藤原千方の四鬼【フジワラチカタノヨンキ】
珍奇ノート:藤原千方の四鬼 ― 金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼 ―

藤原千方の四鬼(ふじわらのちかたのよんき)とは、三重県に伝えられている伝説の四鬼のこと。

金鬼(または火鬼)・風鬼・水鬼・隠形鬼を指し、それぞれが特有の特殊能力を持っていたとされる。

伊賀国・伊勢国に勢力を誇った藤原千方に使役されていたが朝敵として討伐された。


基本情報


概要


『太平記』の「日本朝敵事」によれば、天智朝(飛鳥時代)に藤原千方という者がおり、金鬼(キンキ)・風鬼(フウキ)・水鬼(スイキ)・隠形鬼(オンギョウキ)という4体の鬼を使役していた。このような神変に並の者では歯が立たなかったので、千方の力の及ぶ伊賀国・伊勢国には朝廷に従う者は居なかった。

そこで、朝廷は紀朝雄(きのともお)という者に勅命を与えてこの国に遣わせ、朝雄が「草も木も 我大君の 国なれば いづくか鬼の 棲かなるべき(草も木も我ら大君の国である。どこに鬼の棲家があるだろうか)」という一首の和歌を詠んで鬼の中に投げ入れると、四鬼は天罰を恐れて四方に散ってしまった。四鬼を失った千方は次第に勢いを失い、やがて朝雄によって討たれたとされている。

この伝説は三重県伊賀市にも「藤原千方伝説」という民話として同様の内容で伝えられているが、時代が村上天皇の御代である康保4年(967年)とされているところが『太平記』とは異なる。なお、この伝説は千方が城郭を構えたとされる高尾地区のみならず、その周辺各地に古くから伝わっていたとされる。

また、四鬼が去って以降の話として、『奥州南部岩手郡切山ヶ嶽乃由来』には 奥州に渡って悪郎や高丸と徒党を組み、千方の無念を晴らそうと国家転覆を企んでいた。そこで水鬼と隠形鬼が都に向かい、官女に化けて皇族の花見の宴に紛れ込んで帝の命を取ろうとしたが、坂上田村麻呂に見抜かれて水鬼が討たれ、隠形鬼は逃げ帰った。後に追討の勅命によって田村麻呂に攻め込まれ、官軍に加勢した秋葉大権現によって殲滅させられたと伝えられている。

また、三重県熊野市の民話では、四鬼は尾呂志という場所の窟を根城としており、里から子供をさらっていたので その窟は「四鬼の窟」と呼ばれて恐れられたという。これを坂上田村麻呂が退治することになり、田村麻呂の軍勢によって攻め滅ぼされてしまったという。ただし、この説話における四鬼には固有名詞は無く、特殊能力も使っていないので、千方が使役した四鬼とは別物かもしれない。ちなみに当地には、この伝説にまつわる地名が残っているとされる。

藤原千方について


藤原千方(ふじわらのちかた)は、伊賀国・伊勢国に勢力を誇ったとされる人物で、現在の三重県伊賀市高尾の山中を本拠地としていたとされる。そのため、ここには千方が官軍と戦ったとされる「千方窟」や千方の城の正門跡地とされる「大門跡」などの縁のある場所が点在している。また、千方は朝廷との戦に負けて打首になったとされ、その首は天照寺(伊賀市霧生)の境内にある千方五輪塔に祀られているという。

藤原千方は『太平記』においては天智朝(飛鳥時代)の人物とされているが、藤原姓は大化の改新の功績によって中臣鎌足が天智天皇より与えられた姓で、この時は鎌足の死の直前だったため、藤原姓が広まったのは藤原不比等以降であるといわれている。よって、藤原千方を天智朝の人物だとすると時代が合わない。

その一方、千方の地元である伊賀市では、千方は村上朝(平安中期)に活躍した人物だと伝えられている。また、中世の系図集『尊卑分脉』には藤原北家魚名流で鎮守府将軍・藤原千常の子とされている。その他に藤原秀郷(俵藤太)の6男にも千方という人物がいたとされる話もある(が、これは別人かもしれない)。

千方の来歴を示す情報は非常に少ないので これ以上詳しいことは分からないが、後に忍者の里となった地元の伊賀市では四鬼が忍者の走りとされていることから、一説に伊賀忍者の祖ではないかともいわれている。

四鬼について


四鬼は藤原千方に使役された 金鬼(キンキ) 風鬼(フウキ) 水鬼(スイキ) 隠形鬼(オンギョウキ) の4体の鬼のことであり、それぞれが人並み外れた特殊能力を持っていたとされる(文献によっては火鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の4体)。

この四鬼が持っていたとされる特殊能力は、後の時代に出てくる忍術に類似性があるため、藤原千方の本拠地であり忍者の里として知られる三重県伊賀市では、四鬼は伊賀忍者の走りであったとされている。

・金鬼(キンキ):矢が立たないほどの堅固な身体を持つ
 → 火鬼(カキ)とされることもある
・風鬼(フウキ):大風を吹かせて敵城を吹き破る
・水鬼(スイキ):洪水を起こして陸地の敵兵を溺れさせる
 → 変身能力があったとも
・隠形鬼(オンギョウキ):姿を隠して敵を取り拉ぐ
 → 怨京鬼と表記されることもある(京を怨む鬼という意味)
 → 変身能力があったとも

藤原千方と四鬼の関連スポット


三重県伊賀市の高尾地区には藤原千方と四鬼にまつわる場所が残っている。

・千方窟(四つ鬼の窟):藤原千方が官軍と戦ったとされる場所
・千方明神:藤原千方を祀る石祠(1760年建立)
・大門跡:千方城郭の正門跡
・桜井戸跡:千方城郭の井戸跡地
・雨乞石:血首ヶ井戸に投げ込まれた首の化身といわれる
・逆柳の甌穴(血首ヶ井戸):藤原千方が敵の首を放り込んだと伝わる甌穴(池)
・斗戔淵:藤原千方が一斗の酒をつぐことのできる大杯を洗ったと伝わる淵
・千方五輪塔(天照寺):藤原千方の首塚とされる

データ


種 別 日本妖怪、鬼
資 料 『太平記』『伊水温故』『尊卑分脈』ほか
年 代 飛鳥時代または平安時代
備 考 忍者の走りという説がある