来訪神【ライホウシン】
珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

来訪神(らいほうしん)とは、年に一度の決まった時期に人々の世界に現れて、豊穣や幸福をもたらすとされる神々のことで、日本では全国各地に来訪神を歓待する風習が残っている。

この行事に登場する来訪神は、仮面仮装した異形の姿で人々の前に姿を現すが、その姿形や来訪する理由などは各地によって異なる。そこで、今回は全国各地に存在する来訪神を特集しようと思う。



ナゴメタクレ(青森県西津軽郡)


ナゴメタクレ(火斑剥れ)は青森県西津軽郡に伝わる来訪神で、当地では火斑(ひだこ)のことを「ナゴメ」と言い、火に当たってばかりの怠け者の膝にできるナゴメを剥ごうと、小正月の晩にやって来るという。このナゴメタクレの姿は確認できていないが、どうやらナマハゲに似た鬼のような恐ろしい姿をしているらしい。

ヒカタハギ(青森県津軽地方)


ヒカタハギ(火斑剥)は青森県の津軽地方に伝わる来訪神で、津軽西部ではシカタハギ(シカダハギ)と呼ばれるらしい。当地では火斑(ひだこ)のことを「ヒカタ」と言い、火に当たってばかりの怠け者できるひかたを、小正月の晩に小さな刀で剥ぎ取りに来るという。このヒカタハギは鬼のような姿をしており、ナマハゲのようなものとされている。

ナガミ(岩手県久慈市)


ナガミ(天ナガミ)は岩手県九戸郡久慈町に伝わる来訪神である。詳細は不明だが当地では子供の正月行事として行われるものであり、小正月に天ナガミに扮した子供たちが家々を巡り、ホロロ・ホロロと唱えつつ餅を乞うとされている。このナガミはナマハゲの類と異なり、火斑を剥ぐといったことはしないらしい。

ナモミ(岩手県野田村ほか)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

ナモミ(ナモミタクリ)は岩手県の野田村、洋野町、岩泉町などに伝わる来訪神で神様の使いとされている(一説には鬼)。蓑に手甲蒲脛巾雪靴という装束で、鬼のような面を被っており、この面をナモミメンというらしい。

当地では火斑(ひだこ)のことを「ナモミ」と言い、囲炉裏に当たってばかりの怠け者にできるナモミを剥ごうと、小正月に山から降りてきて家々を回るという。これもナマハゲのように子供を脅かして帰っていくようだ。

ナナミタクリ(岩手県釜石市)


ナナミタクリは岩手県釜石市付近に伝わる来訪神で、大ナナミと小ナナミに分かれているという。小ナナミは子供たちが餅を貰いに家々を巡る行事で、大ナナミは若者が恐ろしい神楽面を付けて腰に注連縄を巻くといった姿になり、家々を巡って暴れまわるといったナマハゲに似た行事なのだという。この大ナナミは、怠け者にできたナナミ(火斑)をタクリ(剥き取り)にやって来るものとされている。

スネカ(岩手県大船渡市三陸町吉浜)※無形文化遺産


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

スネカ(スネカワタグリ)は岩手県の海岸地方に伝わる来訪神で、正月15日の晩に火に当たってばかりの怠け者のスネカ(脛の皮)をタクリ(剥き取り)にやって来るという。

その姿は、鬼や獣のような恐ろしい面に、俵を背負い、手に刃物を持ち、アワビの殻を腰にぶら下げる といったもので、身をかがめて鼻を鳴らしながら歩くのが特徴とされている。

そして「脛の火斑を剥ぎ取るぞ」などと言いながら怠け者を探して家々を巡り、戸をガタガタと揺らしたり、爪で引っ掻いたり、子供に大人しくするかと問答したりするという。

また、気仙沼市ではスネカタグリと呼ばれており、一本刀を挿した姿で鼻息を鳴らしながら「ひがたたくり、ひがたをたくる」などと言って家々を巡るらしい。

タラジガネ(岩手県大船渡市三陸町越喜来)


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タラジガネは岩手県大船渡市三陸町越喜来(崎浜地区)に伝わる来訪神で、その姿は 鬼のような面に、米俵や蓑を被り、腰に貝殻を下げて、手に刃物を持つ といったものになっており、ナマハゲのような小正月行事とされている。

