珍奇ノート:冶鳥(治鳥)の資料



『搜神記』


越地の深山に鳥がいる。それは大きな鳩のようで、青色であり、名を冶鳥(ヤチョウ)という。大樹を穿ち巣を作るが、それは5,6升の器のようであり、戸の口径は数寸である。その周りを土で飾り、それは赤・白に分かれていて状(かたち)はまるで的のようである。木を苅るものは この樹を見るとすぐに立ち去る。

日が暮れると この鳥の姿は見えなくなり、鳥もまた人に見られないことを知っていたので「おいおい、上に去れ」と喚く。すると、翌日は上って木を伐らなければならなかった。また「おいおい、下に去れ」と喚くと、翌日は下って木を伐らなければならなかった。もし、鳥が笑っているだけならば、人は止まって木を伐った。もし、その人が汚れていれば、虎が夜通し見張りに来て、人が去らなければ傷つけさせた。

この鳥は日中に見ると鳥の姿であるが、夜になると声は鳥だが姿は人の形になり、その大きさは3尺(約0.9m)である。谷で石蟹を捕って、人の起こした火で炙るが、人はこれを犯さない。越人はこの鳥を越祝の祖と呼んでいる。

『本草綱目』


『搜神記』によれば、越地の深山に鳥がおり、それは大きな鳩のようで、青色であり、名を治鳥(ジチョウ)という。樹を穿ち巣を作るが、それは5,6升の器のようであり、その口径は数寸である。それを土と堊で飾り、それは赤・白に分かれていて状(かたち)はまるで的のようである。木を伐るものは この樹を見るとすぐに立ち去るが、犯せば虎に害され、舎を焼かれるからである。この鳥は日中に見ると鳥の姿であるが、夜になると声は鳥だが姿は人の形になり、その背丈は3尺(約0.9m)である。谷で蟹を捕り、人の起こした火で炙って食べる。山の人は越祝の祖と呼んでいる。

また、『酉陽雜俎』によれば、俗説に昔 ある人が洪水に遭い、樹皮を食べて飢えを凌ごうしたところ、餓死してこの物になったという。その樹には、根本に猪が棲み、幹には人が住み、枝には鳥が棲んだ。鳥の巣には鏡のようで、それは広くて2寸1分の大きさである。南の人は その巣を食べるが、味は木芝のようだという。此処には 山都・山・木客という獣がおり、鳥には 治鳥・山蕭・木客鳥がいる。これらは氣の戻る所の賦であり、同じものでも形が違う。

『和漢三才図会 治鳥』


『本草綱目』には、越の地の深山にこれが棲んでいるとあり、その大きさは鳩のようで色は青色である。樹を穿ち巣を作るが、その大きさは5,6升の噐で口径は数寸であり、土(あかつち)堊(しつくい)で飾られている。それは赤・白が等間隔で塗られていて、その状(かたち)はまるで弓の的のようである。木を伐るものは この樹を見るとすぐに立ち去るが、犯せば虎に害され、舎を焼かれるからである。この鳥は日中は鳥の形だが、夜になると声は鳥のままだが人の形になる。身の丈は3尺(約0.9m)で谷の中に入って蟹を捕り、人が起こしている焚火の傍にやって来て蟹を炙って食べる。山の人はこれを越の神という。

案ずるに、(著者良安の)先輩の皆は「治鳥とは、本朝におけるいわゆる天狗の類であろう」という。『羅山文集』には、日光山に天狗がおり、好んで高い杉に棲むとある。なお、これは愛宕山の大杉には榮術太郞(えいじゅつたろう)が棲むということの類であろう。思うに、鬼魔のことを指していうのだろう。先の天狗とは星の名である。我が朝には浮屠(僧侶)・修験者が、世俗を脅して庸愚(愚かな凡人)を惑わして、己の術を売ろうとするために天狗の名を唱え、これを以って罵ったのであろう。ただし、深山や幽谷など、その氣のおよぶ所、すなわち山都や木客もまたこれであろう。なお、大海に鯨鯢(クジラ)がいるように、これも疑いようがない。

ある書には、服狹雄尊(ソサノヲ=素盞鳴尊)が猛き氣が胸や腹に満ちるあまり、それを吐くと天狗神に成ったという。それは姫神で、躯は人の身だが、頭は獣の首である。鼻が高く、耳は長く、牙も長い。左右(ともかく)、他の意に従わず、太(にへぎま)に怒り、甚だ荒む。大力の神といえども鼻にかけ、即座に千里に挑(はね)る。また、強堅の刀戈といえども、噛んで牙に掛けてずたずたに壊してしまう。

つねに事を穏当にすることが出来ず、左にある者を以って、早逆らって「右である」といい、また、前にある者は「後である」という。そして、自ら推し名付けて「天逆毎姫(アマノサコノヒメ)」という。天の逆氣を呑んで、独りでに孕んで子を生んだ。それを「天魔雄神(アマノサカヲノカミ)」と名付けた。

天尊の命に従わず、諸事のしわざにも善きことをなさず、八百万神らは悉く持て余してしまった。天祖は赦して天魔雄神を九虚の王にして、荒ぶる神・逆らう神は皆これに属させた。そして、かの神どもは心腑に託して意(おもい)を変じ、令敏(さと)き者にこれを高ぶらしめ、愚かなる者はこれを迷わせた。これが俗にいう"天狗"および"天の佐古(あまのざこ)"の類か。正説ではないが、これを記して考えるに備う。