蜃の資料
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『大和本草』
『潜確類書』によれば「その形は螭龍に似ており、角と耳がある」とされ、『埤雅』よれば「蜃気で楼閣を作ると雨が降るといわれ、その蜃気は丹碧で隠然としており、煙霧のようであるという。今の俗世間ではこれを蜃楼という」とされている。
また『史記』には「海の傍の蜃気は楼閣を成す」とあり、『沈括筆談』によれば「登州の海中に時々雲気があり、その中には 宮室・台観・城堞・人物・馬車・冠蓋 のようなものが見える。これを海市とあるいは蛟蜃(こうしん)の氣という」とされている。
また『本草綱目』の著者・時珍が言うには「蛟に属するものに蜃があり、その形は亦や蛇に似て大きく、角があり、龍のような形である云々」とされ、また「よく氣を吐いて楼台・城郭の形を成す」という。
また『月令』に「孟冬の月に雉が大水に入って蜃となる(註 蜃とは大蛤である)」とあり、また篤信が言う「蜃気楼台をなす」の蜃は龍の類とされるが日本には居ない。『月令』に記される雉の変化する蜃は大蛤である。楼台を見なすのはこの蜃ではない。
このような古書を多く見て考えるに、この説を是とするべし。『合璧事類』などの書に「大蛤、または蜄というのは、よく氣を吐いて楼台を成す」というがこれは間違いだろう。
『和漢三才図会(蜃)』
『本草綱目』に「蜃とはすなわち蛟(みずち)に属するもので、その形は 亦や蛇に似て大きく、角があって龍のような形をしている。また紅の鬣を持ち、腰より下はことごとく鱗が逆になっている。ツバメを食い、よく氣を吐いて楼台・城郭をなす。これは、まさに雨が降ろうとする時に見えるもので、蜃楼または海市と呼ばれている。また、その脂を蝋と混ぜあわせて蝋燭が作られる。それは、おおよそ100歩の辺りまで香る。この炎の中に亦や楼閣が浮かぶ」とある。
また、陸佃(『埤雅』の著者)がいうには「蛇と亀が交ることで亀が生まれ、蛇と雉が交わることで蜃が生まれる。その物は異なるが、感じは同じである」また「正月に蛇と雉が交わることで卵を生み、これが雷に撃たれて土に入ると数丈の蛇の形と成り、それから200~300年を経ると天高く昇って蜃になるが、卵が土に入らなければ雉として生まれるのみである」とのことである。
また月令(『礼記』)によれば「雉が大水に入れば蜃となる」とのことである。
寺島良安(筆者)が案ずるに、海蛤もまた蜃と呼ばれることがあるが、これは同名の異物である。これについて『本草綱目』には「羅願は海蛤の蜃を雉が変じる蜃としているが、いまだに知られてなく、そうであるかどうかは分からない(介部、車螯に詳細を記す)」とある。
『和漢三才図会(車螯)』
大蛤(おおはまぐり)を総て蜃(しん)と言うが、もっぱら車螯(しゃごう / わたりがい)を指すものではない。また、蛟蜃という蜃と同名のものもあるが、これとも別物である。
『本草綱目』に「車螯は大きな蛤のことである。その殻は紫色で玉のごとく光り輝く。また、花のような斑点があり、漁師たちはこれを炙って身を食べるが、その味は蛤蜊(しおふき)に似ており、食感は硬いという。これはよく氣を吐いて楼台を作り出し、春夏には島にわずかな氣が常に漂う。また同種のものが数種類おり、移角・姑勞・羊蹄は車螯に似ているが、殻の大きさや厚みが異なる」とある。
寺島良安(筆者)が案ずるに、車螯の吐く氣は晴れたり曇ったりしていない月夜の間に漂っており、船人たちを惑わしたのであろう。氣が晴れるのが遅ければ晴天となり、晴れるのが速ければ風雨となるという。
西海の人はこれを「渡の貝」と呼ぶが、北海の人はこれを「狐の茂-利-太-豆-流(もりたつる)」と呼ぶ。このように俗によって奇怪なものとされているが、そうではなく、車螯が吐く気によって起きる自然なことである。
『今昔百鬼拾遺(蜃気楼)』
蜃気楼
史記の『天官書』が言うには「海のそばの蜃気は楼台を象る」云々。蜃とは大蛤のことであり、海上に気を吹いて楼閣城市の形をなす。これは蜃気楼と名付けられ、海市とも云われる。
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