悪毒王【アクドクオウ】
珍奇ノート:悪毒王 ― 長崎県の壱岐島に伝わる鬼 ―

悪毒王(あくどくおう)とは、長崎県にある壱岐島に伝えられる鬼のこと。

壱岐島に棲む鬼を支配した鬼の大将で、島民を害したことから百合若大臣が討伐したとされている。


基本情報


概要


悪毒王とは長崎県の壱岐島に棲んでいたとされる鬼の大将で、手下の鬼どもを率いて島民を苦しめたことから、百合若大臣によって退治されたと伝えられている。壱岐島の民話や百合若大臣の資料などに登場し、それをまとめると以下のような内容になる。

昔、壱岐の島は多くの鬼が棲む鬼ヶ島で、悪毒王という鬼の大将が治めていた。鬼どもは島を荒らし回って島民を苦しめており、その悪行は都にまで届いていた。そこで、帝は百合若大臣という若武者に鬼退治を命じて壱岐の島に遣わせた。百合若大臣は観音菩薩(あるいは神)の申し子で、鞍馬山の天狗に剣術を授かった剛の者であったという。

百合若大臣は鬼ヶ島の鬼どもを次々と退治して、最後に大将の悪毒王との一騎打ちとなった。百合若大臣は奮闘の末に悪毒王の首を打ち落とすと、その首は空高く舞い上がって天上に首を繋ぐための薬を取りに行った。その時に百合若が悪毒王の胴体を岩陰に隠すと、悪毒王の首は自分の胴体を散々に探し回った。しかし、結局 見つからなかったので、百合若大臣の兜に噛み付いて抵抗したが、やがて息絶えてしまった。こうして壱岐の島に平和が訪れたという。

『百合若説経』によれば、悪毒王の身長は1丈6尺(約4.85m)で三面を持つ鬼神であったとされ、壱岐島の民話では、大きな金棒を使って戦ったとされる。また、民話には 風よりも足の速い疾風太郎、遠くのものを見通せる遠見次郎、大石を遠くに投げられる飛礫三郎 という勇力な3人の手下が居たとされている。

なお、百合若大臣にはいくつかの説話があるが、その中にある壱岐島の鬼退治の説話では、壱岐島の名称が芥満国(けいまんのくに / かいまんのくに)とされていたり、悪毒王に当たる鬼が 鬼の太郎・鬼の次郎 という二人の大将だったとされるものもある。また、百合若大臣は鬼退治の後に壱岐島に置き去りにされるが、その時に小鬼が世話をしたとされ、この小鬼は火を吹いて、あるいはヘソを沸かして海産物を調理したとされている。

鬼凧の由来
珍奇ノート:悪毒王 ― 長崎県の壱岐島に伝わる鬼 ―

悪毒王の説話は、壱岐の伝統工芸である「鬼凧(おんだこ)」の由来になったとされている。壱岐島の民話によれば、鬼の国は天上にあったとされ、首を刎ねられた悪毒王はこの国に首を繋げる薬を取りに帰ったとされる。

それから悪毒王が地上に戻った際に天上の鬼どもがその様子を覗いていたため、百合若大臣が鬼が降りて来ないように「壱岐の島の枯木に花が咲いた時と、炒豆に目が出た時に限り降りて来るがよい」と叫んだという。

これにより、毎年草木が芽吹く桃の節句の頃になると鬼が地上に降りようとするため、百合若大臣の鬼退治を描いた鬼凧を揚げるようになったとされている(鬼凧に描かれている鬼は悪毒王で、人は百合若大臣とされる)。

壱岐の島の痕跡

壱岐の島には悪毒王の伝説にまつわる痕跡がいくつかある。例えば、太郎礫・次郎礫と呼ばれる2つの巨石は、百合若大臣が軍船を率いて壱岐の島に向かっている時に、悪毒王の手下が投げた大石であるとされる。また、寝島は百合若大臣が鬼退治の後に寝入った場所で、黒瀬の滝の割目は百合若大臣が鉄下駄で歩いた跡だとされており、天手長男神社には島に取り残された百合若大臣の世話をしたとされる小鬼の墓がある。

悪路王との関係

悪毒王は資料によって悪路王とも表記される。これは資料に記される「あくどこお」という鬼の名に漢字を当てた際に悪路王となったものだと思われる。悪路王は東北の蝦夷として有名だが、悪毒王の物語を読む限り特に共通点は見られない。

桃太郎との関係

百合若大臣は資料によっては「桃から生まれた人」であるとされている。この説話においては百合若大臣の幼名は桃太郎とされ、壱岐の島が芥満国(かいまんのくに)という鬼の国とされており、百合若大臣が上陸して鬼退治をするという内容になっている。ただし、いわゆる桃太郎の説話とは異なり、その他の百合若大臣の説話と同じような物語の形になっている。

データ


種 別 日本妖怪、鬼
資 料 『百合若説経』、壱岐島の民話
年 代 平安時代
備 考 鬼凧に描かれる鬼は悪毒王とされる