鞍馬天狗【クラマテング】
珍奇ノート:鞍馬天狗  ― 鞍馬山に住む大天狗 ―

鞍馬天狗(くらまてんぐ)とは、京都府にある鞍馬山に住むと伝えられる大天狗のこと。

別名を鞍馬山僧正坊と言い、天狗の中でも強い力を持つ日本八天狗の一尊に数えられている。


基本情報


概要


鞍馬天狗は、鞍馬山の奥にある僧正ヶ谷に住むと伝えられる大天狗で、鞍馬山僧正坊(くらまやまそうじょうぼう)とも呼ばれる。日本八天狗の一尊に数えられ、日本各地の天狗の中でも最も強い力を持つ総帥的存在であるとも言われる。

また一説に、鞍馬天狗の正体は弘法大師の十大弟子の一人である壱演権僧正(いちえんごんそうじょう)であり、貞観9年(867年)に小船で沖に出てから戻ることがなかった壱演権僧正がそのまま天狗になったものともいわれている。

牛若丸と鞍馬天狗

珍奇ノート:鞍馬天狗  ― 鞍馬山に住む大天狗 ―

鞍馬天狗は牛若丸(源義経)に剣術や兵法を授けたことで知られており、その様子は能などで表現されている(内容は下記資料を参照)。しかし、この物語の具体的な出典は不明で、少なくとも義経の生涯を描いた『義経記』からの影響はほとんど見られない(ちなみに『義経記』に鞍馬天狗は登場しない)。

また、『御伽草子・天狗の内裏』によれば、鞍馬天狗は鞍馬山に存在する目には見えない「天狗の内裏」に住んでおり、手下に数多の小天狗を従えていて、愛宕山・比良山・高野山・那智山・神倉山の天狗や、大唐・天竺の天狗にも顔が利く大天狗であるという。人間を妻としており、神通力で人の素性を見通したり、地獄や浄土にも飛んでいくことができ、内裏を訪れた義経を大日如来となった亡き父・義朝と会わせた後に師弟の契約を結んだとされている。

鞍馬弘教と鞍馬天狗

珍奇ノート:鞍馬天狗  ― 鞍馬山に住む大天狗 ―

鞍馬弘教(鞍馬寺の宗派)では、鞍馬天狗は鞍馬寺の本尊である尊天の一尊・護法魔王尊の配下、もしくは護法魔王尊と同一視すると教えられているという。なお、護法魔王尊(サナト・クマーラとも)とは、650万年前に金星から降り立ったもので、その体は人間と同じ姿であるが異なる元素から成っているため食事も必要とせず、16歳の若さのまま年をとることのない永遠の存在であるとされている。この護法魔王尊の像は鞍馬寺で見ることができるが、高い鼻に長い髭、背中に大きな翼が生えている といったその姿は、いわゆる天狗をそのままをイメージさせるものとなっている。

データ


種 別 妖怪、神仏
資 料 『鞍馬天狗(能)』『御伽草子・天狗の内裏』ほか
年 代 不明
備 考 鞍馬弘教では護法魔王尊の配下もしくは同一のものとされる

資料




鞍馬天狗(能)


鞍馬山の東谷の僧が平家の稚児たちを連れて花見に行った際、花見の会場に見知らぬ山伏が現れた。能力(下級僧)は その山伏を追い払おうとするが敵いそうもなかったので、僧は花見は延期として稚児たちと共にその場を立ち去ってしまった。山伏は人間の心の狭さを嘆いたが、そこには一人の少年が居残っており、山伏に「一緒に眺めましょう」と声をかけた。山伏はその心遣いに感謝し、少年に対して得も言われぬ親しみを覚えた。

そのとき、山伏は少年に一人だけ居残った理由を尋ねると、少年は「他の者は皆 平家の子供たちなので寺でも大切にされているけれど、自分は違って仲間外れにされています」と答えた。それを聞いた山伏は少年の身の上に同情し、その少年が源義朝の子で遮那王(しゃなおう)と名付けられた牛若丸であることを見抜いた。

やがて日が暮れてきて、寺の鐘の音が聞こえてくると、山伏は牛若丸に鞍馬山から見える遠くの花の名所を教えてやった。そこで牛若丸が自分に優しくしてくれた山伏に名を尋ねると、山伏は「鞍馬山の大天狗である」と自分の正体を明かし、牛若丸に「平家を滅ぼすための兵法の秘伝を授けるので、明日また会おう」と言って雲を越え、飛び去っていった。

