およし狐【オヨシギツネ】

およし狐とは、近畿地方に伝わる化狐のこと。

松原・大和・姫路の3ヵ所に伝説があり、美女に化けて人間を化かすなどと伝えられている。

また、姫路のものについては刑部狐のルーツになっているともいわれている。


基本情報


概要


およし狐とは、近畿地方に伝わる化狐のことで、その伝説は大きく分けて松原(大阪)・大和(奈良)・姫路(兵庫)の3種類ある。しかし、この3種の特徴は共通していないため、これらが同一のものかは不明である。

人間の女性に化けるのが得意とされ、松原と姫路の伝説では人間の男と恋仲になっている。一方、大和の伝説においては化けたという描写は見られず、賢い白狐で殿様に可愛がられていたというようなものになっている。また、"およし"という名については、自ら名乗ったとされる松原の伝説以外のルーツは明らかになっていないようだ。

また、姫路のおよし狐については「梛寺の小よし狐」とも呼ばれる姫路で名の知れた化狐であり、梛寺の柱を動かしたり、人を化かして驚かせたりしたと伝えられている。このことから姫路城に棲む妖怪の刑部狐(おさかべぎつね)とも関連付けられており、ひいては刑部姫の正体の老狐であるともいわれているらしい。

なお、冒頭に触れたとおり、松原・大和・姫路の各伝説は一見 共通点が無いように見えるが、それぞれの伝説を調べてみると"松原の化狐は奈良で育って松原に帰る"とされていたり、"姫路城に棲む刑部狐は大和の源九郎狐の兄弟(姉弟)である"などといった話も見られるため、微妙に共通する部分もあるようだ。

データ


種 別 日本妖怪
資 料 近畿地方の民話、『播州故事考』『播磨府中めぐり』ほか
年 代 戦国時代~江戸時代
備 考 松原(大阪)・大和(奈良)・姫路(兵庫)に伝わる

近畿各地のおよし狐の伝説


松原のおよし狐
松原にある三ツ池に棲む化狐で美女に化けることができ、化けたときは必ず赤い笠をかぶっていたという。あまりに美しい女に化けることから人間の男と恋仲になったが、常に人間に化けていたことから衰弱し、やがて死んでしまったとされる。

大和のおよし狐
現在の奈良県御所市に棲んでいたとされる白狐で、とても賢かったため この地の殿様に可愛がられていたが、これに嫉妬した人間が罠にかけて殺してしまったとされる。

姫路のおよし狐
狩人に救われたことから人間の女に化けて生活を共にしていたが、狩人に求婚されたことから離れることを決め、代わりに望まない結婚を強いられていた庄屋の娘を狩人と結びつけたとされている。

資料


民話・伝説




松原のおよし狐


その昔、松原には多くの狐が住んでいた。この狐たちは、人に化けて悪戯するものや、掃除を日課にする礼儀正しいもの、畑の開墾を日課にする働きものなど様々な性格のものがおり、その多くが松原で生まれて奈良で育ち、成長するとまた戻ってくる。そして、大抵のものが戸籍をもって暮らし、村人と共存していたのだという。

そんな中、三ツ池と呼ばれる大きな池には およし狐 という美しい狐が住んでいた。およし狐は戸籍をもっていなかったが、よそ者として扱われることもなかったという。また、およし狐が人間に化けると必ず赤い笠をかぶっており、男たちが顔を見せてくれと頼むとたちまち消えてしまうことから幻美人とも呼ばれていたのだとか。

ある日、およし狐が長尾街道を堺の塩湯場方面に向かって歩いていたときのこと。その夜の塩湯の茶屋では"奈良の呉服行商の荷物から赤い縞の入った奈良木綿の着物が一枚なくなった"と大騒ぎだったという。その騒ぎを聞きつけた茶屋の主人が「三ツ池の狐も人間ならば買ってもらえただろうに可愛そうなことよ」と外に向かって言い放つと、長尾街道を走っていた狐が振り向いて何度も頭を下げて松原に向かったそうな。

また、道明寺の縁日の日のこと。この日の尾道街道はいつも以上に賑わっており、着飾った若者たちで溢れかえっていた。これに魅了されたのか、人前にめったに姿を見せない およし狐が珍しく現れて、土手から道行く若者を眺めていたという。これに気付いた一人の若者が「お前が三ツ池の狐か?美人という噂だがどれほどのものだろうか?このかんざしをやるから明日の晩に人の姿になって俺の前に現れろ」と言ってかんざしを投げ渡した。

すると、翌日の晩に人に化けたおよし狐が土手に現れた。その姿は、緋の長襦袢に、牡丹の花を裾から肩へと散りばめた見事の着物を着て、耳の上は若者からもらったかんざしを挿しており、若者のために御馳走まで用意していたという。