アンモ(岩手県北上山系)


アンモは岩手県の北上山系において妖怪を指す児童語で、ナマハゲのような来訪神としても伝えられている。このアンモは正月15日の晩に太平洋から飛んできて家々を巡り、囲炉裏に当たってばかりの怠け者の子供がつくるナゴミ(火斑)を剥ぎに来るという。だが、病気で寝込んでいる子供はアンモを拝むと治るともいわれているらしい。

ナゴミタクリ(岩手県上閉伊郡)


ナゴミタクリは岩手県上閉伊郡に伝わる来訪神で、小正月の晩に鬼が怠け者のナゴミ(火斑)を剥ぎ取りに来るという。また、一説にナモミは恐ろしいものを指す言葉として使われることもあり、モウコやガンボウと呼ばれることもあるらしい。

ナモミタクリ(岩手県遠野市)


ナモミタクリは岩手県遠野市に伝わる来訪神で、小正月の晩に鬼が怠け者のナモミ(火斑)を剥ぎ取りに来るという。ヒカタタクリ・ナゴミと呼ばれることもあるらしい(ナゴミタクリと同じものとされる)。

ヒカタタクリ(岩手県遠野市)


ヒカタタクリは岩手県遠野市に伝わる来訪神で、小正月の晩に鬼の姿で家々を巡って「火斑を剥ぐぞ」と脅して歩き、餅などを貰っていくという。当地方では、正月15日の晩にヒタカタクリに扮した者が瓢箪の中に小刀を入れ、カラカラと振り鳴らしながら「ひかたくくり、ひかたくくり」と言って歩きまわり、大事にされている娘らにはヒカタ(火斑)がある者が多いので、餅などを差し出して詫びさせるといった行事が行われるらしい。

水かぶり(宮城県登米市)※無形文化遺産


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水かぶりは宮城県登米市の大慈寺の境内に鎮座する火伏せの神・秋葉大権現の行事で、起源は定かではないが鎌倉時代に雲水の行として始まったものと伝えられている。2018年に「来訪神:仮面・仮装の神々」として無形文化遺産に登録された。

現在では毎年2月の初午の日に行われており、地区の男たちが裸に「オシメ」と呼ばれる藁製の装束と、「アタマ」と呼ばれる藁製の苞を身に着け、顔に竈墨を塗りつけて、秋葉大権現の神使に扮する。そして、ボンテンを持つ還暦の者を先頭に集団をなし、秋葉権現社に参った後に、通りの家々に水をかけながら町中を南から北に走り抜けていく。

水かぶりの一行が通りかかると町内の人々はこぞって装束の藁を引き抜いて屋根に乗せる。これは「火伏せになる」や「魔除けになる」といわれている。また、「一行が通り過ぎないうちに色の付いたものを食べること」や「地区以外の者が参加すること」などは禁忌とされており、これを破ると火事が出やすくなると言い伝えられているという。

ナマハゲ(秋田県男鹿市)※無形文化遺産


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ナマハゲは秋田県の男鹿半島に伝わる来訪神で、当地では漢の武帝が連れていた5匹の鬼に由来するといわれている。その姿は、鬼のようなナマハゲ面に、藁で作られたケラミノ・ケデ(ケダシ)・ハバキを着け、ワラグツを履き、手には大きな出刃包丁(または鉈)と手桶を持つ といったものになっている。

ナマハゲの語源は「ナモミ」と呼ばれる火班を剥ぎに来る者に由来するとされており、大晦日あるいは正月15日の晩にやって来て、言うことを聞かない子供を諌めたり、手に持った出刃包丁で囲炉裏当たってばかりの怠け者のナモミを剥ぎ取り、それを手桶に入れていくとされている。また、ナマハゲの赤はジジナマハゲ、青はババナマハゲであるとされており、ケデから抜けた藁には御利益があるといわれている。

ナゴメハギ(秋田県能代市)


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ナゴメハギは秋田県能代市に伝わる来訪神で、小正月の晩に怠け者のナゴメ(火班)を剥ぎ取りに来るものとされている。その姿は、様々な神楽面に、藁で作られた「ケラ」を纏い、手には包丁や斧を持つ といったもので、鉦や鈴を鳴らしながら「えぐねぇーわらし、えねぇがー(悪い子はいないか)」と叫びながら家々を巡り、家人の怠け心を戒めるとともに家の災いを祓っていくという。

