阿黒王 / あくる王【アクロオウ / アグロオウ / アクルオウ】
珍奇ノート:阿黒王 ― 秋田県湯沢市に伝わる伝説の鬼 ―

阿黒王(あくろおう)とは、秋田県湯沢市に伝わる伝説の鬼(または蝦夷)のこと。

当地の岩窟に棲んで周辺を荒らし回っていたため、坂上田村麻呂に討伐されたと伝えられている。


基本情報


概要


阿黒王は、秋田県湯沢市に伝わる鬼(または蝦夷)で、平安時代に松岡の山中にあった岩窟を根城にして各地を荒らし回っていたため、都からやって来た坂上田村麻呂が討伐したとされる。

阿黒王の伝説には様々なものがあり、さらに断片的なものが多いので全容を把握するのは難しい。だが、当地には陸奥国から逃げてきた阿黒王が籠ったとされる「阿黒岩」と呼ばれる洞窟や、田村麻呂が阿黒王討伐の戦勝祈願のために建立したとされる「御嶽神社」「白山神社」などのゆかりの地が残っている。

そうした場所に伝わる伝説をざっとまとめると以下のような内容になる。

平城天皇の御代である大同年間(806~810年)、東北地方で蝦夷征討にあたっていた坂上田村麻呂が、陸奥国の達谷窟を根城としていた阿黒王を攻め立てると、阿黒王は手下を引き連れて出羽国雄勝郡の山中の岩窟に逃れていった。田村麻呂は阿黒王を追って行き、当地に武人・須佐男命を祀って戦勝祈願し、この後に岩窟に攻め入って阿黒王を討ち取った。

阿黒王の潜んだ岩窟は霧深い場所だったが、田村麻呂が阿黒王の旗を切ると霧が晴れたので この地は「切畑」と呼ばれるようになり、阿黒王を討ち取った場所は「宇津野」という地名が付いた。また、阿黒王の逃れた岩窟は「阿黒岩」と呼ばれるようになり、この阿黒岩と繋がっていた集落には阿黒王が棲んでいたとされる「岩井戸」という場所があるという。

これは先に紹介した場所に伝わる伝承を参考にまとめたものだが、これとは別に「雄勝郡の剪旗山(きりはたやま)を根城にしていたが、田村麻呂に追われて達谷窟に移った」という話や、「達谷窟から逃げて皆瀬村の霧二十重山(きりはたえやま)に移った」という話もあるという。

また、秋田県湯沢市の東鳥海山にある「東鳥海山神社」には「坂上田村麿は蝦夷征討の折に雄鬼骨山(現・東鳥海山)の山頂に一社を建立して戦勝祈願し、蝦夷の首長・悪路王を討ち取った。その後、悪路王の腕は鬼子骨塚(おしこほねづか)に埋められて、その時に一株の山椿が植えられた。その山椿は今も咲くという」という伝説も残っているという。

あくる王の伝説
珍奇ノート:阿黒王 ― 秋田県湯沢市に伝わる伝説の鬼 ―

江戸後期の旅行家・菅江真澄が天明5年(1785年)に出羽国雄勝郡で古老から聞いた話には「あくる王」として登場し、以下のような内容だったとされている。

昔、松岡のきりはた山にあくる王という鬼が棲んでおり、その妻である たてゑぼしは鈴鹿山の奥に棲んでいた。この妻が夜な夜な通うことができたのは鬼の術を使っていたからである。この鬼の夫婦は田村としひとの大人に斬られて滅ぼされた。

この説話は御伽草子『立烏帽子』の阿黒王の説話に似通っているが、こちら説話では「田村利成は勅命によって立烏帽子の討伐に向かったが、立烏帽子に恋心を抱いてしまう。そこで立烏帽子は陸奥国のきりはた山に棲む夫の阿黒王を討ってくれるならば妹背の契りを結ぶと約束し、利成に討つ方法を教えた。その後、立烏帽子が教えた通りに阿黒王がやってきたので、利成は阿黒王を射殺して、めでたく立烏帽子と結ばれた」というものになっている。なお、この説話における阿黒王は8つの頭に多くの眼が付いていたとされている。

データ


種 別 伝説上の人物、鬼
資 料 湯沢市の伝承
年 代 平安時代
備 考 類似するものに悪路王がいる

阿黒王の関連スポット
・阿黒岩:阿黒王が逃げてきたとされる洞窟(湯沢市松岡柱沢)
・阿黒三神社:阿黒岩内に祀られる神社(湯沢市松岡柱沢)
・白山神社:田村麻呂が戦勝祈願のために建てたとされる神社(湯沢市松岡字聖ヶ沢42)
・東鳥海神社:田村麻呂が戦勝祈願のために建てたとされる神社(湯沢市相川字外の目山3)
・御嶽神社:田村麻呂が戦勝祈願のために建てたとされる神社(雄勝郡羽後町床舞字門前222)