蘇民将来子孫家門【ソミンショウライシソンカモン/ソミンショウライシソンケノモン】
珍奇ノート:蘇民将来子孫家門 ― 伊勢地方に伝わる魔除の注連飾 ―

蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんかもん)とは、伊勢地方に伝わる蘇民将来伝説に基づく魔除けのしめ飾のこと。

伊勢市二見町にある松下社から始まったとされる風習で、現在でも悪疫除けや除災招福のご利益があるとして年中飾られている。


基本情報


概要


珍奇ノート:蘇民将来子孫家門 ― 伊勢地方に伝わる魔除の注連飾 ―

伊勢神宮参拝の折に周辺を散歩してみると、民家や店舗の玄関先に正月でもないのに しめ縄 や しめ飾り が掲げられている光景が目に映る。これは「蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんかもん)」というもので、悪疫除けや除災招福のご利益があるということで年中掲げられているようだ。蘇民将来(そみんしょうらい)とは、スサノオを助けたことで除災招福の恩恵を受けたという伝説の人物で、昔から疫病除・除災招福の神として信仰を集めており、現在でも「茅の輪をくぐり」など、伝説に基づいた護符の授与や悪疫除けの祭祀が行われている。

伊勢地方の蘇民将来子孫家門は この蘇民将来の伝説に基づいているものだが、他所とは違って伊勢地方に伝わる独特の民話を基にしている。というのも、伊勢地方の伝説では蘇民将来は二見町にある「松下社」という神社の周辺に住んでいたとされ、この伝説の中で スサノオが蘇民将来に「これからどんな疫病が流行っても『蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんけのもん)』と書いて門口に掲げておけば、その災いから免れるであろう」と言い残したことから、これにならって松下社では昔から「蘇民将来子孫」と書いた桃符を配布しており、これを授かった伊勢志摩地方の人々は桃符をしめ縄に吊るして厄を逃れたという。この風習が今では しめ縄 や しめ飾り といった形で根付いていったようだ。

蘇民将来子孫家門の護符の文言
・蘇民将来子孫家門:伝説に基づくオーソドックスなもの
・笑門:蘇民将来子孫家門を省略したもの。かつては将門だったが、平将門公に通じることを忌まれて笑門になった
・千客万来:商売繁盛を祈願するもの

蘇民将来子孫家門の入手方法
・ネット通販:検索すると専門業者やAmazon・楽天などの販売ページが出てくる

蘇民将来について


資料


蘇民将来子孫家門のいわれ


夫婦岩で知られる二見浦の近くにはこんもりと茂る松下社の森がある。昔からスサノオを祀る松下社の辺りは、伊勢神宮に深いゆかりがあり、御茅(みかや)を献納する里でもあった。

これは、かつて この森に住んでいた蘇民(そみん)と巨旦(こたん)という兄弟の物語である。

昔々、スサノオはアマテラスの怒りに触れて神々の住む高天原を追放されて北の海に住んでいた。スサノオが成年になったとき、温暖な南の海に住む神の娘を娶とりたいと思って、南の国に旅に出ることにした。

山や川を越えて各地を旅して歩いたスサノオは、やがて伊勢の地に到着した。この時には すでに日が沈みかけ、疲れもだいぶ溜まっていた。丁度「みわたの国」に差し掛かった時には日はどっぷりと暮れていたので、旅の疲れを癒やすために宿を貸してくれる者を探すことにした。

スサノオが歩いていると、薄暗がりの中にこんもりとした森が見え、その中に灯火も見える。そこで近づいてみると、立派な門構えの屋敷が見えてきた。この屋敷には、里一番の長者である巨旦将来(こたんしょうらい)が住んでおり、門の周りには太い松や檜が茂り、多くの家や倉が立ち並んでいる様子も見える。さらに進むと、やがて大きな母屋が見えてきた。

スサノオは母屋の門を叩いて、家主に宿を貸してくれるよう声をかけた。すると、豪華な造りの家の奥から巨旦が顔を出し、家の中から眩しく漏れる灯火が、深く一礼するスサノオのやつれた姿を照らしだした。

巨旦は、スサノオの貧相な身なりを見るなり「なんと汚らしい。そんなに汚れた格好をしている者を我が家に泊めることはできぬ。さあ、出て行ってくれ」と追い返した。しかし、スサノオが頭を下げて丁寧に頼み続けていると、巨旦は森の向こうに住む蘇民に頼むよう教えて、さっさと戸を閉めてしまった。

スサノオは、仕方なく教えられた通りに蘇民将来(そみんしょうらい)の家を訪ねて歩くことにした。

スサノオが暗闇の中を歩いていると森の外れに小さな灯りが見え、それを手がかりに進むと やがて粗末な造りの小屋が見えてきた。周りには茅や芒が高々と茂っており、なんともみすぼらしく見える。

スサノオは小屋の戸を叩き、宿を貸してくれるよう頼むと、小屋から出てきた蘇民は「それは お困りでしょう。遠い所から遥々おいで下さいました。こんな所でよろしければ、どうぞお泊まり下さい」と快く迎え入れ、スサノオのために藁を敷いて寝床をつくり、蘇民の妻も粟飯を蒸してスサノオをもてなした。

スサノオは蘇民夫婦の温かいもてなし大変喜んで粟飯を食べ、気持ちよく床に就いて旅の疲れを癒やした。

その夜半、スサノオは「あわさ」という北の国から恐ろしい悪疫が襲ってくることを察し、蘇民を起こして このことを伝え、蘇民に茅(ちがや)を刈り集めさせた。スサノオは その茅で輪を編むと「これを茅垣(ちがき)にして囲んでおけば、心配はいらぬ。悪疫も逃げ去っていくだろう」と言い、茅の輪を家の周りに張りめぐらせて、また床に就いた。

翌朝、その日は晴天で天気が良かったが、里の外に出ているものは誰一人いなかった。どうやら、どこの家も悪疫にやられて病に倒れてしまったらしい。蘇民は驚いたが「我が家だけが助かったとは、なんとも有難いことよ」とスサノオが作った茅の輪の不思議な力に救われたことに感謝した。

スサノオは、旅立つ前に蘇民に「慈悲深い蘇民よ。我はスサノオである。これからどんな疫病が流行っても『蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんけのもん)』と書いて門口に掲げておけば、その災いから免れるであろう」と言い残し、旅立って行った。

これ以来、蘇民の家は代々栄えるようになり、いつの頃からか伊勢の地方では新年の注連縄(しめなわ)に魔除けとして「蘇民将来の符」を吊るすようになった。この門符はスサノオを祀る松下社で頒布されており、松下社の森は「蘇民の森」と呼ばれるようになったという。