ヤマハゲ(秋田県秋田市)


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ヤマハゲは秋田県秋田市に伝わる来訪神で、その姿は 鬼のような恐ろしい面に、稲藁を編んで作られる「きゃで」と呼ばれる蓑を身体に纏い、手に出刃包丁を持っている というものになっている。

そして正月15日の晩に「泣ぐ子はいねぇがー」「言うごど聞がねぇ子はいねぇがー」などと荒々しく叫びながら家々を巡り、子供を脅かすという。その時、家々では酒を用意してヤマハゲに振舞うと、御祓を受けた御札が授けられるらしい。また、家の中に落ちた「きゃで」の藁は縁起物として翌年まで取って置かれるのだという。

ナモミハギ(秋田県由利郡)


ナモミハギ(ナマミハギ)は秋田県由利郡に伝わる来訪神で、小正月の晩に怠け者のナモミ(火班)を剥ぎ取りに来るとされるものとされている。その姿は、鬼のような怖い面に、蓑を被り、出刃包丁を持つ といったもので、ソロバンを鳴らしたり、瓢箪に豆を入れたものを御幣と一緒に振ったりしながら家々を巡り、屋内に入ると互いの蓑をむしり合って暴れるという。この蓑の毛は縁起物とされてその家に保管されることもあるらしい。

アマハゲ(山形県遊佐町)※無形文化遺産


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アマハゲは山形県の遊佐町吹浦地区の女鹿・滝ノ浦・島崎集落に伝わる来訪神で、その姿は 鬼や翁の面に、藁を幾重にも重ねた「ケンダン」という蓑を身に纏っている というものになっているが、その地区によって姿が微妙に異なるらしい。そして、正月に家々を巡り、子供の怠け心を諌めたり、年寄の長寿を願うとされている。

アマメハギ(石川県能登地方、新潟県村上市)※無形文化遺産


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

アマメハギは石川県の輪島市や鳳珠郡能登町に伝わる来訪神で、囲炉裏に当たってばかりの怠け者にできるアマメ剥ぎ取りに来るものとされている。その姿は 鬼のような面に、蓑を纏ってフカグツを履き、手に包丁やサイケ(竹筒のようなもの)を持つ というもので、「アマメー」と叫びながら家々を巡り、怠け癖のついた者を働かせようとする。輪島市では正月あるいは小正月の晩に、能登町では節分の日にやって来るという。

このアマメハギは「農民を管理していた当時の役人が、農閑期が終わる前に農民達の怠け心を戒めるために、鬼のような形相で各家を訪ねた」ということが由来だといわれている。

また、新潟県村上市にもアマメハギが伝えられており、行事の意味合いや内容は似たようなものになっているが、こちらは仮面が獅子舞、天狗、獣になっており、「あーまめはぎましょ、あーまめはぎましょ」などと言って家々を巡るという。

アッポッシャ(福井県福井市)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

アッポッシャは福井県福井市の蒲生・茱崎地区(旧・越廼村)に伝わる来訪神で、海に棲む鬼あるいは妖怪といわれている。小正月の2月6日の晩に海から上がってきて、茶釜の蓋を叩きながら「アッポッシャー、アッポッシャー」と言って子供のいる家々を巡り、行儀の悪い子供を嗜めて連れ去ろうとするので、家人はアッポ(餅)を与えて許してもらうという。

このアッポッシャの姿は、赤鬼のような面に、蓑を背負っている というものだが、その面は他の来訪神と比べて非常に大きな物になっている。この面は「オモメさん」または「アマメさん」と呼ばれているらしい。

なお、アッポッシャは「昔 遭難して蒲生の海岸に辿り着いた渡来人が民家に食料を求めたこと」に由来するとされており、アッポッシャという名は「アッポ(餅)欲しや」が訛ったものといわれている。