一方、若者はおよし狐が本当に現れるのか疑いつつも土手に向かっていると、やがておよし狐の優美な姿が目に入ってきた。若者はおよし狐の美しさにひと目で魅了されてしまい、その隣に座って名を尋ねるとおよし狐は透き通った声で「およしです」と挨拶した。そして、色々な話をしながら酒や食事を楽しんでいると時間もあっという間に過ぎ、やがて辺りも明るくなってきた。ここでおよしは「朝が近ずいて参りました。これでおいとまを」と言い、狐の姿に戻って頭を下げるとそのまま消え去ってしまった。

この日から若者はすっかり虜になってしまい、仕事をするのも忘れて色々な場所におよしを連れ回すようになった。祭とあらば この二人を見かけないことはなく、どこに行ってもおよしの美しさは評判で、若者の自慢でもあった。しかし、長い間 人の姿でいたおよしは疲れて日に日にやせ衰えていったという。だが、このときの若者はおよし無しでの生活は考えられなくなっていたため、変化が解けて顔が狐に戻っても気付かれないようにしようと赤い笠を買い、これを付けさせて連れ回すようになった。

この数ヶ月後、若者とおよしが結婚することが決まったが、このとき およしは憔悴しきっていた。そして、結婚前夜におよしは現れず、その日には三ツ池の土手に赤い笠を付けた痩せ細った狐が死んでいたという。



大和のおよし狐


奈良県御所市玉手町(旧・南葛城郡掖上村玉手)に伝わる およし狐 は城山の西に住む白狐で、大変賢くて殿様に可愛がられていた。しかし、これを妬んだ者が鼠の油揚を使った罠を仕掛け、これに掛かって死んでしまったという。



姫路のおよし狐


兵庫県姫路市の善導寺には およし狐 という化け狐の伝説がある。

昔、ある狩人が山で狩りをしていた帰り道、大蛇に襲われている一匹の狐に出会った。哀れに思った狩人は鉄砲を撃って大蛇を追い払ってやり、そのまま家路に向かって歩いていると、突然 目の前の木から女が落ちてきた。

見上げると枝に縄がかかっていたので、どうやら女は首を吊ろうとしていた様子だった。そこで、狩人は女に死のうとしていた理由を聞いてみたのだが、女は「死なねばならぬ」と言うばかりで事の真相はわからない。そのため、狩人はこれ以上理由を突き詰めず、女が落ち着くまで自分の家に置くことにした。

この女は働き者であり、また「どこの山に行けば獲物がよく獲れる」など狩りの助言もしてくれたので、狩人は次第に裕福になっていき、やがて女を妻に迎えたいと思うようになった。そこで、狩人は女に「妻になってほしい」と頼んでみたのだが「貴方のためになりませんので」と断られてしまった。

しかし、諦めきれない狩人が熱心に頼み込んでみると、女はしぶしぶ妻になることを受け入れ、しばらく後に結婚式の日取りも決まった。裕福になった狩人は結婚式は盛大にやろうと張り切っていると、女は「お金は私が全部持ちますので、どうか結婚式のことは任せてください」などと言うので、狩人はおかしく思いながらも全て女に任せることにした。

すると、結婚式の当日には嫁入り道具や御馳走がたくさん用意されており、どこからともなく大勢の人々がやってきた。女は綿帽子を深く被った花嫁姿だったため顔はよく分からなかったが、それでも結婚式も無事に終わった。

その翌朝、狩人が妻になった女の顔を見てみると、なんと女は別人となっていた。驚いた狩人は その女に「お前は何者で、どうしてここに居るのか?」と尋ねてみると、その女は「私は隣村の庄屋の娘です。親が決めた人のところにお嫁に行くことになっていたのですが、どうしても嫌で毎日泣いて暮らしていましたところ、昨日の朝、どこからか女の人がやってきて『私の言うとおりにすれば、あなたは幸せになれるでしょう』というので、言われたとおりに婚礼の席に座っていたのです」と答えた。

これを聞いた狩人が呆気にとられていると、縁側の障子に一匹の狐の影が映ったのが見えた。狩人が驚いてそれを見ていると、その影がお辞儀をした後に、障子が開いて あの夫婦になると約束した女が現れた。そこで庄屋の娘も驚きつつ「私の前に現れた女の人はこの方です」と言った。すると、二人の姿を見た女は微笑み、狐の姿に戻ってそのまま消え去ってしまった。

その後、狩人は庄屋の許可を得て、娘と夫婦になって幸せに暮らした。そして、この二人を結びつけた狐の名は「およし狐」だと伝えられているという。なお、およし狐は梛寺(善導寺の前身)に棲む齢600年の古狐だと言われ、寺の柱が揺らぐのはこの古狐のせいだといわれているとか。

※上記は「姫路のおよし狐」の説話を合成したもので、詳細は各説話によって異なる