修蛇【しゅうだ】
珍奇ノート:修蛇(シュウダ) ― 中国に伝わる英雄に退治された大蛇 ―

修蛇(しゅうだ)とは、中国に伝わる怪蛇のこと。

洞庭湖に棲み、民を害する大蛇だとされている。


基本情報


概要


修蛇は中国に伝わる巨大な怪蛇で、人々に害をなす大蛇とされている。最も代表的な記述は『淮南子』本経訓に見られ「洞庭湖に棲み、民を害する大蛇」とされ、英雄・羿によって討伐された存在として語られている。

後代の文献では、修蛇は巴蛇とほぼ同一の存在として扱われることが多い。『淮南子』では修蛇の討伐譚が語られる一方、『後漢書』南蛮伝や『水経注』などでは巴蛇が洞庭湖に棲む怪蛇として禹や羿に討たれたと記されており、生息地・討伐者・性質が一致することから、両者は同一の存在とする見方が通説となっている。

また、前漢の文人である揚雄の『揚雄傳上』には「修蛇を帯びる」との表現が見られ、修蛇が害をなす大蛇として当時すでに一般的な概念であったことがうかがえる。

データ


種 別 UMA、伝説の生物
資 料 『淮南子』『揚雄傳上』ほか
年 代 紀元前2世紀頃
備 考 巴蛇と同一視されている

『淮南子』(紀元前2世紀頃)


本経訓


原文

逮至堯之時、十日並出。焦禾稼、殺草木、而民無所食。猰貐、鑿齒、九嬰、大風、封豨、修蛇、皆為民害。堯乃使羿、誅鑿齒於疇華之野、殺九嬰於凶水之上、繳大風於青邱之澤、上射十日、而下殺猰貐、斷修蛇於洞庭、擒封豨於桑林。

現代語訳

堯(ぎょう)の時代に、十の太陽が同時に現れた。作物は枯れ草木は死に、民は食べるものを失った。さらに猰貐(あつゆ)、鑿歯(さくし)、九嬰(きゅうえい)、大風(たいふう)、封豨(ほうき)、修蛇(しゅうだ)といった怪物がみな民に害をなした。そこで堯は弓の名手である羿(げい)を遣わし、修蛇を洞庭湖(どうていこ)にて切り殺させた。

脩務訓


原文

吳為封豨修蛇、蠶食上國、虐始于楚。

現代語訳

呉は封豨や修蛇のような存在となり、我が国をむさぼり食い、その暴虐は楚から始まった。

『揚雄傳上』(紀元前1世紀頃)


原文

若夫壯士慷慨、殊鄉別趣、東西南北、騁耆奔欲。癴蒼豨、跋犀犛、蹶浮麋。斮巨狿、搏玄蝯、騰空虛、距連卷。踔夭蟜、娭澗門、莫莫紛紛、山谷為之風猋、林叢為之生塵。及至獲夷之徒、蹶松柏、掌疾梨、獵蒙蘢、轔輕飛、履般首、帶修蛇、鉤赤豹、摼象犀、跇巒阬、超唐陂。車騎雲會、登降闇藹、泰華為旒、熊耳為綴。木仆山還、漫若天外、儲與虖大溥、聊浪虖宇內。

日本語訳

壮士(若き勇士)が慷慨して気勢をあげ、故郷を離れて東西南北に駆け巡る。癴蒼豨(山猪)、跋犀犛(犀牛)、蹶浮麋(鹿のような獣)を踏み越え、巨狿(大猿)を斬り、玄蝯(黒い大虫)を捕らえ、空中に跳躍して、谷や峰を駆け巡る。踔夭蟜(奇妙な小獣)、娭澗門(谷の怪物)、無数に入り乱れ、山谷は風が吹き荒れ、林や茂みからは塵が舞い上がる。

夷族(敵)を討つときは、松や柏を蹴飛ばし、梨の木を手で打ち倒す。蒙蘢(茂った草むら)を駆け抜け、軽やかに飛び回る。頭を低くして歩き、修蛇(害蛇)を帯びて移動する。赤豹を鉤で捕え、象や犀を制する。険しい山や崖を越え、唐の堤を飛び超える。

車や騎兵が雲のように集まり、昇り降りも闇の中で行われ、泰華山は旗のように、熊耳山は装飾のように見える。木々は山を超えて連なり、まるで天の外を漂うかのようで、広大な世界を遊覧するかのようである。