カセドリ(佐賀県佐賀市)※無形文化遺産


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カセドリは佐賀市蓮池町の見島地区に伝わる来訪神で、神から使わされたつがいのニワトリだといわれており、その姿は 頭に白布を巻いて目・鼻・口を出し、鉢巻を絞めて甚八笠を被っており、藁で編まれた蓑・腰蓑を着て、手には黒手甲を付け、黒脚絆に白足袋で草鞋を履き、手には長さ1.7mほどの先が細かく割れた竹を持っている というものになっている。

このカセドリは毎年2月の第2土曜日の晩に行われ、まずは熊野神社の拝殿に走り込み、手に持った竹を床に激しく打ちつける。次に地域の家々を訪れて、その年の家内安全や五穀豊穣など願って竹で家の床を打ちつけて悪霊を祓う。その後、家人が酒や茶などを振る舞うと、カセドリは顔を伏せたままそれに応える。この時にカセドリの顔を見ると幸せになるといわれているため、家人はカセドリに顔を上げさせようと、底の深い器を接待に使うらしい。そして、その家から切餅を貰い受けて家を去り、次の家に向かう。全ての家を巡り終えると、熊野神社に戻って貰った餅を食べながら皆で歓談するという。

メゴスリ(宮崎県串間市)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

メゴスリは宮崎県串間市に伝わる来訪神で、豊穣を祝う名月の座に現れる「水をもたらす神の化身」とされている。メゴスリという名は、竹製のカゴである「メゴ」と、すりこぎの「スリ」から来ているといわれている。メゴスリの起源は定かではないが、江戸時代に広野集落が火事で全焼した頃に始まったと伝えられているという。

このメゴスリは旧暦8月15日に集落にやって来るとされ、その日には メゴスリに扮した者が、赤や青の鬼面を着け、頭には しめ縄を角状に固定し、シュロ皮を編んで作った蓑・手甲・脛当てを身に着け、蓑の上からは太綱をたすき掛けにし、手には藁苞と叩き棒を持ち、足には足半を履く といった姿になり、その風貌は龍を象った鬼神といわれている。

このメゴスリの行事は「モグラウチ」と呼ばれる田畑からモグラを追い出す行事の一種とされており、当日には4,5体のメゴスリが集落にある薬師堂を出て、水神を祀る社の鳥居下までやって来る。そこにはモグラ追いの子供たちが30人ばかりおり、メゴスリはその子供たちを率いて家々を巡り、庭先で「モグラモチャ、ドンドコセー、焼米くれんかの、焼米くれんやちゃ、鬼になれ蛇になれ」と歌いながら藁苞で地面を叩いてモグラウチの模範を見せるという。

その後、家に上がり込んで傍若無人に振舞い、家人や客人に無礼講を働く。この時のメゴスリは終始無言であるが、最後には祝儀を要求し、子供たちは十五夜に供えられた供物を勝手に貰っていくという。

弥五郎どん(宮崎県都城市・日南市、鹿児島県曽於市)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

弥五郎どんは宮崎県や鹿児島県に伝わる民俗行事で来訪神の一種とされることがある。この弥五郎どんは当地では巨人と伝えられているが、奈良時代に反乱を起こした隼人の首長であるとか、古代に6代の天皇に仕えた武内宿禰であるとか、ヤマトタケルに討ち取られた熊襲の首長の川上梟帥だったなど、様々な説がある。

民俗行事としての弥五郎どんは巨大人形が町内を練り歩くといったものになっているが、的野八幡宮(宮崎県都城市)や岩川八幡神社(鹿児島県曽於市)の秋祭りに登場する弥五郎どんは、奈良時代の隼人の反乱の際に滅ぼされた隼人の怨霊を恐れた朝廷が行った放生会が起源とされている。田ノ上八幡神社(宮崎県日南市)の秋祭りに登場する弥五郎どんは、当地に伝わる稲積弥五郎という巨人が八幡様の御神体を背負ってきたという伝説が起源であるとされている。

大王殿(鹿児島県日置市)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

大王殿(デオドン)は鹿児島県日置市に伝わる仮面神で、日置八幡神社と鬼丸神社の御田植祭「せっぺとべ」を見守る役目を担う神とされている。その姿は 体長3.5mの巨人で、白い顔に薄茶色の髪と髭を蓄え、茶色に染めた着物を着て腰に刀を差している といったものになっている。

