山男/山𤢖【ヤマオトコ/ヤマワロ】
珍奇ノート:山男 ― 山に棲む巨人のような妖怪 ―

山男(やまおとこ)とは、日本の山奥に棲む巨人のような妖怪のこと。

人に対して無害で、荷物を運んだり、仕事を手伝ってくれたりするといわれている。


基本情報


概要


山男は日本各地の山に棲むといわれる巨人のような妖怪で、特徴については諸説あるが、体長は1.8~6メートルで、裸体に樹皮や毛皮などを纏っており、人の言葉は話せないが、人の動作を見て相手の意思を理解するといわれている。

また、人間に対して危害を加えることはなく、山の中で遭難した人を助けたり、酒やタバコを与えると仕事を手伝ってくれたり、人里に降りて奉仕することもあるとされる。その一方、青森県では目にするば病気になるともいわれているようだ(ただし、大人と同一とした場合)。

山男の伝承は青森・秋田・静岡・新潟など幅広い地域に存在するが、柳田國男によれば 日本の概ね定まった10数ヶ所の山地のみに伝えられており、小さな島には居ないとされている。

また、『想山著聞奇集』では山𤢖(やまわろ、やまおとこ)としても紹介されており、中国の山𤢖(さんそう)という妖怪との関連性も指摘されている。なお、中国の山𤢖は、身長約3メートルで、エビやカニを捕らえて焼いて食べ、爆竹などの大きな音を嫌い、これを害した者は病気にかかる、と紹介されている。

山男の特徴
・体長1.8~6メートル
・裸体に腰蓑といったような姿
・酒や煙草を好む
・人に対して無害で手伝うこともある

データ


種 別 日本妖怪、巨人
資 料 『絵本百物語』『東武談叢』『想山著聞奇集』ほか
年 代 不明
備 考 東北では大人とも呼ばれる

類似する妖怪



資料


『絵本百物語』


珍奇ノート:山男 ― 山に棲む巨人のような妖怪 ―

山男

遠州(静岡西部)の秋葉の山奥には山男というものがおり、時折これに遭遇することがある。

木こりの重たい荷物を背負って助け、里近くまで来ては すぐに山中へと戻っていく。彼らには家がなく、従類眷属もないため、棲家を知るものはいない。手助けの賃銭を払おうとしても受け取らないが、酒が好きで与えると喜んで飲む。

言葉が通じないが、身振り手振りで意思を伝えようとすると 山男はすぐに意を覚る。山男の出生や最期も明らかでなく、背の高さは2丈(約6メートル)ほどで、それより低いものはいない。山気が変じて人の形になったという説もある。

昔、遠州のしらくら村というところに又蔵という男が居た。病人が出たため医者を呼びに行く途中、又蔵は足を踏み外して谷に落ちてしまった。木の根で足を痛めてしまい歩くこともできず、又蔵は谷底でじっとしていると、どこからともなく山男が現れて、又蔵を背負い、屏風のような岩を軽々と登って医者の家の前に又蔵を下ろして去っていった。

後日、又蔵は助けてもらったお礼に小竹筒に酒を入れて谷に向かった。すると、2人の山男が出てきて酒の飲んで喜んで帰っていったという。なお、この話は古老によって言い伝えられ、この地では有名な話である。

各地の伝承




青森県の伝承



青森県の赤倉岳には大人(おおひと)と呼ばれる大男がいる。力士よりも背が高く、山から里に降りることもある。目にすると病気になるといわれるが、魚や酒を与えると農作業や山仕事などを手伝ってくれるという。

弘前市の伝承によれば、弥十郎という男と仲良くなった大人が彼の仕事を手伝うようになった。さらに田畑を灌漑するなど、村人のためにも働いたが、弥十郎の妻に姿を見られたために村に現れなくなり、大人を追って山に入った弥十郎も大人となったという。



