡る青龍という神がある。これはすなわち『太歳(木星の鏡像となる時間神)』の別名である。古の人々は太歳を指して青龍と呼んだ。この神は、福や慶事(喜びごと)を司る存在である。」
「十二将(六壬神課などの術数で使われる神将)について……青龍は『木』の属性を持つ将であり、天一の背後(後一)に位置する。……この青龍は、福をもたらし助けとなる(福助)ことを司る。」
巻五 第二十一論五帝
原文
大昊帝庖羲者……蛇身人首。以木德王天下。……炎帝神農氏……感神龍而生帝於常年。……黃帝軒轅氏……春秋文燿鈎云。黃帝龍顏。……其德行。則黃龍至。……帝堯陶唐民……出洛渚。遇赤龍。感孕十四月。而生帝於丹陵。
故錄圖云。東方蒼帝。體爲蒼龍。其人長頭面。大角。……南方赤帝。体为朱鸟。……(中略)……春秋元命苞云。堯火精。故慶都感赤龍而生。……漢……高祖斬白蛇。而神母哭云。赤帝子殺我白帝子。
現代語訳
「大昊(たいこう)伏羲氏は……蛇の身体に人の首(蛇身人首)を持ち、木徳を以て天下の王となった。……炎帝神農氏は……母が神龍に感じて(精を受けて)帝を常年にて産んだ。……黄帝軒轅氏は……『春秋文燿鈎』に『黄帝は龍の顔(龍顔)をしていた』とある。……黄帝が徳を行えば、黄龍が至り、鳳凰が舞い降りた。……帝堯(ぎょう)は……母が洛水のほとりで赤龍に遭遇し、その精に感じて十四ヶ月の後に帝を産んだのである。」
「『録図』によれば、東方の蒼帝(伏羲)はその本体が蒼龍である。ゆえにその人の姿は頭が長く、大きな角(または額の骨)が突き出している。……(中略)……『春秋元命苞』によれば、帝堯は火の精である。ゆえに母の慶都は赤龍に感じて堯を産んだ。……漢の時代……高祖(劉邦)が白い蛇を斬った際、神の母が泣いて『赤帝の子(赤龍の化身である劉邦)が、わが白帝の子を殺した』と言った。これらはすべて漢が火徳(赤龍の徳)であることの象徴である。」
巻五 第二十三論諸人
原文
左慈相決云。……左目爲日。右目爲月。左眉爲青龍。右眉爲白虎。鼻爲勾陣。伏犀爲朱雀。玉枕爲玄武。又云。前爲朱雀。後爲玄武。左爲青龍。右爲白虎。是曰四體。
東夷之人。其形細長。……長目者。目主肝。肝。木也。故細而長。皆象木也。……水人。面薄。身偏。蛇行。
現代語訳
「(仙人・左慈の相術によれば)……人間の左目は『太陽』、右目は『月』である。そして、左の眉は青龍、右の眉は白虎、鼻は勾陳(こうちん)、額から頭頂にかけては朱雀、後頭部(玉枕)は玄武が司る。
また別の説では、身体の前面を朱雀、背面を玄武、左側を青龍、右側を白虎とする。これらを『四体(四つの身体的規範)』と呼ぶのである。」
「(方位と人間の性質について)東方の夷(い)の人は、その形が細長い。……目が長いのは、目が『肝(木気)』を主っているからである。肝は『木』であり、ゆえに(木のように)細くて長い。これらはすべて木の象(かたち)である。
……(また、五行で『水』の性質を強く持つ人は)顔が薄く、身体をくねらせて、蛇のように歩く(蛇行)のである。」
巻五 第二十四論禽蟲
原文
鱗虫三百六十。龍爲之長。……鱗虫之精曰龍。……鱗虫東方。……春。其虫鱗。鄭元注云。龍蛇之屬。
左蒼龍。右白虎。前朱雀。後玄武。……尚書……東方。春。蒼龍。其智仁。……失仁則龍麟不舞。……失智則黃龍不見。
震爲龍。故木之義扶龍。……龍有飛潛之德。……震。動也。龍取其動。……乾象六龍。取其潛躍之義。
現代語訳
「鱗(うろこ)を持つ生き物(鱗虫)は360種類あり、龍はその長(王)である。……(五行の精微な気が集まって成るもので)鱗虫の精を『龍』と呼ぶ。……鱗虫は方位では『東方』に属する。……『月令』によれば、春に属する生き物は鱗虫であり、鄭玄の注釈によれば、それは龍や蛇のたぐいである。」
「(国君が行幸する際は)左(東)に蒼龍、右(西)に白虎、前(南)に朱雀、後(北)に玄武を配する。……『尚書』によれば、東方・春を司るのが蒼龍であり、その徳は『仁』である。……(もし政治が)仁を失えば龍や麒麟は舞い踊らなくなり、智を失えば黄龍は姿を現さなくなる。」
「(易の八卦において)『震』は龍とされる。ゆえに『木』の義は龍を助けるものである。……龍には(雲に乗って)飛び、(淵に)潜むという変幻自在な徳がある。……震の卦は『動』を意味し、龍はその躍動する性質を象徴している。……(また)乾の卦は六つの龍を象徴し、それは(君子の)潜伏と飛躍の義を象徴しているのである。」
『続日本紀』第二巻(8世紀末成立)
