尼彦【アマビコ】
珍奇ノート:アマビコ ― 江戸時代に熊本県に現れた猿人間のような予言獣 ―

尼彦(あまびこ)とは、江戸時代に肥後国に現れたと伝わる怪物のこと。

丸い身体の猿人間のような姿をしており、豊作と流行病の予言を残したとされている。


基本情報


概要


尼彦は、江戸時代に肥後国(現・熊本県)に現れた怪物で、豊作や流行病の予言を語る予言獣の一種とされている。

当時の瓦版によれば、肥後国で"夜毎 猿の声が人を呼ぶ"という噂が立ち、噂を聞きつけた柴田左衛門なる者が現場に向かってみたところ、猿人間のような化物と遭遇した。そして「我は海中に住む尼彦と申す者である。この先 6年間は豊作になるが、諸国に疫病が流行るかもしれないので、自分の姿を絵にして貼っておけば病難を逃れられるだろう」と言って去っていったという。

なお、瓦版にある挿絵は、人のような顔で、毛に覆われた丸い胴体から3本の足が生えている という姿で描かれている。

江戸時代の瓦版には尼彦のような予言獣の記事が多く、類似するものに尼彦入道・海彦・アマビエ・天日子尊・アリエをはじめ、くだん・神社姫・豊年亀などが存在する。

なお、これらの予言獣の語ることには「疫病・厄災を免れるには自分の姿を描いた絵を貼って置くこと」といった共通点が見られる。そのため、懐疑派からは「瓦版を売るための手法」「宗教家による布教活動の一環」という説も唱えられている。



尼彦の肉筆画


珍奇ノート:アマビコ ― 江戸時代に熊本県に現れた猿人間のような予言獣 ―

肥後国で"夜になると人を呼ぶ猿のような声がする"という噂が立ち、これを聞きつけた柴田彦左衛門なる者が現地に向かったところ、猿人間のような3本足の獣と遭遇した。

その獣曰く「我は海中に住む尼彦と申す者である。これから6ヶ年は豊作になるが、諸国に疫病が蔓延するかもしれないので、我が姿を写した絵を貼っておけば必ず病難を免れることができるだろう」と言い残して去っていった。


データ


種 別 日本妖怪、UMA
資 料 江戸時代の瓦版
年 代 江戸時代
備 考 予言獣の一種

尼彦に類似する奇談


尼彦入道



江戸時代の瓦版に、日向国(現・宮崎県)に海中から尼彦入道と名乗る予言獣が現れたという記事がある。

その記事によれば、尼彦入道は日向国のイリノ浜沖にいた芝田忠太郎なる者の前に現れて「これより6ヶ年は豊作が続くが、悪病も蔓延する。我が姿を写した絵を貼って朝夕 目にしておけば病難を免れるだろう」と言い残して去ったという。

なお、瓦版にある挿絵は、禿頭で濃い眉毛に深いシワのある男の顔で、胴体にはヒレや翼に見える一対の部位があり、体全体がウロコに覆われており、鳥のように細い足が9本あるといった、異様な姿になっている。

海彦



江戸時代の瓦版に、越後国(現・新潟県)に海中から海彦(アマビコ)と名乗る予言獣が現れたという記事がある。

その記事によれば、天保15年(1844年)に越後国に現れて「年中に国の人口の7割が死滅するが、自らの姿を絵札にして持っておけば これを免れる」と言い残して去ったという。

なお、瓦版にある挿絵は、頭部に人間のような耳・丸い目・突出した口を持ち、頭部から そのまま3本の脚が生えているといった、異様な姿になっているという。

アマビエ



江戸時代の瓦版に、肥後国(現・熊本県)に海中からアマビエと名乗る予言獣が現れたという記事がある。

その記事によれば、弘化4年(1846年)の4月中旬に肥後国に現れて「当年より6ヵ年は豊作となるが、もし病が流行ったら私の姿を写した絵を人々に見せよ」と言い残して海中に去っていったという。

なお、瓦版にある挿絵は、頭部に長い頭髪・丸い目・突出した口を持ち、ウロコに覆われた胴体から3本の足またはヒレが生えているという人魚のような姿で描かれている。

天日子尊



明治時代の東京日日新聞に新潟県湯沢町の田に天日子尊(あまひこのみこと)と名乗る妖怪が現れたという記事がある。

その記事によれば、明治8年の3月15日頃 越後湯沢にて田の中から人を呼ぶ声がするので向かってみると、そこには人ではない異形の化物が立っていた。恐ろしくて誰も近づかなかったが、ある士体の人が近づいて話を聞いたところ、その化物はこのように語った。

「我は天日子(あまひこ)の尊(みこと)なり。今ここに出現した理由は、この村において これより7年間 凶作が続き、日に日に人口が減って今の半分になるだろう。予はこれを哀れんで諸人に知らせるべく現れた。これより、我の姿を写した絵を各家に貼り、朝夕 敬ひ祭れば、7年の災難を免がれるだろう」

これにより、村の人々は各家の軒先に天日子尊の絵札を貼ったという。

アリエ



明治時代の山梨日日新聞に肥後国の海にアリエと名乗る妖怪が現れたという記事がある。

その記事によれば、明治9年 肥後国青鳥郡の海に夜になるとおかしな者が現れた。それは、ウロコをピカピカと光らせて歩き、老婆のような風体で、身体は丸かった。あまりに奇妙な姿なので見たものは恐怖し、誰一人として近づかなかった。

この噂を聞きつけた柴田某という者が、自分の目で見届けようと夜に現場を訪れて待っていた。すると、おかしな者が現れたので、柴田某は「こら待て、妖怪め!」と声をかけたところ、おかしな者は

「我は海中に住むアリエという者である。人々に今後の吉凶を伝えようと思ってやって来たが、我が姿を見て皆 逃げてしまうのでなかなか話せなかった。だが、幸いにも貴方に声をかけられたので、我の知ることを話そう。この年から6ヶ年の間は豊作になるが、6月より疫病が流行り、コロリの如く広まって6割ばかりの人々が死に絶えるだろう。こそこで我の姿を写した絵を貼り置き、朝夕 目にすれば これを避けられる」

と語って海中に去っていったという。

※同年の長野新聞に引用記事があるが、肥後国に青島郡や青沼郡というは地名が実在しないため妄説であるとしている。