また、鹿児島県姶良郡湧水町の箱崎八幡神社で行われる「大王殿祭り」には大王殿(ウォードン)という仮面神が登場する。この神は男女の2神で「ウォー、ウォー」と叫びながら町内を巡幸して悪霊や邪気を祓うとされており、その姿は 「神王面」と呼ばれる仮面だけで胴体は無く、男神は老人のような黒い顔、女神は若年にみえる白い顔 とされている。

また、鹿児島県下ではボゼと呼ばれる収穫祭の時期に巨大な仮面神が現れて村内を巡るという行事があり、日置市の「せっぺとべ」も江戸時代の『三国名勝図会』によればボゼの時期に行われていたという。このことから一連の仮面神行事には共通性があると捉えられ、一説にそのルーツは南九州各地に祀られる「大王神」ではないかといわれている。

トシドン(鹿児島県薩摩川内市)※無形文化遺産


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トシドンは日本各地に伝わる年神(来訪神)で、鬼のような顔をしており、普段は天上界に住んで下界の様子を見ているとされている。特に子供を好み、その行動を見守っているが、毎日の大晦日の晩には首切れ馬(首のない馬)に乗って山の上に降り立ち、その年に悪さをした子供を懲らしめにやって来て、歳餅を与えて去っていくという(夜行さんに類似)。この歳餅は人に一つ歳をとらせる餅といわれており、これを貰わないと歳をとることができないとされている(一説にお年玉の原型とされる)。

トシドンの姿は地方によって異なるが、鬼のような面で、シュロの皮やソテツの葉で作られた衣服を纏っている。このトシドンは鹿児島県薩摩川内市の下甑島(甑島列島)に伝わるものが有名で、長い鼻を持つという特徴がある。この「甑島のトシドン」は無形文化遺産にも登録されている。この他にも南九州にはトシドンのような来訪神が伝えられており、その中には屋久島のトイノカンサマや、種子島のトシトイドンなどがある。

メンドン(鹿児島県三島村)※無形文化遺産


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

メンドンは鹿児島県三島村の硫黄島に伝わる来訪神で、当地では悪魔祓いの神とされている。その姿は 四角い顔に 大きな耳・鼻・眉・目が付き、額には「ケン」と呼ばれる一本角が付いており、蓑を纏い、スッペン木という神木の棒を持つ というものになっている。

このメンドンは、硫黄島で毎年旧暦8月1日・2日に行われる八朔太鼓踊りに登場し、踊りの中に乱入して、踊り手の邪魔をしたり、女性に襲いかかったり、見物客をスッペン木で叩いたりするが、スッペン木で叩かれることによって悪霊が祓われるとされているので、咎められることは無いという。

ボゼ(鹿児島県十島村)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

ボゼは鹿児島県トカラ列島の悪石島に伝わる来訪神で、悪霊を祓う存在とされている。その姿は 赤土と墨で塗られた巨大な面に、ビロウの葉で作られた腰蓑を巻き、手首や足にシュロの皮を当て、手には男根を模したボゼマラという長い棒を持つ といったものになっている。このボゼの由来は定かではないが、盆の終わりにやって来るので「死霊臭の漂う盆から生の世界に人々を導く」あるいは「先祖霊と共にやってきた悪霊を追い払う」という役目を負った存在だといわれている。

このボゼは旧暦7月16日に悪石島で行われる「悪石島ボゼ祭り」に3体登場し、その日の午後に島内の聖地とされるテラ(墓地に隣接する広場)を出発し、島の古老の呼び出しと太鼓の音に導かれて島民の盆踊りの中に入っていき、女子供を追い回して、ボゼマラの先端の赤い泥水を擦り付ける。この行為には悪霊祓いや子宝の御利益があるとされている。

パーントゥ(沖縄県宮古島市)※無形文化遺産


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

パーントゥは沖縄県の宮古島に伝わる来訪神で、パーントゥという言葉はオバケや鬼神を意味するものとされている。現在は厄祓いの行事として平良島尻と上野野原の2地区で行われており、両地区ではその内容が異なる。

