青龍 ― 中国や日本に伝わる青い鱗を持つ龍 ―

青龍(せいりゅう)とは、中国や日本に伝わる青い鱗を持つ龍のこと。
東方を守護する四聖獣であり、日本では平安京の築造時に取り入れられている。
基本情報
概要
![]() |
| 高松塚古墳の青龍 |
青龍は、中国および日本に伝わる四神(四聖獣)の一種で、青い鱗(あるいは緑)を持つ神聖な存在として語られてきた。五行思想において東方を司り、春・木徳・生気を象徴する龍として、天文学・軍事・医学・占術、そして民間信仰の中で多層的な役割を担っている。
中国における青龍は、古代の天体観測にその源流を持つとされる。紀元前4〜3世紀頃の『墨子』や『呂氏春秋』には、十干と方位を対応させた体系の中で、東方を司る存在として青龍が配されている。古代中国の天文学では、東方の蒼龍七宿(角・亢・氐・房・心・尾・箕)の星々が龍の形として結び付けられ、四神体系の基礎となった。また、『漢書・律暦志』では木星の運行と密接に結びつけられ、一年の周期(歳)を定義する基準とされた。
前漢時代の『淮南子』では、青龍は高位の天象として語られ、時に天一や太陰と結び付けられる存在として示されている。また、東方の「木」の精気が長い年月を経て青金となり、そこから青龍が生じ、さらに雷や電、青雲といった気象現象を引き起こす循環の源として描かれている。
軍事・政治の面では、権威と秩序の象徴として機能した。『呉子』や『礼記』に見られる「左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武」の配置は、軍陣や儀式における絶対的な規範となり、聖天子の治世には鳳凰や麒麟とともに青龍が現れるという瑞祥思想(『後漢書』)を形成した。司馬相如の『上林賦』では、壮麗な離宮を飾る意匠として青龍が描かれ、権力の極致を象徴する意匠となっていた。
思想・道教の世界における青龍は、守護と導きの性格が強く示されている。『抱朴子』では、仙境である崑崙山の門に控える百余里もの巨大な守護獣として描かれる一方、神人が天から降り立つ際の随神(護衛官)として「左青龍」の形で随行する姿が記されている。こうした高貴な随伴者としてのイメージは、日本の陰陽道において青龍が出世や「公卿(最高幹部)」の象徴とされる背景となった。
医学の分野では、青龍はその力強い「生気」の象徴として処方名に採用された。後漢時代の『傷寒論』に記された「大青龍湯」「小青龍湯」は、体内に停滞した水気を強力に散らし、激しい喘鳴や発熱を鎮める名薬として知られ、現代に至るまで漢方医学の中で重要な位置を占めている。
日本における青龍は、飛鳥時代から奈良時代にかけて大陸より導入された宇宙観とともに定着した。その初期の姿は、高松塚古墳やキトラ古墳の石室壁画に見ることができる。また、『聖徳太子伝暦』には、聖徳太子が四天王寺建立にあたって荒陵池の底に住む青龍を鎮め祀ったことが記されている。
『続日本紀』には、大宝元年(701年)の朝賀の儀式において、日の像とともに青龍の旗が立てられたことが記されており、この時期には天皇の権威と国家の秩序を支える存在として、日本の儀礼体系に完全に組み込まれていたことがわかる。平安時代に入ると、青龍は陰陽師たちの実践的な占術の中に組み込まれていき、平安京の造営において「四神相応」の地相として具体化した。なお、平安京は、北の玄武(船岡山)、西の白虎(山陰道)、南の朱雀(巨椋池)に対し、東の青龍として「流水(鴨川)」を配することで、都市全体の霊的安定を図る設計がなされている。
さらに、平安中期には陰陽師・安倍晴明によって、青龍はより実務的な術法の中へと組み込まれた。晴明が編纂した占術書『占事略決』によれば、青龍は「十二天将」の一つに位置づけられており、中国以来の「雨は龍に従う」という性質を継承して気象を制御する実体的な力を見出す一方で、金運や慶賀、出世を司る吉神として定義された。この体系化により、青龍は都市を護る地相という枠を超え、時には「社神の祟り」や「食あたり」といった日常生活を占う指標となり、個人の運勢を左右する「式神」的な性格をも帯びるに至ったとされる。
| 種 別 | 神仏、伝説の生物 |
|---|---|
| 資 料 | 『墨子』『淮南子』『占事略決』ほか |
| 年 代 | 不明(紀元前) |
| 備 考 | 天文学・軍事・医学・占術・民間信仰など多岐に影響を与えている |
スポンサーリンク
スポンサーリンク
|
|

コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