翌日、牛若丸が鉢巻をしめて凛々しい姿で鞍馬山にやってくると、大天狗が、彦山、白峰、大山など名だたる山々の天狗を引き連れて現れた。そして、牛若丸に「漢(中国)という国の張良と黄石公が馬で行き会ったときのこと。黄石公は履いていた左の沓(くつ)を落とし、張良に取って履かせよと言った。次に出会ったときは左右の沓を落として同じように命じた。張良はこれに耐え、何度も沓を取って履かせ黄石公を敬ったので、兵法の奥義を授けられたのだ…」といった漢の張良が黄石公に兵法の秘伝を伝授されたときの話を語って聞かせると、牛若丸も平家を滅ぼすために大天狗を兵法の師匠として敬うことにした。

大天狗は威勢を示すと、牛若丸に飛行自在の兵法を伝授して別れを告げる。そこで牛若が天狗の袂にすがると、大天狗は「将来の合戦でもお前の側を離れずに守護しよう」と約束し、梢にかけって消え失せてしまった。



御伽草子・天狗の内裏(あらすじ)


義経は7歳から鞍馬寺にて学問を始め、13歳になるまでに仏教についても深く学んだ。ある日、外で花を眺めている時に花の盛りが終わりそうな様子を見て、自分の盛りにも限りがあることを悟った。そこで、15歳で門出して天下に名を挙げた先祖の源義家にならって自分も15歳で門出しようと決意した。

その前に、鞍馬山には"天狗の内裏"という目には見えないものがあると聞いていた。義経はどうしても天狗の内裏が見たいと思い、何日もこれを探し回ったが全く見つかることはなかった。そこで、幼い頃より信仰していた毘沙門天に天狗に逢えるように祈願した。すると、夢に毘沙門天が老人の姿で現れて御坂口に来るように告げられる。義経が夢のお告げの通りに御坂口で待っていると、毘沙門天が20歳ほどの法師の姿で現れて、天狗の内裏はこれより先にある五色の築地塀を目指して進めばやがて行き着くだろうと教えた。

義経は言われたとおりに険しい山を進んでいくと、やがて五色の築地塀が現れ、遂に天狗の内裏に行き着いた。天狗の内裏は石で造られた築地塀で囲まれ、その内側には鉄の築地塀が、さらに内側には銀の築地塀が、さらに内側には金の築地塀があり、白洲には金の砂が敷かれていた。義経が中に入って周囲を見渡してみると、まるで七宝が展示されている様に美しかった。また、唐木の階段を上ってみれば、中には納言や宰相など格式高い者たちが順に並んで居た。その者たちは今まで内裏に人間が来ることが無かったので、不思議に思って義経に素性を尋ねると、義経は花を探して偶然行き着いたのだが、せっかくなので帝に会わせて欲しいと懇願した。すると、格式高い者たちは義経が只者とは見えないとして、紫宸殿にいる大天狗にこれを知らせた。

大天狗は神通によって義経の素性を知っていたので、手下の小天狗に御馳走を用意して丁重に迎え入れるように命じ、部屋も金銀で豪華に飾って義経を招き入れた。また、小天狗に命じて、愛宕山の太郎坊、比良山の二郎坊、高野山の三郎坊、那智山の四郎坊、神倉山の豊前坊といった五人の天狗達を招集させた。小天狗が刹那の間に知らせて帰ってくると、まもなく五人の天狗達は数多の御伴の天狗を連れてやってきて、皆一同に義経に礼をし、黄金や山海の珍物、酒などを捧げ奉った。また、大天狗は小天狗に命じて、大唐のほうこう坊、天竺の日輪坊という二人の天狗にも招集をかけた。すると、しばらくして二人の天狗が数百人の御伴の天狗を連れてやってきた。そして、面々は我も我もと酒宴をなして遊興にふけった。

酒宴の最中、大天狗が大唐と天竺の2人の天狗に義経をもてなすための神通を披露するよう頼んだ。すると、まず大唐のほうこう坊が中座に走り出てご覧あれと障子を開けると、眼前に大唐の径山寺が現れて、鐘を撞いたり、なんかい堂に火をかけて一度焼き払う様子などが映し出された。次に天竺の日輪坊が同様に障子を開けると、霞に綱を渡して雲に橋をかけたり、遠山に船を浮かべて自由自在に上るなど、不思議な光景が映し出された。これは兵法の一つとして天狗らから好まれており、兵法を知ることを望んでいた義経を大いに喜ばせた。

また、大天狗は先の5人の天狗達にも兵法として五天竺を披露するよう頼んだ。玉の座敷にて、5人の天狗達が東の障子を開けると、東城国760余州が現れ、それを唐紙100帖ばかりに写した。次に南の障子を開けると、南天竺760余州の民衆を住処が見え、これも100帖ばかりに写した。次に西の障子を開けると、西天竺700余州の山や木々の様子が見えたので、これも書き写した。最後に、北天竺、中天竺など、五天竺すべての様体を500帖に写させ、すべて義経に与えた。義経はこれを末代までの宝にしようと喜んだ。

