塵輪鬼 ― 牛窓の由来となった伝説の八頭の鬼 ―
塵輪鬼(じんりんき)とは、岡山県牛窓町に伝わる伝説の鬼のこと。
仲哀天皇の御代に備前国で皇軍を襲ったが、天皇が自ら弓矢を取って射殺したとされる。
その後、牛鬼として蘇って神功皇后を襲ったが、老翁に化けた住吉明神が投げ殺したとされている。
基本情報
概要
塵輪鬼は岡山県牛窓町(現・瀬戸内市)に伝わる八頭の鬼で、当地には以下のような伝説が伝えられている。
仲哀天皇の御代、天皇は三韓を征伐しようと神功皇后と共に航海に出た。その途中で備前国の浦に停泊したところ、俄に空が曇り、黒雲に乗って現れた塵輪鬼に襲われた。この鬼は8つの頭を持つ恐ろしい姿であったが、天皇は少しも恐れずに自ら弓矢を取って応戦し、矢を放って塵輪鬼を首と胴の2つに分断した。こうして死んだ塵輪鬼は海に落ち、首は黄島、胴は前島、尻は黒島、尾は青島になったという。
しかし、天皇は塵輪鬼との戦で流れ矢を受けてしまい、それが元で崩御してしまった。そのため、神功皇后が天皇の意志を受け継ごうと男装し、この浦で住吉明神に参拝して改めて出航した。そして、三韓征伐を成した後に再び備前国立ち寄ると、塵輪鬼の魂魄が牛鬼となって現れて、皇后の御船を転覆させようとした。その時、住吉明神が老翁の姿で現れて、牛鬼の角を掴んで投げ倒した。これによって皇后は難を逃れ、この海は牛転(うしまろび)と呼ばれるようになった。その後、牛転が訛って牛窓(うしまど)と呼ばれるようになったという。
しかし、天皇は塵輪鬼との戦で流れ矢を受けてしまい、それが元で崩御してしまった。そのため、神功皇后が天皇の意志を受け継ごうと男装し、この浦で住吉明神に参拝して改めて出航した。そして、三韓征伐を成した後に再び備前国立ち寄ると、塵輪鬼の魂魄が牛鬼となって現れて、皇后の御船を転覆させようとした。その時、住吉明神が老翁の姿で現れて、牛鬼の角を掴んで投げ倒した。これによって皇后は難を逃れ、この海は牛転(うしまろび)と呼ばれるようになった。その後、牛転が訛って牛窓(うしまど)と呼ばれるようになったという。
これと同様の説話が『備前国風土記』にも載っている。また、当地には「唐琴の瀬戸」の由来として別の伝承も伝えられている。この他にも、塵輪鬼の容姿についての別説や、天皇が豊浦(現・山口県下関市)で塵輪鬼と戦ったという伝説もある。
データ
種 別 | 鬼、伝説の人物、怪人、日本妖怪 |
---|---|
資 料 | 『備前国風土記』『鹿苑院殿厳島詣記』ほか |
年 代 | 仲哀天皇の御代 |
備 考 | 新羅の武将説がある |
塵輪鬼の別説
唐琴の瀬戸の伝承では、塵輪鬼は新羅の王子である唐琴の配下の武将で、神通力を使って八頭で真っ赤な肌の怪物に変身したとされる。塵輪鬼は唐琴の兵を率いて備前国の浦にいた皇軍に襲いかかったが、天皇は自ら弓を持って塵輪鬼に矢を放つと、塵輪鬼は首と胴の2つに分かれて海に落ち、その首は黄島、胴は前島、尾は青島になったという。しかし、天皇は敵軍の矢を受けて崩御したので、神功皇后が自ら弓矢を取って敵の大将である唐琴を討ち取った。よって、この海は「唐琴の瀬戸」と呼ばれるようになったとされる。
その後、神功皇后は三韓征伐を成して、凱旋した時に再び唐琴の瀬戸に訪れた。すると、塵輪鬼は牛鬼に姿を変えて現れて、皇后の御船を転覆させようとしたが、その時に住吉明神が翁の姿となって現れて、牛鬼の角を持って投げ倒した。これによって当地は「牛転」呼ばれるようになり、それが訛って「牛窓」と呼ばれるようになった。そして、牛鬼の遺骸は黒島となり、はらわたは百尋礁になったとされている。
忌宮神社の伝承では、塵輪は鬼ではなく新羅国の武将であったとされる。仲哀天皇の御代に熊襲が反乱を起こしたので、天皇は鎮圧するために豊浦に向かい、此処に豊浦宮という仮宮を建てた。その時に塵輪が熊襲を扇動して豊浦宮に攻め入ったので、皇軍は大いに奮戦したが、敵方の勢いは凄まじく、豊浦宮を守護する阿倍高廣・助廣まで討死してしまった。
これに憤怒した天皇は、自ら弓矢を取って塵輪を討ち取ると、敵軍は忽ち勢いを失って逃げ去っていった。そこで皇軍は歓喜のあまりに矛をかざして旗を振りながら塵輪のまわりを舞い踊った。これが奇祭「数方庭(すほうてい)」の起源になったとされる。また、塵輪は鬼のような顔だったので、埋めた首の上に置いた石を「鬼石」と名付けたとされている。
その他
塵輪鬼には下記のような特徴が伝えられている。
・頭が8つ
・赤い肌(「唐琴の瀬戸の伝説」『八幡宮縁起(島根県)』)
・鬼神のような姿(『八幡宮縁起(島根県)』)
なお、『神功皇后縁起絵巻』によれば、牛鬼の姿の時は身の丈10丈(30.3m)あまりだったとされている。
塵輪鬼に説話は、島根県の石見地方に伝わる石見神楽で「塵輪(じんりん)」という演目になっている。そのあらすじは、異国より数万騎の軍勢が攻めかかってくるのを仲哀天皇が討ち取るというものであり、石見神楽における塵輪は、身体に翼があり、黒雲に乗って人々を害す悪鬼となっている。
一説によれば、この塵輪という演目は島根県那賀郡の八幡宮に伝わる『八幡宮縁起』の内容を参考にしたとされ、その内容は「仲哀天皇の御代に新羅国から数万の軍兵が攻めて来て日本を討ち取ろうとした。この時、異国より塵輪という不思議な物が来て、それは 色は赤く、頭が8つあって、姿は鬼神のようであり、黒雲に乗って日本にやって来て殺した人民は数知れない」というものになっている。
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