平良地区島尻では毎年 旧暦3月末~4月初旬・旧暦5月末~6月初旬・旧暦9月の吉日の計3回行われ、この行事はサトゥプナハ(里願い)と呼ばれる。また、3回目に関してはパーントゥ・サトゥプナハ、パーントゥ・プナハと呼ばれるらしい。島尻のパーントゥは親(ウヤ)・中(ナカ)・子(フファ)の3体で、地区内の選ばれた青年がこれに扮する。その姿は 仮面を付け、キャーン(シイノキカズラ)の蓑草を纏い、ンマリガー(産まれ泉)という井戸底に溜まった泥を全身に塗る といったものになっている。そして、ウパッタヌシバラという拝所で5人のミズマイ(神女)に祈願し、集落を巡って厄祓いをする。その方法は、人や家屋に泥を塗りつけるというもので、悪臭を放つ泥は悪霊を連れ去るといわれている。

上野地区野原では旧暦12月の最後の丑の日に行われ、この行事はサティパロウ、サティパライ(里祓い)と呼ばれる。地元の成人女性と少年のみが参加し、少年の1人がパーントゥの面を付けてニーマガーという井戸を出発し、その後ろに他の少年や婦人たちが行列をなして進んでいく。少年のうち2人は法螺貝を吹き、1人は小太鼓を打つ。婦人はマーニ(クロツグ)やタドゥナイ(センニンソウ)で作った草冠を被り、草帯を腰に巻いて、両手にツッザギー(ヤブニッケイ)の枝を持つ。この枝は悪霊祓いの意味があるという。この行列は最初に大御嶽前で礼拝し、それから「ホーイ、ホーイ」と言いながら集落を巡って厄祓いをし、ムスルンミという場所に着くと、草冠や草帯などを外して踊り、行事は終了するとされている。

ミルク(沖縄県 沖縄本島・八重山列島各地)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

ミルク(弥勒神)は沖縄本島や八重山列島の各地に伝わる来訪神で、豊年祭の時にやって来る豊穣の神とされている。このミルクは、中国大陸の弥勒信仰がベトナム経由で沖縄に伝わったものといわれており、それが当地に伝わるニライカナイ(東方の海上にある豊穣をもたらす神々の土地)の信仰と習合して、東方の海上から豊年を運んでくるミルク神の信仰が成立したとされている。そのため、ミルク面は中国で信仰されている布袋姿の弥勒仏を模したものになっている。

その発祥は、江戸時代に黒島の役人が公務で首里に向かう途中に嵐に遭って安南(ベトナム)に漂着し、当地の豊年祭で祀られていたミルクを見て感激し、仮面と衣装を譲り受けたことに始まるとされる。その後、役人は首里に着いたが、すぐに八重山に帰ることができなかったので、随行者に自ら作った「弥勒節(みるくぶし)」を託した。それから八重山各地で行われる豊年祭にミルク神が現れるようになり、その際に弥勒節が歌われるようになったという。

これによって、沖縄では豊年のことを弥勒世(ミルクユー)あるいは弥勒世果報(ミルクユガフー)と称するようになり、ミルクは各地の豊年祭に登場するようになったという。ミルクは各地によって姿や行事の内容が異なり、棚原では、旧暦8月15日に世果報を祈願する弥勒踊を行い、旧暦12月20日にその年に生まれた赤子の誕生を報告して健康を祈願するという。波照間では、旧盆である旧暦7月14日に行われるムシャーマという祭りに登場し、この際にミルクはブーブサや付き人の子供たちを伴ってミチジュネー(仮装行列)で島を練り歩く。このミルクは女性とされ、ブーブサは夫、付き人の子供はミルクの子とされている。この他にも様々なものがある。

マユンガナシ(沖縄県 石垣島)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

マユンガナシは沖縄県の石垣島に伝わる来訪神で、真世(マユ)という豊饒の世界からやって来る神とされている。なお、マユンガナシのマユンは「マユの国」ガナシは敬称を指すとされる。このマユンガナシは旧暦9月頃の戊戌の日の夜にやって来て、御伴を連れて家々を巡り、五穀の栽培方法を教えて家を祝福するという。

マユンガナシの由来はいくつかあり、その一つは「シツ(節)の夜に旅人(女性)が訪れて宿を求めたが、多くの家が貸さなかった中、貧しい南風野家(ハイノヤー)だけは快く貸した。この旅人は天の神の命を受けて来た者で、お礼に作物作りの祝詞(カンフチィ)を授けた。すると、後に南風野家は豊作になった。その翌年の戊戌の日、村に神が訪れたので皆は神を信仰した。神は帰る際に"自分の代わりに戌年生まれの者を元(ムトゥ)にし、他の者はマヤの神に扮して各戸訪問して祝詞を唱えるように"と教えた」というものである。

