黄牛【アメウシ / オウギュウ】
珍奇ノート:深淵の黄牛 ― 牛の滝にまつわる怪牛 ―

深淵の黄牛は、愛知県新城市と豊川市に伝わる怪牛のこと。

当地にある「牛の滝」の伝説では、この牛によって滝が作られたといわれている。


基本情報


概要


深淵の黄牛は、愛知県の新城市と豊川市の境にある「牛の滝」の由来になった怪牛である。

当地の伝承によれば「昔、境川の両岸の集落が農業用水を巡って争った時に、川上から身の丈3丈(9.09m)の大牛が現れたので両方の村人は逃げ帰って。その翌日、村人たちが現場に向かうと巨大な滝ができていたので、村人たちは大牛を神の化身として感謝を捧げ、争いを止めて水を分けあった」とされており、これによって「牛の滝」と呼ばれるようになったという。

また、江戸時代の随筆『煙霞綺談』にも大牛についての奇談が記されており、これによれば「享保年間(1716~1736年)に東上村に住む六左衛門という者が雌滝(牛の滝)で鮎を捕っていたところ、突然 水が逆流して淵の中から黄牛が現れた。この黄牛は角を振り立てて突進してきたので、六左衛門は上の道に登って難を逃れたが、後に発熱してうわ言を言うようになり、その3日後に死んでしまった」とされている。ちなみに「浅草の牛鬼」や「西牟婁郡の牛鬼」にも"姿を見ただけで病に罹ったり、死んでしまう"というような類似した話がある。

データ


種 別 伝説の生物、UMA
資 料 『煙霞綺談』ほか
年 代 江戸時代
備 考 説話が牛鬼に似ている

深淵の黄牛の関連スポット
・牛の滝(愛知県豊川市東上町滝ノ入82-34)

資料


牛の滝の伝説(愛知県新城市)
昔、三河の川田と東上の村人は、境川の水を巡って争っていた。互いの村人は夜中にこっそりと川水を奪いあっていたが、ある時に両村の者がばったりと出会ってしまった。そこで文句の言い合いが始まり、いつまで経っても終わりそうになかったが、そんな時に川上の方から一頭の巨大な牛が這い出してきた。その牛は身の丈3丈(9.09m)で大きな声で一鳴すると、争っていた2人は喧嘩そっちのけで肝を冷やして一目散に逃げ帰っていった。

その翌日、逃げ帰った2人は村人たちと話し合い、昨日の大牛が現れた場所に向かうことにした。すると、そこには大きな滝ができていて、たくさんの水が流れ出ていた。また、そこには昨日の大牛にそっくりな大岩が滝に打たれていた。これを見た村人たちは「きっと、神様が自分たち争いを見かねて、大牛になって現れたに違いない」と思って、今までのことを反省して、それからは互いに水を分け合うようになった。また、この出来事によって、この滝は「牛の滝」と呼ばれるようになったという。

『煙霞綺談(滝壺のぬし)』
三河国の吉田より4里北東に東上村という所がある。この村の北に6,7町に本宮山より落ちる大きな滝がある。その高さは4,5丈で、落ちる所は谷底に草木が茂っており、昼でも暗い物凄いところである。滝壺は水が渦巻いていて人を寄せ付けない。そこから2間ほど下に落ちる。この滝を雌滝という。此処は深淵であったが、東上村の六左衛門という者は水に馴れていたので、常に雌滝の滝壺に潜って魚を捕っていたという。

享保年中(1716~1736年)のある日、六左衛門が此処で鮎を捕っていたところ、突然 水が逆流してきたので何事かと様子を見てみると、淵の中から黄牛が現れた。それは角を振り立てて吽々と吼え、六左衛門を目掛けて突進してきた。六左衛門は剛強の者だったが素手であったので、早々に上の道に登って難を逃れた。しかし、六左衛門は忽ち発熱し、その間にうわ言のようなことを喋るようになり、その3日目に死んでしまった。深淵と言えば大蛇でも出そうなものだが、牛が出るとは奇妙なことである。