浅草の牛鬼 ― 浅草に現れた牛のような怪物 ―
浅草の牛鬼とは、東京都の隅田川に棲んでいたと伝わる牛のような怪物のこと。
鎌倉中期に浅草寺に現れたという記録があり、これを目撃すると病に罹ったり、即死するとされている。
基本情報
概要
浅草の牛鬼は、鎌倉中期に浅草寺に現れたと伝わる牛のような怪物で、隅田川に棲んでいるといわれている。
『吾妻鏡』によれば、建長3年(1251年)3月6日に武蔵国の浅草寺に牛のような怪物が忽然と現れ、寺を忙しく走り回ったとされる。その時、寺の食堂に集まっていた50人ばかりの寺僧が牛の怪物を目撃したが、その内24人がたちまち病に倒れて日常生活がままならなくなり、その内7人は即死してしまったという。
『新編武蔵風土記稿』によれば、浅草川(隅田川)から牛鬼のような異形の怪物が飛び出し、周辺を走り回った後に牛御前社(牛嶋神社)に入って忽然と行方知らずになったが、その時に一つの玉を落としていった。これが牛御前社の社宝の牛玉である とされている。
この伝承については、牛嶋神社の祭神が須佐之男命(スサノオ)であり、この神と牛頭天王(ゴズテンノウ)が同一視されることから、隅田川から現れた牛鬼は牛頭天王の化身ではないかといわれることがある。また、一説には牛嶋神社に納められた牛玉の力は当社の撫で牛に移ったといわれており、この撫で牛を撫でてから病を患った部分を撫でると、あっという間に回復するといわれている。
また、古浄瑠璃『丑御前の御本地』も上記と似た内容になっているが「源満仲のもとに丑御前という鬼のような子が生まれ、満仲に嫌われて殺されそうになったが、母の計らいで密かに生かされていた。丑御前は素行が悪く、公家に乱暴を働いた罪で関東に流刑にされた。そこで丑御前は関東で兵を集めて都に復讐しようとしたが、頼光が率いる官軍に滅ぼされそうになったので、丑御前は巨大な牛鬼と化して暴れまわった」という内容になっている。
この他にも、別説として「浅草に女型の牛鬼が現れた」という伝承がある。
データ
種 別 | 日本妖怪、伝説の生物、UMA、鬼 |
---|---|
資 料 | 『吾妻鏡』『新編武蔵風土記稿』ほか |
年 代 | 鎌倉時代ほか |
備 考 | 「牛御前伝説」に関連付けられる |
・浅草寺:鎌倉中期に牛のような怪物が現れたとされる(東京都台東区浅草二丁目3番1号)
・牛嶋神社:社宝の牛玉は牛鬼の落とした物だとされている(東京都墨田区向島1-4-5)
・牛嶋神社:社宝の牛玉は牛鬼の落とした物だとされている(東京都墨田区向島1-4-5)
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