大宝元年正月(701年の記録)
(文武天皇の大宝元年の元日、大極殿での朝賀の儀式において)「天皇が大極殿にお出ましになり、朝廷の儀式を受けられた。その儀式では、正門に烏(八咫烏)の形の旗を立て、左(東)側には日の像、青龍、朱雀の旗を。右(西)側には月の像、玄武、白虎の旗を立てた。(中略)これによって、文明国家(文物)としての儀式の形式が、ここに整ったのである。」
『占事略決』(11世紀初頭)
巻四:十二将所主法
(十二天将のそれぞれが何を司り、どのような性質を持つかという基本定義について)「前五(天一貴人の前から5番目)に位置する青龍(せいりゅう)は、五行の『木』の神であり、家(本位)を『寅』に置く。主に金銭、財産、お祝い事を司る『吉将(幸運の神)』である。」
巻二十六:三十六卦大例所主法
(三十六種類の特別な占いの結果が、それぞれ何を司るかという例について)「『高蓋駟馬卦(こうがいしばか)』という結果が出た場合、それは公卿(最高幹部)や、身分の高い貴人、あるいはそれらに関連する喜び事を司る。この卦は、天馬が動き、伝(展開)に車乗(乗り物)が見え、最終的に華蓋(傘)に至るものであり、そこに天后(てんごう)、青龍(せいりゅう)、天一(てんいつ)、太裳(たいじょう)といった神が加わっている状態を指す。」
巻二十七:占病祟法
(病気の原因となっている祟りを占う方法について)「(占いの結果、十二天将の)勾陳(こうちん)が出れば、土の神や古くなった竈(かまど)の神が原因である。青龍(せいりゅう)が出れば、それは社神(しゃしん:地域の神社や土地の神)の祟り、あるいは風病(ふうびょう:風邪や神経疾患)、さらには古い食べ物を誤って食べたこと(食あたり)が原因である。天后(てんごう)が出れば、母親の幽霊や水辺の神が原因である。……」
巻三十:占産男女法
(生まれてくる子の性別を占う方法について)「(占術の結果として)用神に青龍(せいりゅう)または太裳(たいじょう)が出れば、男の子が生まれる。天后(てんごう)、太陰(たいいん)、騰蛇(とうだ)が出れば、女の子が生まれる。」
巻三十五:占有雨否法
(雨が降るかどうかを占う方法について)「雨は『龍』に従い、風は『白虎』に従うものである。占った時に、青龍(せいりゅう)と白虎が乗っている神(十二支)に勢い(有気)があれば、雨風が起こる。もし青龍と白虎が『雷(卯)』や『電(子)』を象徴する神と共に現れたなら、それは大雨となる兆しである。」
巻三十六:占晴法
(雨が止んで晴れるかどうかを占う方法について)「(占いの結果)功曹(こうそう:寅)が青龍(せいりゅう)となり、伝送(でんそう:申)が白虎となっている場合は、空が晴れる兆しである。」
『聖徳太子伝暦』(10世紀頃成立)
(四天王寺の建立地と龍神の伝承について)「この年、四天王寺の建立が始まり、(当初の地から)難波の荒陵(あさくら)の東下へと移し建てられた。『本願縁起』によればこうある。『(四天王寺の四箇院の一つである)敬田院(きょうでんいん)、この敷地内には池があり、名を荒陵池という。その底は深く、青龍が常に住まう場所である。丁未(ていび)の年に、はじめは玉造の岸の上に建てようとしたが、この地(荒陵)へと場所を改め、青龍を鎮め祀った。後の癸丑(きちゅう)の年に、荒陵の東へと移した。……この地には七宝(貴い宝)が敷き詰められている。ゆえに青龍は常にこの清らかな水を守護している。そこから東へ流れる水は「白石玉出水(しらいしたまでみず)」と呼ばれ、慈悲の心を持ってこれを飲めば、仏法の薬となるのである。』」
(小野妹子が隋から持ち帰った不思議な話)「秋九月、小野妹子が隋から帰国した。妹子は太子にこう申し上げた。『私が(隋の)衡山の般若台に到着した際、三人の僧に出会いました。二人はすでに亡くなっていましたが、一人はまだ存命でした。その僧が私にこう言ったのです。「かつて沙弥(修行僧)が誤って他の僧の経典を持ち去り、あなたに授けてしまった。ところが去年の秋、あなたの国の太子である元(もと)念禅法師が、青龍の牽く車に乗り、五百人の従者を連れて東方からやってきた。空を歩むようにして飛来し、かつての住坊を調べると、一巻の経典を取り出し、そのまま空を駆けて去っていった。……」と。』太子は(それを聞くと)かすかに微笑んで、何もおっしゃらなかった。」
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