赤頭【アカガシラ】
珍奇ノート:赤頭 ― 東北地方に伝えられる伝説の鬼 ―

赤頭(あかがしら)とは、東北地方に伝わる鬼(または蝦夷)のこと。

悪路王や高丸と肩を並べる存在であり、蝦夷征討の折に坂上田村麻呂に討伐されたと伝えられている。


基本情報


概要


赤頭は、平安時代に東北地方の一部を支配していたとされる鬼(または蝦夷)で、蝦夷征討の折に坂上田村麻呂に討伐されたと伝えられている。この赤頭の名前には赤頭四郎や赤頭太郎といったものがあるが、その名前や対象とされるものについては資料や伝説によって大きく異なっており、赤頭という呼称を固有名詞と捉えるには難があるように思われる。なお、赤頭とされるものには以下のようなものがある。

達谷窟の赤頭
達谷窟の赤頭(あかがしら)は『吾妻鏡』や「達谷窟毘沙門堂の縁起」に登場する蝦夷で、悪路王や高丸と共に達谷窟を根城にして悪事を働き、周辺の良民を苦しめていたことから、坂上田村麻呂や藤原利仁といった都の将軍に討伐されたと伝えられている。

赤頭四郎
赤頭四郎(あかがしらのしろう / あかずのしろう)は『義経記』や謡曲『鈴鹿』などに登場する鬼(あるいは蝦夷)で、福島県郡山市にいくつかの伝承がある。この伝承によれば、赤頭四郎は多田野村の鬼穴や赤津村の布引山の鬼穴などに生誕伝承があり、鬼ヶ城の鬼山を根城にして悪事を働いていたため、延暦14年(795年)に坂上田村麻呂に討伐されたと伝えられている。また、伊達郡に伝わる赤頭太郎にも四郎将軍という別名があったとされる。

金犬丸
金犬丸(きんけんまる)は岩手県に伝わる鬼(または蝦夷)で、岩手山の周辺一帯を支配した大嶽丸の仲間であり、赤頭と名乗って気仙地方を支配していたとされる。大同年間に大嶽丸が坂上田村麻呂に討伐されると、その残党狩りで追われて田村麻呂あるいは副将の別府隼人に討ち取られたという。

金犬丸の首は土中に埋められ、その上には十一面観音が祀られたとされ、これが猪川観音(長谷寺)の縁起となっている。また、江戸時代に寺域から赤頭の歯とされるものが発掘され、そのうちの33枚が「鬼の牙」として寺宝とされているらしい。

なお、大嶽丸の残党には金犬丸の他に早虎、熊井(猪熊)という者が居たとされ、この二人も田村麻呂あるいは別府隼人に討たれて首塚の上に十一面観音が祀られたとされており、この3人の首塚の上に建てられた観音堂は気仙三観音と呼ばれている。

高丸
岩手県大船渡市に伝わる伝説によれば、赤頭は悪鬼の部族名であり その族長を高丸と言った。高丸は坂上田村麻呂と戦って頑強に抵抗していたが、やがて敗れて一族は四散してしまい、高丸は田村麻呂に追討されて背後が崖淵の大岩の上に追い詰められてしまったという。そこで高丸は大岩から思い切り飛び上がり、淵を飛び越えて逃げ去っていったといわれ、この故事によって「鬼越」という地名が付いたとされている。

赤頭太郎(赤瀬太郎)
赤頭太郎(あかずのたろう)は福島県伊達郡に伝わる蝦夷であり、江戸時代に陸奥国の伊達郡から信夫郡の辺りまでを支配していたとされる。しかし、延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が攻めてきたので、赤頭太郎は領民の安全を条件に自ら降伏し、当地の河原で斬首されてしまったという。この後、領民が太郎の死を悲しんだ(あるいは、太郎の怨霊の祟りを恐れた)ため、社を建立して赤頭大明神という名で祀られたとされている(これが今の益子神社になったらしい)。

なお、赤頭太郎は、当地を支配していた蝦夷の首長・大竹丸の弟であり、赤瀬太郎または四郎将軍という別名もあったとされている。また、赤頭太郎は大男であったといわれ、その遺体は赤頭大明神の社域に葬られたとされるが、益子神社になった後に赤頭太郎の墓が掘り返されると、その中から馬のように大きな骨が見つかったともいわれているらしい。

データ


種 別 伝説上の人物、鬼、怪人
資 料 『吾妻鏡』『義経記』「毘沙門堂達谷窟縁起」ほか
年 代 平安時代
備 考 説話によって対象が異なる

赤頭の関連スポット


・達谷窟毘沙門堂:坂上田村麻呂が達谷窟の蝦夷討伐後に建てたとされる(岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢16)
・龍福山長谷寺:赤頭の墓上に建てられたという縁起がある(岩手県大船渡市猪川町字長谷堂127)
・鬼越えふれあい広場:高丸の乗った岩の跡地とされる(岩手県大船渡市猪川町藤沢口37-3)
・益子神社:赤頭太郎を祀ったとされる神社(福島県伊達郡桑折町北半田熊野1)