河童の資料

河童の一種の「水虎」「川太郎」の資料はリンク先を参照してください。
「水虎考略」についてもリンク先を参照してください。
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貝原益軒『大和本草』(1708年)
卷十六 河童(かはたらう)
河童は、あちこちの大きな河に棲み、また池の中にもいる。見た目は五六歳の小供のようだ。村人や奉公人など、一人で歩いている者が、しばしば河のほとりでそれに出くわすと、気を失ってぼうっとしてしまうという。
このものは、好んで人と組みついて相撲をとり、その体はネバネバしてヌルヌルしており、捕まえることが難しい。生臭い臭いが鼻いっぱいに広がる。短刀で刺そうとしても当たらないことがある。相撲をしているうちに人を水中へ引きずり込んで殺すこともある。もし人に勝てなければ、水に潜って姿を消してしまう。
その人はふと気が遠くなり、夢の中を歩いているようにして家へ帰るが、その後およそ一ヶ月ほど病に伏してしまう。その症状は、寒気と熱が出て頭痛し、全身が痛む。爪でひっかかれたような傷跡も残る。
このものは、人の家にしばしば入って悪さをし、いろいろな怪異を起こして人を悩ませることがある。狐の化けたものに似ているが、その災いはさらにひどい。
『本草綱目』の虫部・湿生類にある「溪鬼虫」の附録に「水虎」というものが載っているが、これと似ているが同じではない。ただ、同じ類の別の種であるのだろう。中国の書物の中で、私はまだこのようなものを見たことがない。
根岸鎮衛『耳袋』(1737~1814年)
痔疾のまじないのこと
寛政八年、私が初めて痔疾に悩まされて苦しんでいたとき、勝屋某が「子供の遊びのような話ですが、キュウリを月の数だけ用意して、裏白紙に書状を書き、姓名と署名を記し、宛先を『河童大明神』としたものを川に流せば、実際に病気が治るそうですよ」と教えてくれた。
私は笑いながら「重い役職を勤める身分で、姓名をそんな戯れのようなことに書いて流すのは、みっともない呪いごとだ」と言った。すると、三橋某もその席にいて、「私もその話を聞いた。しかし大同小異で、キュウリ一つにその痔疾全快の願いを書き、河童大明神と宛先をして、これも姓名を書くことだ」と言い、皆大笑いした。
河童の事

天明元年八月、仙台河岸の伊達侯の蔵屋敷で、河童を打ち殺して塩漬けにして置いたという。目撃した者の話では、その図を松本豆州が持ってきて、詳しい次第を尋ねると、その屋敷で子供などがわけもなく水に入ることがあって、怪しんで、その堀の中の淵とも言うべき所を堰き止めて水を入れ替えて干したところ、泥の中を潜って風のように速いものがいた。ようやく鉄砲で撃ち止めたと聞いていたことを語った。
そばに曲淵甲斐守がいて、昔その人が河童の図として見たものと、豆州が持参した図とに違いはないと言った。
松浦静山『甲子夜話』(1821~1841年)
卷十 室賀氏の従者、河童に引かれしこと
御留守居・室賀山城守は小川町に住んでいた。その家の従者が、ある晩、九段の弁慶堀のほとりを通りかかった。時は夜更け、小雨が降る暗がりの中だった。
ふと、水中からその従者の名を呼ぶ声がした。見ると、小さな子供が水の中にいて、手招きしている。従者は「近所の子供がうっかり水に落ちたのだろう」と思い、「助けてやろう」と手を差し伸べた。
すると子供はすぐにその手を握り、「岡へ引き上げよう」と言った。だが、その力は盤石のように動かず、少しも揺れない。かえって従者の方が、次第に水中へ引きずり込まれていく。はじめて恐ろしさを感じた従者は、力の限り手を振りほどき、屋敷へ駆け帰ったが、正気を失ってぼんやりとしていた。
人々が集まってみると、衣服はびしょ濡れで、ひどい生臭い臭いが漂っていた。水をかけて洗い流しても、臭いは一向に消えなかった。翌朝になってようやく従者は正気に戻ったが、疲労は甚だしく、四、五日してようやく平常に復した。生臭い臭いも、やがて抜けたという。
「これが、いわゆる河太郎というものだろう。」と、人々は言った。
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