もう一つは「田多家(タダヤー)の娘が敷地内で神(男性)に出会った。神は娘が霊性の高い者と見抜いて祝詞を授けた。翌年の戊戌の日に神々がマヤの国から来て田多家の父と娘に祝詞を授けると、後に田多家は豊作になったので、皆が神を招くことになった。神は村人たちに祝詞を覚えさせると、以後は村人たちで各戸訪問するように教えた」というものである。

アンガマ(沖縄県 石垣島)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

アンガマは沖縄県の石垣島に伝わる来訪神で、あの世からの使者であるとされている。このアンガマは、ウシュマイ(爺)、ンミー[ウミー](婆)、ファーマー(子孫)の一団を指し、旧盆の夜に三線・太鼓・笛などで賑やかな音を鳴らしながら練り歩き、家々を巡っては珍問答や踊りなどで先祖霊を供養する。

このアンガマは、石垣市の字石垣・大川・登野城・新川・平得・大浜で行われており、先祖供養に招かれたウシュマイとンミーは まず、その家の位牌を拝み、次に家の主人に祝言を述べ、それからファーマーらと共に子孫繁栄や豊作祈願のための唄や踊りが披露される(一軒につき一時間程度かかるらしい)。この後、ウシュマイとンミーは見物客とあの世のことについての珍問答をするという(なお、ウシュマイとンミーは裏声で喋らなければならないとされている)。

アカマタ・クロマタ・シロマタ(沖縄県 石垣島・西表島・小浜島・上地島)


アカマタ・クロマタは沖縄県の八重山列島に伝わる来訪神で、西表島古見・小浜島・上地島・石垣島宮良の豊年祭に現れる神とされているが、その詳しいところは各地によって異なる。また、アカマタ・クロマタの来訪行事は「ギラヌム」と呼ばれる秘密結社的な男性祭祀集団によって行われる秘祭とされており、部外者に詳細を語ることは禁忌とされている。そのため、当地には「撮影録音禁止」の立て看板が至るところに立てられており、厳しい制限のもとで見学はできるものの、撮影・録音・スケッチなどの記録行為や口外などは厳禁とされている。

この来訪神は西表島古見が発祥とされており、ここではアカマタ・クロマタ・シロマタの3神が存在する。シロマタ・アカマタの2神が一対とされており、この2神が去った後にクロマタが現れ、これらの神が出くわすのは禁忌とされているらしい。また、行事の最後にクロマタが残していく衣装が来年の豊作の印とされているという。なお、アカマタ・クロマタ・シロマタの姿は手足の見えないほど蔓草などに覆われたずんぐりむっくりした姿であるといわれている。

小浜島にはアカマタ・クロマタの2神が存在し、それぞれが木刀を携えているという。上地島にはアカマタ・クロマタに子神のフサマローの2神を加えた計4神が存在するという。石垣島宮良ではアカマタ・クロマタをニーロー神と呼び、このニーローとは底がわからないほどの深い穴の意でニライカナイを指すという。

フサマラー(沖縄県竹富町 波照間島)


珍奇ノート:来訪神 ― 年に一度 来訪する異形の神々 ―

フサマラーは沖縄県の波照間島に伝わる来訪神で、南方から来る雨降らしの神とされており、雨乞いの祭りであるアミニゲーの際に御嶽(うたき)という祭祀場で雨乞いの歌を歌ったといわれている。なお、フサマラーの「フサ」は草、「マラー」は稀人を意味するという。

このフサマラーは、盆の旧暦7月14日に豊年祈願と先祖供養のために行われるムシャーマという祭事の中に登場し、その姿は 手製の面を被り、全身に蔓草を巻きつけ、手にマーニという植物を持つ といったものになっており、祭りの際には地元の子供たちが このフサマラーに扮するという。沖縄にはアカマタ・クロマタという豊穣の神がいるが、フサマラーはこれらの神の別名で、水神としての一面を強調した名前であるともいわれている。