太陽の奇跡 ― ファティマの聖母が起こした奇跡 ―

太陽の奇跡とは、1917年10月13日にポルトガルのファティマで起こった超常現象のこと。
ファティマの聖母によって起こされた奇跡とされ、太陽が極彩色に発光したり、ジグザグに動いたりしたという。
また、現在ではUFOが起こした現象であると見られることもあり、宇宙人との関連性を指摘する説も唱えられている。
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基本情報
概要
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聖母と対面した子供たち |
1917年にポルトガルの小さな町であるファティマにて、羊飼いの子供たちの前に聖母が現れ、様々な予言を与えたり、超常現象を見せるという事件が起こった。この事件は噂が広まって多くの人々を巻き込み、やがてローマ教皇庁にも奇跡として公式に認められることになった。この事件は"ファティマの聖母"などと呼ばれている。
太陽の奇跡(ファティマの奇跡)は、この"ファティマの聖母"において1917年10月13日に起こった超常現象のことで、太陽が様々な色に発光したり、ジグザグに動いたり、地上に向かって落ちかかってくるような動きを見せたという。また、この現象は太陽が踊っているようにも見えたことから"太陽の舞踏(太陽のダンス)"と表現されることもある。
なお、この現象の背景として"聖母の出現"は大群衆の前で起こっていたものの、聖母の姿を見たり直接会話できたのはルシアという少女だけだったので、聖母の存在を疑う意見も多かった。そこで1917年7月13日の聖母出現の際、ルシアが聖母に「貴方の出現を全ての人々が信じるように奇跡を行ってほしい」と頼んだところ、聖母は「10月に全ての人がひと目で信じるような一つの奇跡を行いましょう」と答え、同年10月には実際に以下のような形で奇跡が起こされた。
当日の様子
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1917年10月13日、この日は大雨であったにもかかわらず、聖母の奇跡を聞きつけた7万人以上の大群衆がファティマのコヴァ・ダ・イリアという丘に集まった。なお、このとき集まったのは敬虔な信者ばかりではなく、不信心な若者なども混ざっており、ヨーロッパの主要メディアや科学者などもいたとされる。
この日に出現した聖母は自らを"ロザリオの聖母"と称し、ルシアと一連のやり取りをした後に去っていった。すると、空に閃光が煌めき、周辺一帯にバラの花のような甘い香りが漂った。そして、ルシアが太陽を見るように叫ぶと、突然大雨が止み、暗雲が割れて"銀色の太陽"が出現した。
この"銀色の太陽"は不透明で回転する円盤のようであり、通常よりもくすんだ色をしており、直視しても目を痛めることはなかったという。そして、10分ほど極彩色に発光して周辺の景色や人々などを照らし、やがて天空から地上に向かって突進した。これを見た群衆は驚愕してパニックになったが、次の瞬間には猛スピードでジグザグに動いて元の位置に戻ったという。
この後 "銀色の太陽"は消え去り、太陽も通常通りに輝き始めた。この後、人々は大雨で ずぶ濡れになっていた自分たちの衣服や、周辺の木々、大地までもが完全に乾いていたことに再び驚いたという。なお、この現象は現場から半径40キロの範囲で目撃されており、"銀色の太陽"は少なくとも直径数千メートルあると思われる巨大なものだったといわれている。
なお、聖母と接見していたルシアは、後に"この現象が イエス・キリスト、悲しみの聖母、カルメル山の聖母、聖ヨセフが人々を祝福している光景に見えた"と語ったという。
このようにして聖母の予告どおりに大奇跡が起こり、この事件は新聞などで報道されて世界的な大反響を巻き起こした。ちなみに日本でも大正6年の新聞で「ヨーロッパにマリア様が出現して大奇跡が起こった」として報道されている。
データ
種 別 | 超常現象 |
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資 料 | ルシアの手記、当時の新聞記事など |
年 代 | 1917年 |
備 考 | バチカンに奇跡として公認されている |
後日談
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当時の新聞記事 |
・様々な新聞で報道された
・太陽の奇跡の当日、太陽の運動を感知した観測所は無かったことが分かった(太陽活動に異常は見られなかった)
・1940年、ピオ12世によって"聖母の出現"が公認された
・イタリア人司祭のデ・マルキ神父によって1943~1950年の間に情報収集され、数冊の本にまとめられた
・1950年、ピオ12世がバチカンで太陽の奇跡を4度目撃したという
詳細情報
銀色の太陽の特徴
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銀色の太陽 |
