黒龍 / 黒竜 / 黑龍【こくりゅう / くろたつ / くずりゅう / ヘイロン】
珍奇ノート:黒龍 ― 中国や日本に伝わる黒い鱗を持つ龍 ―

黒龍(こくりゅう)とは、中国や日本に伝わる黒い鱗を持つ龍のこと。

五行思想では北方を司り、冬や水徳などを象徴する龍に位置づけられている。

日本では高龗大神や八大龍王と習合し、河川や湖沼を司る水神として信仰されている。


基本情報


概要


黒龍は、中国および日本に伝わる龍の一種で、黒い鱗を持つ神聖な存在として語られてきた。五行思想において北方を司り、冬や水徳を象徴する龍とされる。特に水を司る存在と認識され、降雨や河川、洪水と結びつくとともに、水徳の瑞祥として王朝の正統性や国家の安寧とも関連づけられてきた。

中国における黒龍は、古代中国の思想書『墨子』に「壬癸の日に黒龍を殺す」という記述が見られ、黒龍が北方および水に対応する象徴として、五行思想と干支に基づく方位観念の中に位置づけられていたことが伺える。また、『春秋繁露』には、冬の雨乞いの儀式において長さ六丈(約18メートル)の「大黒龍」を中央に据え、黒衣の老人が舞うしきたりが記されている。これは、黒色が水徳および北方に対応するという五行思想に基づく祭祀であり、黒龍がその象徴として重要な役割を担っていたことを物語っている。

『淮南子』によれば、黒龍は洪水と結びついた災厄的存在として描かれている。往古、天を支える柱が折れ、洪水が止まなかった際に女神・女媧(じょか)が「黒龍を殺して冀州(きしゅう)を救った」と記されている。これは黒龍が水の巨大な力の象徴として認識され、その討伐が秩序回復を意味する神話的表現であることを示している。

なお、中国の文献には黒龍と性質を同じくする存在として「驪龍(りりょう)」の名も見られる。『荘子』には「驪龍の顎下には宝珠がある」と記され、深淵に棲む霊龍として描かれている。驪は黒色を意味する語であり、驪龍は黒龍と同系統の観念に属する存在と考えられる。

政治・歴史の面では、黒龍は王朝の「水徳」と天命を体現する象徴として重視された。『史記(封禅書)』には、秦の始皇帝が天下を統一した際、かつて秦の文公が黒龍を捕らえたことを水徳の瑞兆と解し、秦が水徳の王朝であることの根拠とした経緯が記されている。衣服や旗を黒で統一し、黄河を「徳水」と改称したことも、その正統性を強調する政策であった。

その一方で、『漢書』では、不適切な時期に黒龍が現れることを「刑罰が残虐である」「天子が微行(身分を隠した外出・夜遊び)を行っている」といった天の警告とみなし、これを災異(天が為政者の過失を戒める異変)の一種として解釈している。黒龍は瑞祥となる一方で、為政者の過失を告げる兆しにもなり得る存在であったことが伺える。

日本における黒龍は、主に河川や湖沼を司る龍神として信仰され、特に福井県の九頭竜川流域や滋賀県の琵琶湖の竹生島などで祀られている。福井県では黒龍大明神として祀られ、日本神話に登場する水神である高龗大神などと習合し、河川の守護や治水を司る神として崇敬されてきた。このような信仰は、中国の五行思想における黒龍の観念の影響を受けつつも、日本の在来の水神信仰と結びついて独自の発展を遂げたものと考えられる。

福井県福井市の舟橋と毛谷にある黒龍神社の由緒によれば、雄略天皇21年(477年)に男大迹王(後の継体天皇)が越前国の三大河川の治水工事を行った際、北陸随一の大河である黒竜川(現在の九頭竜川)の守護神として高龗大神と闇龗大神の二柱の神霊を祀ったことに始まると伝えられている。なお、高龗大神は黒龍大神闇龗大神は白龍大神と称されており、これが当地における黒龍大神信仰の創始とされる。

