土蜘蛛(妖怪) ― 源頼光が退治した大蜘蛛の妖怪 ―
土蜘蛛(つちぐも)とは、巨大な蜘蛛の姿をした妖怪のこと。
山蜘蛛(やまぐも)とも呼ばれており、源頼光に退治されたと伝えられている。
基本情報
概要
土蜘蛛は巨大な蜘蛛の妖怪で、資料によっては山蜘蛛と呼ばれることもある。
『平家物語』や能『土蜘蛛』では源頼光を病に冒して苦しめた妖怪で、人に化けたり、呪詛をかけることができたとされる。また、頼光の持つ膝切という刀は、土蜘蛛を斬ったことで「蜘蛛切」と名付けられたとされている。
『土蜘蛛草子』では源頼光と渡辺綱が遭遇した巨大な蜘蛛の化物で、美女に化けて獲物を誘って食っていたとされており、その正体は体長30丈(約90m)という巨体を持ち、腹の中には人の首や子蜘蛛がいたとされている。
なお、『記紀』や『風土記』にも土蜘蛛が登場するが、こちらは朝廷に逆らった洞穴に住む部族だったとされており、蜘蛛の化物とするような記述は無い(そのため別物と考えられる)。
『平家物語』では、源頼光の瘧病(熱病)の原因となっていた蜘蛛の化物として登場する。
頼光が寝込んでいた所に身長7尺(約2.12m)の法師の姿で現れて縄で捕縛しようとしたが、頼光に膝切という名刀で斬りつけられて逃げ出した。この時に残した血痕によって、住処である北野天満宮の裏の塚を突き止められ、頼光四天王のよって捕えられた。
この時の姿は体調4尺(約1.2m)の山蜘蛛であり、頼光の命令によって処刑され、鉄の串に刺されて河原に晒されたとされている。なお、この蜘蛛を斬った膝切は、これ以来「蜘蛛切」と呼ばれるようになったという。
『土蜘蛛草子』では、源頼光と渡辺綱が遭遇した巨大な蜘蛛の化物として登場する。
源頼光と渡辺綱が蓮台野まで向かう途中に空を飛ぶ髑髏を見つけ、それを追っていくとやがて神楽岡にある古い民家に辿り着いた。頼光が門を叩くと、今年で291歳になるという老女が出てきて様々な事を話して、頼光に殺してくれと頼んだが、頼光はこれ以上話しても無益だと思って その場から離れた。
それから日が暮れると、天候が急変して強い風が吹き雷も鳴ったが、頼光は慌てることなく冷静に耳を澄ませると、鼓を打つような足音が聞こえるとともに、数多くの異形の者たちが歩いている様子が見えた。それから頼光は顔が大きく身体が短い尼を見たが、それが消えると今度は異様なほどに美しい女が現れた。頼光が女の美貌に見とれていると、女は毬のような白雲を頼光にかけて目を眩ませたので、頼光は咄嗟に太刀を抜いて斬りつけた。
すると、女は姿を消し、太刀は板敷を貫いて礎石の半分まで斬り裂いていた。それから綱が合流すると、綱は頼光に太刀が折れていることを伝えた。頼光が太刀を見ると確かに折れており、辺りには白い血溜まりが出来ていた。そこで、頼光は綱と共に白い血痕を追って化物の後を追うと、やがて老女の家に辿り着いたが、そこには老女の姿は無かった。頼光は化物に食われてしまったのだろうと思って さらに後を追うと、やがて西山の奥の洞穴に到った。
それから洞穴の中に入って奥に進むと松葺の古い建物があり、そこには体長30丈(約90m)の頭から綿を被っているような化物がいた。その化物は身体が重くて苦しいなどと言って白雲を出し、その中から威光を放つものが出てきて人の形になったが、すぐに倒れてしまった。頼光がそれを拾ってみると折れた太刀の先端であった。
