水虎 ― 河童の起源となった中国の水怪 ―

水虎(すいこ)とは、中国に伝わる鱗に覆われた人型の水怪のこと。
日本では河童の源流として扱われ、江戸時代には河童の異称となったとされる。
基本情報
概要
水虎は、中国に伝わる水怪で、日本では河童の外来系源流として知られる伝説の生物である。その記録は、中国北魏代の地理書『水経注(6世紀)』にまで遡り、そこには次のように記されている。
水中にはある生物がいる。その姿は三~四歳ほどの子供に似ており、鱗や甲は鯪鯉(リョウリ=センザンコウ)のようである。矢を射ても貫くことはできない。
七、八月頃になると、砂州の上で日光を浴びることを好む。その膝頭(ひざがしら)は虎のようで、掌や爪は常に水中に隠れているため、膝頭だけを水面に出している。事情を知らない子供がそれを取って遊ぼうとすると、たちまち殺されてしまう。
また、ある説では、生け捕りにしたものは、その『皋厭(こうえん)』を取り除けば、ちょっとした使い走りとして使うことができるという。これを水虎と呼ぶ。
七、八月頃になると、砂州の上で日光を浴びることを好む。その膝頭(ひざがしら)は虎のようで、掌や爪は常に水中に隠れているため、膝頭だけを水面に出している。事情を知らない子供がそれを取って遊ぼうとすると、たちまち殺されてしまう。
また、ある説では、生け捕りにしたものは、その『皋厭(こうえん)』を取り除けば、ちょっとした使い走りとして使うことができるという。これを水虎と呼ぶ。
この水虎の伝承は、唐代(8世紀頃)に成立したと推定される地誌『襄沔記』に受け継がれ、内容は『水経注』とほぼ同じであるが「鼻をつまむことで従わせることができる」という具体的な使役法が明記されている。
本草書『本草綱目(16世紀)』では「溪鬼蟲」の附録として「水虎」の説明が収録されており、再び『襄沔記』が引用されている。ここでは水虎の姿形に加え、「七月には川を渡るが、それ以外の月には人を殺す」「邪気が音を立てて人に当たり、皮膚が青黒く腐るものを鬼弾という」といった新たな要素が付加されている。
語学書『通雅(17世紀)』では「鼻厭が陰勢(性的能力)を抑えるもの」と解釈されており、さらに『湘烟録』を引用して「『皋厭』は水虎の生殖器であり、媚薬として用いられる」という説を載せている。
日本においては、江戸時代の百科事典『和漢三才図会(1712年)』で『本草綱目』を引用した説明がなされている。その中で「射不摘其鼻、可小小使之」の部分を「生け捕りにした場合は、その鼻をつまんで押さえれば、小間使いとして使うことができる」と解釈しているため、日本では「鼻をつまむことで使役することができる」という解釈が定着したとされている。
また、『本草綱目』の引用の他に『和漢三才図会』で扱う「川太郎(河童の一種)」に類似するという推測を書き加えており、挿絵も「鱗のある人型生物」として描いている。また、鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼(1779年)』でも扱われており、『和漢三才図会』と同様の造形で描かれている。
さらに、江戸後期には古賀侗庵による河童研究書『水虎考略(1820年頃)』が成立し、河童に関する古記録や図像の収集・考証が行われた。江戸後期には「水虎」という名称は、中国の水怪だけでなく、日本の河童を指す名称としても用いられるようになっていたと考えられる。
このように、水虎は『水経注』に記された中国古代の水怪を起点として、時代が下るにつれて使役法や薬効、性的解釈など様々な要素が加えられていった。その後、日本では『和漢三才図会』によって川太郎との類似性が指摘され、鳥山石燕の妖怪画にも描かれることで妖怪文化の中に取り入れられ、最終的に『水虎考略』では河童に関する資料の一つとして考証される存在となったと言える。
データ
| 種 別 | 妖怪、UMA、伝説の生物 |
|---|---|
| 資 料 | 『水経注』『襄沔記』『本草綱目』『和漢三才図会』『水虎考略』ほか |
| 年 代 | 6世紀~ |
| 備 考 | 日本では河童の異称として捉えられるようになった |
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