阿計徒丸・阿計留丸・阿計志丸【アケトマル・アケルマル・アケシマル】
珍奇ノート:房住山の長面三兄弟 ― 阿計徒丸・阿計留丸・阿計志丸の三兄弟 ―

長面三兄弟(ながづらさんきょうだい)とは、秋田県の房住山に棲んでいたと伝えられる三兄弟の鬼のこと。

それぞれを阿計徒丸・阿計留丸・阿計志丸と言い、巨体で面が広かったので長面と呼ばれているという。


基本情報


概要


長面三兄弟は、秋田県の房住山に棲んでいたとされる阿計徒丸(あけとまる)・阿計留丸(あけるまる)・阿計志丸(あけしまる)という三兄弟の鬼で、勅命を受けて蝦夷征討にやって来た坂上田村麿が蝦夷の族長を倒した後に残党狩りに当地にやって来て、この三兄弟を討ったとされる。

この長面という意味は、この鬼の面の広さが1尺3寸(約50cm)であり、額際から顎先までが2尺4,5寸(約95cm)もあったからだといわれている。だが、そもそも この鬼達は巨体であり、菅江真澄の『房住山昔物語』よれば 阿計徒丸(長男)は身の丈1丈3尺5寸(5.13m)、阿計留丸(次男)は身の丈1丈3尺(4.94m)、阿計志丸(三男)は身の丈1丈2尺(4.56m)もあったとされている。

この『房住山昔物語』では、房住山の僧侶らが蝦夷のことを帝に奏聞したために田村麿がやって来たとされ、そこで官軍は近隣の蝦夷を次々と討っていったが、三兄弟は山中に隠れていたためになかなか見つからなかったという(なお、一般的には田村麿が三兄弟を討ったとされているが『房住山昔物語』を読む限りでは田村麿の御子の将軍が討ったという風に読み取れる)。

だが、やがて次男の阿計留丸が官軍に見つかることになり、河辺や山間の狭い場所に追い込まれて、止む無く淵に飛び込んだところを官軍の落石攻撃によって倒された。その時に阿計留丸の身体が巨大過ぎたために遺体を回収することができずに付近の丘に埋葬された。そこは「長面」と呼ばれることになったという。

次に三男の阿計志丸が官軍に追い立てられて、一時は房住山の山中に逃げ延びたが、官軍に山の大衆が協力して捜索したために見つかることになり、やがて官軍に包囲されて雨のように矢を浴びせられて倒された。阿計志丸の遺体も回収されずに付近の平地に埋葬され、そこも「長面」と呼ばれることになったという。

最後に長男の阿計徒丸が自ら姿を現して、房住山の僧侶らに向かって名乗りを上げると、弟たちの仇討ちということで僧侶や俗人のいる寺を破壊した。しかし、破壊した部位が悪かったのか、寺が崩れる際に自身も下敷きになってしまい、そこを大刀を持った僧侶に斬首された。その時に阿計徒丸の両眼から光るものが飛び立っていったという。

それから、阿計徒丸の首は田村将軍の元に届けられた。阿計徒丸の頭には角が生えており、その形相は二度と見たくないほど恐ろしい有様だったという。この後、田村将軍は阿計徒丸に引導を渡し、長面三兄弟を討てたのは神仏のお陰であるとして諸神に奉幣を奉り、都に帰っていったという。

その20年後、阿計徒丸の両眼から飛び出した光るものが阿計徒丸の怨霊と化して人々の前に現れた。それは火の中に浮かぶ6尺(1.8m)の阿計徒丸の首で、これを見た者は難病に冒されて多くの死人も出たという。そこで、阿計徒丸の怨霊を鎮めるためにいくつかの寺を建てて菩提を弔うと、やがて怨霊の祟りは止んだとされている。

長面三兄弟の祭

秋田県山本郡三種町では、長面三兄弟を「当地に侵攻してきた朝廷軍と戦った英雄」と捉えて讃える祭が行われていたらしい。それは「森岳温泉まつり」という祭で最後に三兄弟を讃える神事が行われていたという。だが、現在は行われていないようだ(少なくとも2011年頃までは行われていたのだとか)。

魔面神社について

『房住山昔物語』に登場する阿計徒丸の怨霊は米代川の北方に落ちたとされるが、一説に現在の秋田県能代市常盤上魔面に落ちたといわれている。この阿計徒丸の怨霊が夜毎に水面に現れるようになってから、米代川で水難事故が起こったり、川が氾濫したり、付近で疫病が流行るようになったので、この怨霊を鎮めるために「魔面神社」が建立されたらしい。しかし、ネット上には「魔面神社」の情報がほとんどなく、それらしい場所をマップでみると扁額の掛けられていない神社が見つかるばかりで、祭神や由緒に関しては分からなかった。

阿計徒丸の墓について

阿計徒丸の墓は、秋田県山本郡三種町長面の田んぼの畦道の傍らにあり、そこでひっそりと祀られているらしい。

大嶽丸との関係

『房住山古伝記』よれば「平城天皇の頃、鈴鹿山の賊の残党の夜叉鬼と大嶽麿(大長丸)が人々を悩ませていたので、坂上田村麻呂が討伐に向かい、夜叉鬼を保呂羽山で滅ぼし、大嶽麿を男鹿の嶺で滅ぼした。その残党に阿計徒丸・阿計留丸・阿計志丸という兄弟の悪鬼がいた」とされており、長面三兄弟は大嶽丸(大嶽麿)の仲間であったとされている。

また、一説に「房住山には鬼面と呼ばれる阿計徒丸・阿計留丸・阿計志丸という長面三兄弟が住み、眷属を指揮して良民を苦しめたが、坂上田村麻呂によって倒された。将軍が房住山で鬼の慰霊法要をしていると、東の山上から日高山の麓の洞穴に逃れ生き延びた阿計徒丸が目を覚まして"身の丈1丈3尺5寸ある大長丸と申す"と叫んだ」という伝説があるらしく、こちらでは阿計徒丸が大嶽丸(大長丸)と同一とされている。

なお、『房住山昔物語』には阿計徒丸が房住山の僧侶に名乗りを上げた際に大長丸(大嶽丸)の名前を挙げており、そこでは「人並み外れた者といえば"大長丸"だが、今は討たれてもう居ない。だから自分が日本一に勝れた男である」と言っており、さらに「もし、大長丸が生きていたならば、弟たちの仇討ちを頼んでいた」と言っているので、大長丸(大嶽丸)は強くて頼りになる仲間であったとされている。

データ


種 別 伝説上の人物、鬼、怪人
資 料 『房住山昔物語』
年 代 平安時代
備 考 逆賊として坂上田村麻呂に討伐されたが、地元では英雄視されている