そこで二人は近づいて掴みだそうとしたが、化物が非常に力強く抵抗するので、二人は神々に祈願して力強く引き出した。すると、化物は最初は抵抗する素振りを見せたものの、すぐに屈服して仰向けに倒れたので、頼光は化物の首を刎ねて殺した。この化物は山蜘蛛という妖怪であったという。
それから綱が山蜘蛛の腹を開けて見ると、その中ほどに深い傷があった。これは頼光が付けた刀傷であり、さらにそこを開いてみると、中から数多の死人の首が出てきた。また、脇腹を斬り裂くと数多の子蜘蛛が出てきて、腹を割いてみると小さな髑髏が出てきた。この後、化物の首は土に埋められ、住処は焼き払われたとされている。
能『土蜘蛛』では、源頼光の病の原因となっていた土蜘蛛の精として登場する。
病に冒された頼光が心神喪失になって寝込んでいたところ、そこに怪しげな僧が現れたので、驚いた頼光が素性を尋ねると、僧は頼光の病は自分の業によって起こしていることを明かし、巨大な蜘蛛に姿を変えて、何千もの糸を吐きかけて頼光の動きを封じようとした。
そこで、頼光は咄嗟に膝切という名刀で斬りつけると、蜘蛛は糸を吐きながら一目散に逃げていった。それから、家臣の独武者が駆けつけると、頼光は今起こったことを一通り語って聞かせて、膝切を「蜘蛛切」と名付けた。この後、独武者は蜘蛛の血痕を見つけて、軍を起こして退治に向かうことにした。
独武者らが蜘蛛の血痕を追って行くと、その血は大和国の葛城山にまで続いており、山中の古塚で途絶えていたので、独武者は軍勢に塚を取り崩させると、そこから蜘蛛の化物が現れた。その化物は葛城山で齢を重ねた土蜘蛛の精であると名乗り、軍勢を威嚇したが、独武者も負けじと一斉に攻めかかった。
土蜘蛛は強く倒すのに一筋縄ではいかなかったが、独武者が神々に祈って戦うと、激戦の中で刃の光に土蜘蛛が怯んだので、独武者はその隙を突いて土蜘蛛の首を討ち取ったとされている。
『太平記』の「大森彦七事」には、寺蜘蛛(やまぐも)という大きな蜘蛛の妖怪が登場する。これは楠木正成の亡霊が室町幕府を転覆させようと大森盛長の持つ刀を奪おうとした時に送られた刺客の一つで、盛長が正成の亡霊と対峙した後に発狂して寝室に隔離されていた際に、盛長の家来が夜通し警護に当たっていたところ、家来は急に酩酊したようになって寝入ってしまったという。
その後、家来の詰所に大きな寺蜘蛛がやって来て、寝入った家来を糸で次々と拘束していったが、そこに盛長が出ていって蜘蛛と取り押さえると、家来を呼んで総出で捕まえようとしたが、取り押さえていたはずの蜘蛛は死人の髑髏になってしまっており、狙われていた刀も無くなっていたという。これに盛長は悲観したが、そのすぐ後に天空から髑髏を貫いた刀が落ちてきたので、盛長は刀から髑髏を外して火の中に投げ込むと、髑髏の中から何かが躍り出てきたため、これを金鋏で焼き砕いて捨ててしまったとされている。
データ
種 別 | 日本妖怪 |
---|---|
資 料 | 『平家物語』『土蜘蛛草紙』ほか |
年 代 | 平安時代 |
備 考 |
・上品蓮台寺(蜘蛛塚):境内に土蜘蛛の住んだとされる塚がある(京都市北区紫野十二坊町33-1)
・東向観音寺(蜘蛛灯籠):土蜘蛛の塚から発掘された蜘蛛灯籠が奉納される(京都市上京区観音寺門前町863)
・東向観音寺(蜘蛛灯籠):土蜘蛛の塚から発掘された蜘蛛灯籠が奉納される(京都市上京区観音寺門前町863)
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