阿久留王 / 亜久留王 / 悪留王【アクルオウ】
珍奇ノート:阿久留王 ― 鹿野山でヤマトタケルと戦った鬼 ―

阿久留王(あくるおう)とは、千葉県の鹿野山を根城にしていたとされる鬼のこと。

景行天皇の御代に上総一帯を支配して良民を苦しめたため、ヤマトタケルに討伐されたと伝えられている。


基本情報


概要


阿久留王は、千葉県君津市にある鹿野山に伝わる鬼(あるいは蝦夷)で、景行天皇の御代にヤマトタケルが東征の折に討伐したとされており、君津地方には以下のような伝説が伝えられている。

昔、鹿野山に阿久留王という悪鬼が棲み、上総一帯を支配して悪事の限りを尽くしていた。その頃、景行天皇の皇子のヤマトタケルが東征に向かっており、上総まで進軍した時に阿久留王と戦うことになった。

両軍は鹿野山の麓の鬼泪山で激しく争ったが、やがて阿久留王は敗れて六手の地で捕えられて殺された。ヤマトタケルは阿久留王が蘇るのを恐れて、阿久留王の身体を八つ裂きにし、それぞれの部位を別々の場所に葬った。この時、阿久留王の血で3日3晩にわたって川が赤く染まり、これによって血染川と呼ばれた。また、それが腐って海に注ぎ、その地は地臭浦と呼ばれるようになった。

この伝説にまつわる場所として、鹿野山に阿久留王塚という胴塚があり、かつては鹿島台遺跡の近くにお八つが塚という首塚があったとされる。また、推古天皇の御代に聖徳太子が創建したとされる鹿野山神野寺には、本尊として軍荼利明王が祀られており、一説に阿久留王は軍荼利明王の化身で、明王のように腕も6本あったといわれているらしい。なお、阿久留王塚の管理はこの神野寺が行っており、毎月1回の法要が行われているという。

阿久留王の名称
阿久留王の説話にはいくつかあり、説話によって 亜久留王、悪留王、悪郎、悪路王、悪纏王、阿黒王、悪露王、赤頭王、赤頭類王 など様々な名前で伝えられているようだ。また、六手という地で生まれて地方一帯を支配したことから六手王とも呼ばれていたとされる。

阿久留王の性格
阿久留王は「人々から農作物や牛馬を奪ったりして良民を苦しめたために討伐された」といわれているが、その一方で「当地に侵略に来たヤマトタケルと戦った文武に優れた豪族だった」という話もあり、地元では英雄視されていることもあるらしい。

また、鹿野山の由来として、一説に砂鉄が採れたことから「金生山」と呼ばれ、それが転訛して鹿野山と呼ばれるようになったという説があり、これによって阿久留王は製鉄部族の首長だったといわれることがあるらしい。よって、阿久留王は製鉄の神として崇められることもあるという。

阿久留王伝説における地名由来
阿久留王の伝説によって様々な地名が起こったとされている。

・鬼塚:一説に阿久留王方の兵士を葬ったことから名付けられたとされる
・鹿野山:一説に山で迷ったヤマトタケルの軍を鹿が導いたことから名付けられたとされる
・鬼泪山:一説に阿久留王が涙を流して許しを乞うた(あるいは投降した)ことから名付けられたとされる
・皿引(血引):一説に傷付いた阿久留王が血を流しながら身体を引きずったことから名付けられたとされる
・染川(血染川):一説に阿久留王の血で赤く染まったことから名付けられたとされる
・六手:一説に阿久留王の腕が6本あったから名付けられたとされる
・鑓水川:一説にヤマトタケルの軍が阿久留王の血の付いた槍を洗ったことから名付けられたとされる

類似する説話
鹿野山にはヤマトタケルの九頭竜退治の伝説がある。また、阿久留王の別名とされる悪路王や赤頭は東北地方を支配した鬼(あるいは蝦夷)として知られ、平安時代の武将・坂上田村麻呂に討伐されたという伝説がある。また、身体をバラバラにして埋葬されるという件も坂上田村麻呂伝説にはよく登場する流れである(八面大王など)。

データ


種 別 伝説上の人物、鬼、怪人
資 料 鹿野山の伝承
年 代 景行天皇の御代
備 考 創作という説がある

阿久留王の関連スポット
・阿久留王塚:阿久留王の胴塚と伝わる前方後円墳(千葉県君津市鬼泪)
・お八つが塚:阿久留王の首塚とされていたが現存していないらしい
・神野寺:聖徳太子の開基と伝わる寺で、阿久留王は本尊の軍茶利明王の化身といわれる(千葉県君津市鹿野山324-1)