珍奇ノート:疫病神の資料



『日本霊異記』


讃岐国山田郡に布敷大衣女という女がいた。

聖武天皇の御代に衣女は急病に罹ったので、疫病神に供えるために様々の馳走を用意して門の両側に置いた。その時、閻魔王の使いの鬼が衣女を連れにやって来たが、鬼は走り疲れていたので供物の馳走を食ってしまった。

そこで鬼は「お前の供えた馳走を食ったので、その恩に報いることにしよう。お前と同名の者がいるか?」と衣女に問うと、衣女が「この国の鵜垂郡に同名の衣女がおります」と答えたので、鬼は衣女を連れ、鵜垂郡の衣女の家に会いに行った。そして、赤布の袋から一尺の鑿(ノミ)を取り出して、鵜垂郡の衣女の額に打ち立てて連れて行き、山田郡の衣女は隠れて家に帰って行った。

閻魔王は鬼が連れてきた衣女を取り調べたが「この女は違う者だ。すぐに山田郡の衣女を連れて来い」と命じた。鬼は隠すことができずに山田郡の衣女を連れてくると、閻魔王は「これぞ本当の衣女だ」と言って鵜垂郡の衣女を帰してやることにした。しかし、その肉体は既に火葬にされて無くなっていた。

そこで鵜垂郡の衣女は「私には身体が無いので帰ることができません」と閻魔王に訴えた。そこで閻魔王は「山田郡の衣女の肉体があるので、それを貰ってお前の身体とするが良い」と言った。そこで鵜垂郡の衣女の魂は山田郡の衣女の身体に宿って生き返えることになった。

そして、その父母に「ここは我が家ではありません。我が家は鵜垂郡にあります」と言うと、父母は「お前は我が子だ。どうしてそのような事を言うのだ」と言ったが、衣女はこれを聞かずに鵜垂郡の家に向かって「この家が我が家です」と言った。

しかし、本当の父母は「お前は我が子ではない。我が子は既に火葬してしまった」と言うので、衣女は閻魔王とのやり取りを詳しく話した。これを聞いた両郡の父母は衣女を信用して両家の財産を与えた。こうして衣女は四人の父母を持ち、両家の宝を自分のものにしたのである。云々。

『今昔物語集』


昔、国中に咳病が流行し、これに罹らない人は居ない有様だったので、上・中・下のすべての人が病み伏した。

その頃、ある調理人の男が家内の仕事を終えて、亥刻(22時)頃に自宅に帰ろうと家を出たところ、門の所に赤い上着に冠を付けた、とても気高く見える恐ろしげな人に出会った。それは誰だか分からなかったが下賤の者には見えなかったので その前でひざまずくと、その人は「お前は私を知っているのか?」と言ったので、調理人は「存じ上げません」と答えた。

すると、その人は「私は、昔この国に居た大納言の伴善雄である。伊豆国に流されて ずっと以前に死んだが、こうして行疫流行神となって来たのである。私は朝廷に対して罪を犯したため、重い罰を被ることになったが、朝廷に仕えている間は この国から多くの恩を受けた。それ故に今年は国中に疫病が流行して人々は悉く病死するはずだったが、こうして私が咳病程度で留めるようにしてやったのだ。よって、今は咳病が流行っている。私は これをお前に伝えようと思って立っていたのだ。お前は何も恐れることはない」と言って掻き消すように失せていった。

これを聞いた調理人は家に帰って人々に語り伝えた。よって、それ以来「伴大納言は行疫流行神になっている」といわれるようになったのである。それにしても世には多くの人がいるのに、どうして調理人に伝えたのだろうか。それには、きっと何か理由があるのだろう。

『大語園』


昔、江戸本所石原町に播磨屋惣七という者がいた。この男がある日の仕事の帰り道で見知らぬ男に「どこへ行かれるのか」と声をかけられたので、惣七は「石原の方へ帰る途中である」と正直に答えた。すると、その男は「ならば、私も同道願いたい。実は私は生来の犬嫌いで犬に出会えば進めなくなってしまう。なので、是非とも同行に預かりたい」と言うので、惣七は快く同行することにした。

道中で2人は黙って道を歩いたが、途中まで来たときに男は惣七に向かって「どうも、ありがとうございました。私はこの屋敷に用があるので、ここで分かれることにします。実を明かすと、私は人間ではなく世にいう疫病神なのです」と素性を明かし、さらに「本日の御礼に貴方の家に疫病神の入らない工夫を教えましょう。それは毎月3日に小豆粥を炊くことです。その家には私の仲間は入らないことになっています。これをよくよく御承知ください」と言ったかと思うと、惣七の目の前からかき消すように失せてしまったという。