・不透明でくすんだ銀色をしていた
・高速回転する円盤のように見えた
・太陽と異なり直視しても平気だった
・極彩色に発光(フラッシュ)した(虹色または赤・黄・青・紫などと言われる)
・グルグルと回ったり、ジグザグに動いたりした(踊っているように見えた)
・地上に向かって人々を押しつぶす勢いで落下した
・天候に影響した(暗雲を割って雨を止ませた)
・強い熱を放っていた(後に衣服や大地を乾かせた)
目撃者の反応
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太陽を見上げる群衆 |
・脱帽して祈った
・涙を流して祈った
・泣き叫んだ
・大地にひれ伏した
・大声で自分の犯した罪を告白した
太陽の奇跡の諸説
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幻日 |
・大気光学現象説:幻日、蜃気楼、オーロラの類とする説
・日食網膜症説:群衆の目に異常があったとする説
・未確認飛行物体説:UFOが引きおこした現象とする説
カトリック新聞『Ordem』に掲載されたドミンゴス・ピント・コエーリョ博士の手記
太陽は真紅の炎に包まれたかと思えば、次の瞬間には黄色と深紫色の光の輪に囲まれ、極めて高速で回転しているようで、時には空から離れて地上に落ちてゆくように見え、強い熱を放っていた。
リスボンの新聞『O Dia』の記者による説明
…薄絹のような灰色の光に包まれた銀色の太陽が回転し、雲の切れ間で輪を描くように見えた。…光は聖堂のステンドグラスを通したような美しい青色に変わり、腕を広げてひざまずく人々に降り注いだ。…人々は待ち望んでいた奇跡を目の当たりにして、頭の覆いを取り去り、涙を流して祈りを捧げた。1秒が何時間にも感じられ、非常に鮮明だった。
コインブラ大学の自然科学教授のアルメイダ・ギャレット博士による説明
太陽は静止していなかった。突然すべての人がどよめきを上げると、太陽が狂ったように渦を巻いて回転した。太陽はぐるぐると回って大空から離れると、巨大な燃え盛る砲丸で私たちを押し潰すかのように威嚇的に地上に向かって来た。この時に感じていたのは恐怖だった。
サンタレンの神学校教授のマヌエル・フォルミゴン博士による説明
何の前触れもなく突然雲がねじ切れ、天頂に太陽が壮麗な輝きをもって姿を現した。それは目まぐるしく自転し始め、想像し得る限り最も壮大なテンニンギクのようで、七色に染まって色とりどりの光のフラッシュを放ち、非常に驚異的な現象を引き起こしていた。この荘厳無比の光景ははっきりと3回繰り返され、約10分間続いた。途方もない奇跡の証に圧倒された莫大な数の群衆はひざまずいた。
ジョアキム・ローレン牧師の説明(アルブリテルでの目撃談)
私が見たものを言葉で表すことはできないと思う。私は太陽をじっと見ていた。太陽は青白く見え、目を傷めることはなかった。雪玉のようで、自転していた。突然ジグザグに降りてきて、地上を脅かした。私は恐怖に襲われ、今にも世界が終わると予期して泣いている群衆の中に逃げ隠れた。
備考
1950年のローマ教皇ピオ12世による目撃談
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ピオ12世 |
1950年、教皇ピオ12世が聖母の被昇天の教義を宣言した週に"太陽の奇跡"を4回目撃したと述べた。
1950年10月30日午後4時、バチカン庭園を散歩中の教皇がルルドの聖母像の前に着くと"太陽の奇跡"が起こったという。彼は手書きのメモの中で「畏怖の念に打たれた」と述べている。また、10月31日、11月1日、11月8日にも目撃したという。
教皇は別日の同時刻に"太陽の奇跡"を見られるかを試したが、結局 見ることはできなかった。教皇はこの話を多くのバチカンの枢機卿とシスター・パスカリーナ・レーネルトに打ち明け、後にメモにも書き残している。
映画『The 13th Day』
ファティマの聖母は、2009年にアメリカで『The 13th Day』というタイトルで映画化されている。
関連項目
ファティマの聖母 ― ポルトガルに現れた聖母マリア ―
ファティマの聖母とは、ポルトガルのファティマという町に出現した聖母マリアのこと。 この聖母は1917年の5月~10月にわたって6度現れ、様々な予言や奇跡を起こしたことで知られている。 また、この聖母の出現はバチカンによって公認されており、「第三の予言」については今でも議論の的になっている。
ファティマ第三の予言 ― ファティマの聖母が残した秘密の予言 ―
ファティマ第三の予言とは、1917年にポルトガルのファティマに現れた聖母が残した予言の一つである。 第一、第二の予言は戦争に関する予言で的中しているが、第三の予言に関しては未だにはっきりと公開されていない。 そのため、様々な憶測や仮説が唱えられており、今でも議論の的になっている。
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