その後、大天狗の御台所(妻)より俗界からやって来た義経に会いたいと懇願されたので、大天狗がこれを許すと、御台所はとても喜んで綺羅びやかに御粧しして義経の前に現れた。そして、自分は俗界の出身で、元は甲斐国の長者の娘のきぬひさ姫であり、17歳の春に花園山で管弦をして遊んでいるときに天狗に誘われて内裏にやって来た、それから7000余年にもなる、といった話を聞かせた。また、大天狗は一百三十六地獄や九品の浄土にも飛んで行くことができることも話し、義経の父・義朝が九品の浄土の大日如来の一部となっていることを教えた。

義経は大層な大天狗のもてなしに感謝した後、さきほど御台所から聞いた話から、九品の浄土にいる父・義朝に一目でも逢えないだろうかと頼んだ。すると、大天狗は最初は断ったものの、義経と対話する中で義経が仏法をよく学び、深く悟っていることとを理解したので、義経を連れて冥土に飛んでいくことに決めた。一百三十六地獄に到ると、まずは炎の地獄を見せて、ここは山が炎のようにそびえているが刹那の間に焼け砕けて微塵な粉灰となるようなところで、女人が堕ちる地獄であると教えた。次に餓鬼道、修羅道など、諸々の地獄を巡って見せたが、いずれも阿鼻叫喚をきわめる恐ろしいところであった。

この後、十方浄土に到ると、そこには見仏聞法の諸仏如来の顔つきが並ぶ光景が広がっており、喩えようもなく有り難いところであった。中でも勝って拝まれるのが西方の極楽浄土で、ここに父・義朝が大日如来として座しているのだという。大天狗は義経とともに、まず北方の弥勒菩薩のもとを訪れて礼拝し、次に大日如来のいる大極殿に向かった。大極殿に着くと、大天狗は義経を待たせて大日如来にここまで来た経緯を説明した。すると、大日如来は最初は断ったが、大天狗が 義経は仏法をよく学び悟っている と伝えると、大日如来は喜んで大極殿に迎え入れるように言った。

大極殿に入った義経は大日如来の前に座したが、座り心地が悪かったために仏法を学んでいるとはいえ、心の迷いが雲のように現れた。そこで大日如来は義経に仏法について様々な問いをかけると、義経はそれらに潔く答えた。数々の問答の後、義経の答えに満足した大日如来が歓喜して扇を天に投げると、義経の心の迷いも消え、晴れて親子として対面することができた。義朝は早々に世を去ったことで、義経に苦労をかけてきたことを哀れんで、これからは影身に添って守ってやろうと約束した。また、今も都で平家の者共が悪行を為していることを悔やみ、義経に 代わりに敵を討ってくれまいか と頼むと、義経は そのように思われるのであれば、出家する考えを改めて奥州に下り、被官や家来を率いて敵を討ちましょう と答えた。

義経の決意に心を打たれた義朝は、平家打倒のために源氏の過去と未来について教えることにした。まず、源氏の発祥に始まり、この先 義経は奥州に行って藤原秀衡と佐藤忠信を味方につけて上洛すること、次に五条橋で千人斬りをして千人目に現れる武蔵坊弁慶を討たずに味方につけるように言った。この他にも、数々の未来のことについて教え、兄の頼朝と力を合わせて平家と争えば やがて滅ぼすことができるだろうと教えた。しかし、後に梶原景時の讒言によって頼朝と不仲になり、32歳で死ぬことになるが、これは前世の因果によるものだということも教えた。

そして、義経が死後に参ることになる浄土を拝ませてやろう と言って部屋の障子を開けると、そこには金銀、瑠璃、七宝で彩られた場所で、瓔珞で飾った25の菩薩聖衆が音楽をなして舞い遊ぶ光景が映し出された。義経が有難がって見ていると、義朝は 義経は俗界との縁が尽きていないので帰るように促し、俗界でも仏法の教えを守っていくように教えると、最後に俗界を見せてやろう と言って とある障子を開けた。すると、三千大千世界に何日何時如何様(いつなんどきいかさま)の事が映しだされ、それは鏡に映る自分を見るように一目で見ることができた。義経はこのような奇特を見せることができる大日如来の力に感心し、別れを言って御門を目指して去った。

義経は大天狗と共に内裏に帰ると、紫宸殿にて御台所に おかげで亡き父に逢うことができました と礼を言い、併せて大天狗らに別れを言った。大天狗も義経に惜しみながら別れを言うと、義経は また参りたいと思うので師弟の契約を交わしましょう と言った。そして、大天狗が義経を内裏の門まで送って さらば と言ったと思うと、義経は東光坊の中の座敷に帰っていたのであった。


関連項目