ウワバミ ― ネズミのような耳を持つ大蛇 ―
蟒蛇(うわばみ)とは大きなヘビの俗称で、一般的にはボア科のヘビを指すとされている。
古くはオロチと区別される大蛇であるとされ、ネズミのような耳を持つという特徴があるともいわれている。
また、文献や民間伝承では、人を襲って食べる妖怪じみた大蛇として伝えられることもある。
基本情報
概要
和漢三才図会のウワバミ |
ウワバミは大きなヘビの俗称であるが、オロチとは区別されていることも多く、江戸時代の国学者である本居宣長は「蛇の大きいものを宇波婆美(うわばみ)といい、最大のものを巨蟒(おろち)という」と定義づけているという。
また、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では「『本草綱目』によれば、嶺南(中国の広東省やベトナム北部)の山林に棲んでおり、大きいもので体長10~12メートル、胴回りは1.7メートルほどある。身体に錦斑紋の斑点があり、鹿を丸呑みにし、一頭の鹿を呑めば一年の食料が足りる。土地の人は捕らえて膾にして食うこともあり、肝は薬にもなるという。推考するに日本では深山に棲み、丸く平たい大きな頭を持ち、目は光って大きく、背は灰黒色、腹は白がかった黄色で、舌は真紅である。また、小さいネズミのような耳を持ち、この耳のある蛇をウワバミというのだろう。だが、耳の無いものを何というかはわからない」と説明されており、「ネズミのような耳を持つ大蛇」がウワバミと定義されている。
なお、ウワバミは「獲物を丸呑みにして、眠ると大いびきをかく」といわれることから、大酒飲みの人を「うわばみ」と呼んだり、大いびきをかくことを「ウワバミのようないびきをかく」と言う、といった俗語も生まれたようだ。
また、江戸時代の『耳袋』『想山著聞奇集』といった奇談集や各地の民間伝承では、ウワバミは妖怪じみた大蛇として伝えられており、その話の多くが「人を襲って食べる大蛇」とされているが、中には「姿を見たり、息を吹きかけられたりすると病に罹る」「旱魃の時に祈ると雨を降らせてくれるため水神として祀られている」といったものもある。ただし、こうした話は他の大蛇や龍蛇神の伝承にも見られるため、これらと混同されていることも多いと思われる。
データ
種 別 | 日本妖怪、UMA |
---|---|
資 料 | 『和漢三才図会』『耳袋』『想山著聞奇集』ほか |
年 代 | 不明 |
備 考 |
資料
文献
『和漢三才図会』
蚺蛇
『本草綱目』によれば、嶺南(中国の広東省やベトナム北部)に棲んでおり、大きいものは長さが10~12メートル、太さは1.7メートルほどあり、小さいものでも長さ6~8メートルある。身体に錦斑紋の斑点があり、春・夏は山林の中に棲んでいて鹿を呑み、消化すると太る。また、一頭の鹿を呑めば一年の食料が足りるという。
鱗の中に髭のような毛があるため、蚺(うわばみ)と名づけられたという。鎌首を持ち上げずに這うのが蚺蛇で、なかなか死なずに長生きする。土地の人は これを捕らえると膾にして食うが、蚺蛇を酢につけると縮まるので、人の腕に巻き付いてしまうと縮まってとれない。
胆(きも)は苦く、中に甘みがあるが、少し毒があるから気をつけなければならない。胆の状は丁度鴨の卵くらいで、上旬には頭の近く、中旬には真中あたり、下旬には尾の方に移動するという。胆を粟粒ほどとって綺麗に水に浮かべると、くるくると早く回るのが蚺蛇の胆であり、猪や虎の胆も水上で回るが遅いので区別がつく。小児の疳の病や癇の病に効果があり、目の病にもよい。
『五雑俎』という本には「蚺蛇はよく鹿を呑むが、草の花や婦人が好きである」と記されており、この地方の山間には蚺蛇藤と名付けられた蚺蛇が好む植物がある。ゆえに蚺蛇を捕らえようとする者は、この藤の花を髪の毛に挿して婦人の紅い衣をつけて近づいて行く。すると、蚺蛇はこれをじっと見つめて動かなくなるので、素早く紅い衣を頭から被せて藤蔓で捕らえるのである。
その胆を取る時は竹で蚺蛇の身体を叩いて行くと、胆が一ヵ所に集まるので、そこを裁り裂けば胆を落として手に入れることができる。蚺蛇は胆を取られても一向に平気で、捕者のなすままにしている。後で他の者が胆を取ろうとすると、くるりと仰向けになって腹を見せ、もう胆を取られてないと見せるという。
その胆を粟粒ほどでも口に含むと身体はすこぶる健康になり、たとえ厳しい拷問を受けたとしても身体が参ることはない。ただし、蛇の性は寒性はなはだしいので陰部の器官を冷やしてしまい、子種を無くしてしまう。よって、使い方には注意が必要である。
推考するに日本のうわばみは深山に棲んでいる。その頭は大きく丸く平で、目は大きく光り、背は灰黒色、腹は白がかった黄色で、舌は真紅である。この蛇は獲物を食べて満足すると眠り、そのいびきは数十歩先にいても聞こえるほど大きい。よって、人が大いびきをかくと「蚺蛇のようないびきをかく」といわれるのである。
蚺蛇には小さな6センチばかりの耳がついており、その形はネズミのようである。つまり、耳のある蛇をうわばみというのだろうが、耳のない無いものを何というのかについては明らかではない。
『耳袋』
肥後国蟒の事
肥後国(熊本県)天草郡井出村に24歳になる熊蔵という百姓がおり、身体が大きく力強いので相撲を得意としていた。また、蛇などをいとも簡単に捕まえることができる不思議な能力もあり、捕まえた蛇を弄んだりしていた。
