玃(やまこ) ― 山に棲む猿のような妖怪 ―
玃(やまこ)とは、山奥に棲む猿のような妖怪のこと。
人の言葉を理解し、心を読むとされ、親交がある場合は仕事を手伝うこともあるといわれている。
また、黒坊と呼ばれることもあり、中国に伝わる玃猿と同一のものと考えられている。
基本情報
概要
ヤマコは飛騨や美濃の山奥に棲む猿のような妖怪で、『和漢三才図会』には 身体は大きく、黒く長い毛を持ち、立って歩く といった特徴があり、人の言葉を話し、親交がある場合は仕事を手伝うこともある と記されている。また、人の心を読み、危害を加えようとすると察して逃げてしまうため、捕獲することはできないようだ。
なお、中国では玃(カク)と呼ばれており、中国の文献には、大きな猿のような獣で、色は青黒く、人や動物をさらう、全てがオスであるため人の女をさらって子を産ませる、また、出世魚のように変化した猿の一種で、500歳を超えた猨が玃になるともいわれている。よって、ヤマコは中国に伝わる玃猿(カクエン)と同一と考えられている。
また、日本では黒坊(くろんぼう)とも呼ばれ、『享和雑記』には美濃国の山中の村に黒坊が現れたという話が載っており、黒坊は仲良くなった木こりの仕事を手伝うようになったが、同時期に村の女に夜這いをかけようとする怪物が現れるようにもなった。やがて怪物は退治されたが、それ以降 黒坊が現れなくなった と記されている。なお、この随筆の著者は、黒坊を中国の文献に登場する玃(カク)と同一のものと推定している。
ちなみに、山に棲む妖怪にはヤマコと同様に人の心を読むとされるものが多い(サトリやヤマワロなど)。
・猿に似ている
・大きな身体を持つ(色は青黒いとも)
・二足歩行
・人の言葉を話す
・人の心を読む
・オスのみが存在する(人に子を産ませる)
データ
種 別 | 日本妖怪 |
---|---|
資 料 | 抱朴子、本草綱目、和漢三才図会、享和雑記 |
年 代 | 江戸時代 |
備 考 | 中国のカクエンと同一という説がある |
同種とされる妖怪
覚(さとり) ― 心を読む山の妖怪 ―
覚(さとり)とは、人の心を読むといわれる山の妖怪のこと。 山小屋などに現れて相手の心を読み、隙をつくって襲いかかるといわれている。
資料
『抱朴子』
獼猴(みこう)は800歳で猨となり、猨は500歳で玃(かく)となり、玃は1000歳で蟾蜍(せんよ)となる。
『本草綱目』
玃(かく)は老猴(老いた猿)である。
蜀の西方の外山の中に棲んでおり、猴(猿)に似て大きく、色は青黒く、よく人の前に現れる。また、人や動物をさらうのが得意で、振り向いて睨むことも多い。故に玃という。
全てオスでありメスは無い。そのため、また玃父(かくほ)ともいい、人の婦女と交わって子を産ませる。
もし、人の女をさらうことができれば世帯を為す。子を産まない女は生涯 人里に戻ることはできず、10年も共に生活すれば玃に姿が似てくる。また、惑わされて帰ろうとも思わなくなる。
子を孕んだ女は人里に戻されて実家で出産する。なお、子は人の形で生まれる。もし母親が育児を放棄すれば、たちどころに玃に殺されてしまうので、これを恐れて育児しない者はいない。
この子らは、成長しても人と大きな違いはなく、皆 楊という性を名乗る云々…。
『和漢三才図会』
飛騨や美濃の深い山の中に棲む猿のようなものがいる。
身体は大きく、黒く長い毛を持ち、立って歩く。また、人の言葉を話し、人が考えていることを察する能力があるようだ。しかし、人に危害を加えるようなことはなく、地元の人々からは黒坊(くろんぼう)と呼ばれて、互いに恐れることはない。
人がもし殺してやろうなどと考えると、黒坊は先に意を察して走り去ってしまう。また、捕まえようとしても同じく意を察して逃げるので、捕まえることはできない。
『享和雑記』
美濃国の大垣の北方に外山という所があり、その先の根尾に至る山中には27の村がある。
この山には「黒ん坊」と呼ばれるものがおり、姿は猿のようだが背丈が大きく、色が黒くて長い毛を持つ。立って歩く様子は人と変わらず、人語を巧みに操る。また、人間の心を読む能力を持ち、人が黒ん坊を殺そうと思っても、意を察して逃げてしまうので、捕らえることが出来ない。
ある時、この黒ん坊が善兵衛という木こりに馴れて、善兵衛の仕事を手伝うようになった。それは大きな助けとなり、危害を加えることはなかった。それからというもの、黒ん坊は度々 善兵衛の家にやって来ては、人のように働くようになった。
この善兵衛の家の近くには、30歳くらいになる後家が住んでいた。その女は美しく、子に10歳ばかりの男児がいた。人々は再縁を勧めたが、ゆくゆくは子に家督を継がせようとの考えていたので、女は縁談を断り、独身で暮らしていた。
しかし、ある時期から夜更けに誰かが女の寝床に現れてしきりに犯そうとするようになった。それが夢とも現実とも定かではなかたので、後家はただ恐れるばかりだったが、ついに人々にそのことを打ち明けて相談した。
話を聞いた村人たちは、正体を見極めようと女の家の物陰に忍んで待っていた。しかし、その夜は現れず、さらに2,3日待ったが、その間には何事もなかった。それで待つのをやめると以前のように怪しい者が現れるようになった。
女は心を痛めて、家に伝わる観音像に救いを求めて一心に祈ると、その夜に「人頼みでは、お前の難儀は去らぬ。心を定めて決着をつけよ」との観音様のお告げがあった。
女はお告げの通りに覚悟を決めて待っていると、その夜にまた怪しい者が現れた。その者は怒りや怨みで逆上した様子で「思い通りにならないならば、この観音像を壊してやる」と言って観音像を掴み取った。その瞬間に女は隠し持った鎌で その者を切りつけると、それは大いに狼狽して逃げ去ってしまった。
翌日、後家の子が近所を走り回って人を集め、怪しい者の血痕を辿っていくと、それは善兵衛の家の縁の下に入り、そこからさらに山の方に続いていった。その後、善兵衛の元に黒ん坊が来ることがなくなったので、皆は黒ん坊の仕業に違いないと言ったという。
この黒ん坊とは、「玃(やまこ)」の類であろう。玃のことは『本草綱目』に記されており、オスばかりでメスがおらず、人の女と交わって子を為すという。美濃・飛騨は深山が多いので、そうした者も棲んでいるのだろう。
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