羅城門の鬼 ― 羅城門に巣食っていた鬼 ―
羅城門の鬼(らしょうもんのおに)とは、羅城門(平安京の正門)に巣食っていたとされる伝説の鬼のこと。
酒呑童子を討伐した源頼光の家来である渡辺綱により、片腕を斬り落とされたと伝えられている。
基本情報
概要
羅城門の鬼は、平安京の正門である羅城門に棲み着いていたという鬼で、室町時代の謡曲『羅生門』などで伝えられている。羅城門の鬼にまつわる伝説にはいくつかのパターンがあるが、大体以下のような内容になっている。
源頼光が酒呑童子を討伐した後、自分の屋敷に頼光四天王らを招いて酒宴を開いた。その時に「羅城門には鬼が棲んでいるらしい」という話題があがったが、頼光四天王の一人である渡辺綱が「王城に鬼が棲んでいるはずがない」と言いはじめて口論になったので、綱が自ら見に行くことになり、武装して一人で羅生門に向かった。
綱が羅城門に着くと、背後から鬼が現れて綱の兜を掴んできたので、すかさず綱は太刀で斬りつけた。そこで、鬼と争った結果、綱は鬼の片腕を斬り落とすに成功した。すると、鬼は「その腕、必ず取り返しに行く」と叫び、黒雲の彼方に消えてしまったという。
このように「酒宴の最中に羅城門の鬼の話題になり、羅城門に行った渡辺綱が鬼の片腕を斬り落とす」という内容になっているのだが、羅城門に行くのが頼光四天王であったり、羅城門に行った証拠として印を立てた など、説話によって細かい違いが見られる。
また、この羅城門の鬼が酒呑童子の配下の茨木童子であったとする説話もある。これによれば、鬼は羅城門で腕を斬り落とされた際に「七日後に必ず取り返しに行く」と言って腕を残して去って行き、綱がその腕を箱に入れて封じていたところ、7日後に突然乳母が訪ねてきて「鬼の腕を見せてほしい」とせがむので、仕方なく見せてやると乳母は正体の茨木童子の姿になって腕を取って帰っていったとされている。
茨木童子 ― 酒呑童子配下の伝説の鬼 ―
茨木童子(いばらぎどうじ)とは、大江山に棲んでいたとされる伝説の鬼のこと。酒呑童子の配下とされ、大江山の鬼退治の際に唯一生き残って逃げのびたともいわれている。
データ
種 別 | 日本妖怪、鬼 |
---|---|
資 料 | 謡曲『羅生門』ほか |
年 代 | 平安時代 |
備 考 | 茨城童子とされる説話がある |
資料
『今昔百鬼拾遺』、謡曲『羅生門』ほか
丹後の大江山で鬼神を討伐した源頼光は、その時に共に戦った面々を自分の屋敷に招いて酒宴を催していた。その宴で色々話し合っている最中に頼光が「近頃の都で何か面白い話を知らないか」と言うと、平井保冒が「羅生門に夜な夜な鬼が出て人をさらっていくとの噂がある」と話したので、頼光四天王の筆頭である渡辺綱が「そんな王城の近くに鬼など居るはずがあるまい」と言って口論になった。
口論の末、綱は「自分が行って見て来てやる」と言って頼光から印を賜ると、武装して馬に跨り、ニ条の大宮から南方の九条表に向かって馬を走らせた。その時はすでに夜も更けており、雨も降り出していた。綱が羅生門に向かっていると、強風が吹きはじめ、雨足も激しくなっていったので、途中で馬が慄いて立ちすくんでしまった。綱は仕方なく馬を降りて歩いて羅生門に向かい、到着すると石段に上って印を立てた。
綱が帰ろうとすると、にわかに化生の者が現れて背後から綱の兜を掴んで引き戻そうとした。そこで、綱はとっさに太刀を抜いて斬りかかると後には鬼が立っており、鬼は怒り狂って綱の兜を奪ったが、綱は動じること無く鬼と渡り合い、ついに鬼の片腕を斬り落とした。すると、鬼は恐れをなして黒雲の彼方に消え去ってしまったという。
※いくつかある説話のひとつ
口論の末、綱は「自分が行って見て来てやる」と言って頼光から印を賜ると、武装して馬に跨り、ニ条の大宮から南方の九条表に向かって馬を走らせた。その時はすでに夜も更けており、雨も降り出していた。綱が羅生門に向かっていると、強風が吹きはじめ、雨足も激しくなっていったので、途中で馬が慄いて立ちすくんでしまった。綱は仕方なく馬を降りて歩いて羅生門に向かい、到着すると石段に上って印を立てた。
綱が帰ろうとすると、にわかに化生の者が現れて背後から綱の兜を掴んで引き戻そうとした。そこで、綱はとっさに太刀を抜いて斬りかかると後には鬼が立っており、鬼は怒り狂って綱の兜を奪ったが、綱は動じること無く鬼と渡り合い、ついに鬼の片腕を斬り落とした。すると、鬼は恐れをなして黒雲の彼方に消え去ってしまったという。
※いくつかある説話のひとつ
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