享和元年(1801年)4月9日のこと。熊蔵が井出村と鬼の池の境にある谷間の田に肥やしを入れようとしたところ、山から5、6メートルもあるウワバミが現れた。ウワバミは熊蔵を飲み込んでやろうと窺っており、田のある場所は谷間の深い場所だったので急に逃げ出すこともできなかった。
そこで、熊蔵は桶を担いできた棒を取り出して、5,6回ほどウワバミを叩いた。しかし、鉄でも打っているような硬い音がするばかりで効き目がなく、打った拍子に棒を取り落としてしまった。ウワバミは熊蔵に襲いかかろうと肩の方へ向かってきたが、熊蔵は相撲で鍛えた投技を使って投げ飛ばした。
それでもウワバミが向かってくるので、熊蔵は受け止めて投げ、受け止めては投げを繰り返した。だが、ウワバミの方も熊蔵の攻撃を受け止めて、間合いを見ながら隙を窺っている。
そこで、熊蔵はうわばみに向かって大声で「私には親兄弟がいる、村に一旦帰り、彼らに暇乞いをしたいのだ。それから、また勝負しようじゃないか、だからここで私が帰ってくるのを待っていろ」と言い、急いで家に帰って事の次第を話し、脇差を帯びて、再びウワバミの元へと戻っていった。
また、熊蔵の話を聞いた村人たちも鎌や棒を用意し、50~60人集まってウワバミを殺すために山陰に身を潜めた。
熊蔵は「約束通りに戻ってきたぞ」と大声で叫んだが、熊蔵の義理に感心したのか、大勢集まった仲間を恐れたのか、結局ウワバミは姿を現すことはなかった。なお、ウワバミが現れた辺りは草木が押し倒され、土石も崩れていたという。
『北越奇談』
越後(新潟県)の村松藩では釣りが盛んで、河内谷の渓流に各々の気に入った釣り場を持っていた。
ある日、藤田某という侍が朝から河内谷で釣りをしていたが、昼を過ぎても全く魚が釣れなかったので、川の浅瀬を渡って沢伝いに上流の方へと登っていき、良さそうな場所を探した。
すると、山陰深く淵に臨む、滑らかだが良い具合に凸凹のある三畳ほどの大きさの岩が見つかったので、早速 その岩の上に腰掛けて、釣り糸を垂れた。そのとき、向かい岸に一人の同僚がやってきて釣りを始めたが、急に釣り竿をしまい始めた。
そして、黙ったまま藤田の方に向かって手招きをして早く帰るように促すと、慌てふためいた様子で川下へと逃げていった。藤田はそれを見てなんだか薄気味悪くなったので、岸に上がって急いで帰ることにした。
浅瀬まで戻ると先程の同僚に追いついたので、どういうことなのか尋ねてみると、同僚は大きな息をついて「お前は気が付かなかっただろう…、お前の座っていたあの岩、突然 両目が開いて、大きな口を少し開けてあくびをしたのだ。その真っ赤な眼が火のように光っていて、まあ、恐ろしいことといったら…あれはきっとウワバミだぞ、だから逃げ帰ったのだ」と語った。
その後、藤田は友人たちを伴って、先の場所へ行ってみたが、例の岩と思われるものは無くなっていた。これは山中に棲む大蝦蟇に違いない。
民間伝承
ウワバミを見た僧
鷹の巣という淵は昔は大沼であり、ウワバミが山から通って来ていたという。江戸時代の安永年間(1772~1781年)に自在院の僧が水上に現れたウワバミの恐ろしい姿を見たところ、すぐに病に罹って100日あまり苦しんだという。
猟師を救った猟犬
ある猟師に飼われていた猟犬が、どうしたことか夜中に吠え続けた。このままでは眠れないと思った猟師が猟犬の首を刎ねたところ、その首は猟師の命を狙っていたウワバミに喰らいつき、ひるんだ時に猟師が止めを刺した。猟師は この猟犬を手厚く葬って遺体の上に塚を築いた。この塚を犬塚と呼ぶ。
ウワバミの息
ある老婆が淋しい堰にて松の木に足を掛けて水を飲もうとしたところ、足元がふらついたので その松の木をよく見てみると、それは巨大なウワバミだった。そこで、ウワバミに息を吹きかけられて一ヶ月の間寝込んでしまったという。
ウワバミと岩神
昔、この地方に大木ほどの大きさの大蛇が現れて村人を襲ったので、侍に依頼して大蛇を退治してもらった。その後、大蛇の頭をウワバミと呼んで祀ったが、この名は後世に岩神へと転換されていったという。
猟師を救った猟犬
ある猟師が猟犬を連れて狩りをしていたところ、夜中になって猟犬が大きな声で鳴くので、うるさく思って首を刎ねてしまった。すると、その首は猟師の頭上にいたウワバミに喰らいついて追い払ってくれた。猟師は、猟犬が自分の命を救ってくれたことに感謝して、石碑を立てて首を祀ったという。
根羽村の伝承
昔、山上の池には一匹のウワバミが棲みついており、村人達に恐れられていた。そこは今では窪地になっており、水神様が祀られているという。
三次郡の伝承
今の三次郡辺りにはウワバミが棲むといわれている淵があり、旱魃の時には木を刈って淵を埋めて祈れば雨が降るという。
老夫婦に育てられたウワバミ
昔、屋代島の村に子に恵まれなかった老夫婦がいた。ある日、この老夫婦が明神様に参ったところ、その境内で卵を拾った。そこで、育ててみると中からウワバミが生まれた。
老夫婦は一と名付けて我が子のように大切に育てたが、村人達が恐れるので、やむなく捨てることにした。その後、一は村に現れた怪物を退治したが、その戦いで自分も死んでしまったという。
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