秋田県の伝承



秋田県北部では、山男は山人(やまびと)または大人(おおひと)と呼ばれ、津軽との境に住んでおり、煙草を与えると木の皮を集める仕事を手伝ってくれたといわれている。



『東武談叢』



慶長14年(1609年)4月4日、駿府御殿の庭に乱れ髪の男がどこからともなく現れた。その男は、破れた着物を着て、四肢に指がなく、青蛙を食べており、居所を尋ねると、手で天を指すのみであった。

徳川家康の側近はこの男を殺そうとしたが、家康が殺すなと命じたため城外に放たれ、その後の行方は分からなくなった。



『想山著聞奇集』



山𤢖(やまおとこ)の事

ある木こりが早朝に山に入り、物を割るような音が響いたので振り返ると、真っ黒い大きな体で薄赤い顔に茶碗ほどの大きさの目が白く光るものが立っていた。木こりは山小屋へ逃げ込んだが、そのまま3日間寝込んでしまった。

なお、文政 (1818~1830年) のはじめ、木曽の山中で1メートルもある草鞋(わらじ)が見つかったという話がある。これは、山𤢖(やまわろ)のものに違いないといわれたが、山𤢖を見たという木こりもいない。

そのため、結局どこに住んでいるのか、本当に存在していたのかは分からない。



『北越奇談』


珍奇ノート:山男 ― 山に棲む巨人のような妖怪 ―

越後国高田藩(現・新潟県上越市)には山男がおり、山仕事をしている人々が夜に山小屋で火を焚いていると、山男が現れて一緒に暖をとることがよくあった。

その山男は身長は6尺(約1.8メートル)で、赤い髪と灰色の肌のほかは人間と変わりなかった。また、牛のような声を出すのみで言葉は喋らないものの、人間の言葉は理解できた。

山男は腰に木の葉を纏っているのみだったので、ある者が獣の皮を纏うことを教えたところ、翌晩には鹿を捕えて その者の前に現れた。そのため、そこで獣皮の作り方を教えてやったという。

『北越雪譜』



天保年間から40~50年前、越後魚沼郡堀之内から十日町に通じる山道を通りがかった竹助という者が、午後4時頃に道の側に腰かけて焼飯を食べていると、谷あいから猿に似たものが現れた。

その背丈は人と同じくらいで、顔も猿のようには赤くなく、長い頭髪が背に垂れていた。それは害を及ぼす様子はなく、焼飯を欲しがるそぶりを見せるので、竹助が与えると嬉しそうに食べた。

すると、この者は竹助の荷物を肩に掛けて山道を先に歩き、1里半ほど行って池谷村に近くなったところで荷物を下ろして素早く山へ駆け登った。また、その当時、山で仕事をする者が折々この「異獣」を見たという。



『譚海』



相洲箱根(現・神奈川県足柄下郡)にいる山男は、裸体に木の葉や樹皮の衣を纏い、山中で魚を獲り、里で市のある日には人里に降りて、獲った魚を米に替えたという。

住処を確かめようとしても、絶壁すらない山道を飛ぶように去ってゆくため、決して住処をしることはできない。小田原の城主は人間に無害だったので銃で撃つことなどを規制していた。そのため、山男に危害を加えようとする者はいなかったという。



宮崎県の伝承



明治20年(1887年)頃、日向国南部の某村の身上という者が山に入って「異人」と遭遇した。

その異人は白髪の老人のような姿で、腰から上は裸体、腰に帆布のような物を纏っており、ニコニコと笑いながら近寄ってきた。驚いた身上は、狩猟用の刀の柄に手をかけて「来ると打つぞ」と怒鳴ったが、その者は頓着せず、笑いながらさらに近寄って来たので、怖ろしくなって山を逃げ下りた。

それから約1ヶ月後、同じ村の若者がこの山でキジを見つけ、鉄砲で狙いを定めて撃とうとすると、横から近寄って若者の右腕を柔らかく叩く者がいた。それは先の異人であり、同様にニコニコと笑いかけてきた。

若者は恐怖のあまり気が遠くなり、その場で放心して立ち続けていたところを里人に発見されたという。