ちなみに福井市の民話によれば、当地では古くは「くずりゅう」を「黒竜」と表記しており、黒竜大明神も「くずりゅうだいみょうじん」と読まれるとされる。また、黒龍神社も「くろたつじんじゃ」と呼ばれるなど、民話に基づく独特な呼称が今でも用いられている。

また、舟橋の黒龍神社においては、高龗大神(黒龍大明神)を「四大明神」の一柱であるとしている。この「四大明神」とは、天地の初めから国土を守護してきた四方位を象徴する四柱の神々を指し、東は茨城県の鹿島大明神(鹿島神宮)、南は和歌山県の熊野大権現、西は広島県の厳島大明神、北の福井県に黒龍大明神であるとされている。なお、『太平記』には、南北朝時代の戦火で黒龍神社が焼失した際に神霊が白龍となって飛び去った伝承が記されており、変幻自在な霊威を持つ存在として崇められていたことがわかる。

滋賀県の竹生島においては、都久夫須麻神社では龍神として黒龍大神と黒龍姫大神の二柱が祀られており、宝厳寺の黒龍堂にも黒龍が祀られている。竹生島の黒龍はいずれも八大龍王の一尊である黒龍を祀っていると伝えられ、黒龍堂の隣に立つ大木は黒龍が湖より昇って来る際の依り代となる神木と伝えられている。なお、竹生島は古来より龍神の島として知られ、『竹生島縁起』に基づく龍神の伝承は能の演目『竹生島』によって広められている。竹生島の龍神が黒龍と結びつけられた点については、竹生島の主神である弁才天が仏教における龍王信仰と結びつけられたことに起因する可能性がある。

また、大阪などにも黒龍大神などを祀る祠が散見されるが、西成区山王の黒龍大神については、かつて当地の池に主として大蛇が住み着いており、付近の住民から畏れ敬われていたと伝えられる。地元住民が池の周囲に大蛇を守護神として祀るため、「黒龍」「白龍」「天龍」の三つの祠を建てたのが始まりとされている。このように、民間信仰に基づく神として祀られている例もある。

福井市の民話における黒竜


福井市に伝わる民話によれば、かつて越前国は一面が湖であり、その湖は上下二つに分かれ、上の湖には青竜、下の湖には黒竜が棲んでいたとされる。この竜は雨を呼ぶ力を持ち、しばしば湖を氾濫させて周辺の田畑を水没させていたという。

そこで、越前の男大迹王子(後の継体天皇)は人々を洪水の苦しみから救うため、この竜を鎮めることを決意した。王子は足羽山に登り湖を見渡したところ、現在の三国付近にある岩山が湖水の流出を妨げていることを見出し、これを切り開くために鏑矢を放った。矢は湖上を巡ったのち岩山の彼方へと飛び去り、それに導かれるように湖水は岩山を突き破って海へと流れ出した。この現象は三度繰り返され、ついに湖水はすべて海へと排出され、湖は消滅したとされる。

また、その鏑矢は戻ってきて足羽山の麓に突き刺さった。そのため、その場所は立矢(たちや)と名付けられ、鏑矢は矢立大明神と称されて社に祀られたという。さらに岩山が突き破られた場所は、銚子から酒が雪崩出るように流れ落ちたため、銚子口と呼ばれるようになったとされる。

こうして湖の跡には川が形成され、これが黒竜川(くずりゅうがわ)※になったという。そして王子は、湖の主であった黒竜の霊を川のほとりに祀って、黒竜大明神(くずりゅうだいみょうじん)としたと伝えられており、今は黒竜神社(くろたつじんじゃ)と呼ばれている。

※古くは「黒龍」と書いて「くずりゅう」と読んでいたとされる。

種 別 伝説の生物
資 料 『墨子』『淮南子』『漢書』ほか
年 代 不明(紀元前)
備 考 日本では高龗大神や八大龍王と習合して祀られる