茨木童子/茨城童子【イバラギドウジ】
珍奇ノート:茨木童子 ― 酒呑童子配下の伝説の鬼 ―

茨木童子(いばらぎどうじ)とは、大江山に棲んでいたとされる伝説の鬼のこと。

酒呑童子の配下とされ、大江山の鬼退治の際に唯一生き残って逃げのびたともいわれている。


基本情報


概要


珍奇ノート:茨木童子 ― 酒呑童子配下の伝説の鬼 ―

茨木童子は大江山を支配した酒呑童子の重要な配下だったとされる鬼で、その出生伝説は新潟県、大阪府、兵庫県に残されている。いずれの伝説においても、茨木童子は母の胎内に1年以上も留まっており、生まれながらにして長髪で、歯が生え揃い、鋭い目つきで、成人のように気が強かったとされている。

新潟県の伝説によれば、茨木童子は長岡市軽井沢の豪農の家に生まれ、生まれながらにして非凡な様相であったとされ、成長するにつれて美男子となり、怪力で才気に溢れていたので、多くの女性を魅了したという。その後、弥彦神社に稚児として出され、そこで仕事の傍らに学問に励み、やがて妖術を身につけるまでに至ったとされる。後に帰省した際に、母親が隠していた女性らの恋文を見つけ、これを読みふけっていると その中に「血塗りの恋文」があったので、その血を舐めたところ途端に力が湧き始めて鬼になってしまったという。その後、同じく弥彦の国上寺にいた外道丸(酒呑童子)と共謀して村中を荒らし回ったが、心を痛めた母親が止めに入ったところ、荒らすのを止めて村から出て行くと宣言し、やがて大江山に行き着いたとされる。

大阪府の伝説によれば、茨木童子は摂津国の水尾村に生まれたが、不気味な様相で、その鋭い眼光で見つめられた母親が恐怖で死んでしまったので、童子を持て余した父親は隣の茨木村の床屋の前に置き去りにしてしまったという。その後、童子は床屋に拾われて仕事の手伝いをするようになるが、剃刀で傷ついた客の血を舐めたのをきっかけに、血の味を覚えてしまい、童子がわざと失敗して客の顔を傷つけるようになったので、床屋に怒られて店を追い出されてしまった。その時、童子は橋の上から水面に映った自分の顔を見ると、鬼のようになっていたので、床屋に合わせる顔がないと思って大江山に逃げ、そこで酒呑童子の配下となったとされる。

兵庫県の伝説によれば、川辺郡東留松村(尼崎市)の百姓の子として生まれたが、非凡な様相であったため、一族に恐れられて島下群茨木村(大阪府茨木市)に捨てられたという。これを酒呑童子が拾って育て、拾った地名から茨木童子と名付け、やがて配下として酒呑童子の岩窟を守る役目を負ったとされる。

このようにいずれの出生伝説においても酒呑童子と共に大江山に行き着くことになるが、大江山に住んでからは酒呑童子と共に都を荒らし回ったので、帝の勅命を受けた源頼光らに退治されることになる。『御伽草子』によれば、鬼の頭目であった酒呑童子は討伐に来た源頼光によって首を取られ、配下の鬼も尽く退治されたが、頼光の家来の渡辺綱と戦っていた茨木童子は酒呑童子の死に際を見て、怖気づいて逃げ去ったとされている。

この後、酒呑童子の討伐を祝って頼光と四天王が宴を催していた際、羅生門に鬼が棲んでいるという話題が上がり、度胸試しに羅生門に金札を立ててこようということになったので、まずは渡辺綱が武装して羅生門に向かった。すると、途中の一条戻橋で、背後から綱の兜に手をかける者があったので、綱がとっさに刀を抜いて その腕を切り落とすと、腕の主である鬼が「7日後に必ず取り戻す」と言って去っていったという。その後、綱は腕を箱に入れて封印していたが、7日後に綱の乳母がやって来て、しきりに腕を見せてほしいというので、仕方なく見せてやると、乳母は鬼の姿となって腕を取り返し、帰っていった。この鬼が茨木童子であったとされている(ただし、大江山に乗り込む前に斬られたという話もある)。

茨木童子に関わる伝説は上記のように繋がっているものが多いが、これらとは離れた地である茨城県にも伝説が残されている。この伝説によれば、茨城県石岡市にある龍神山には茨城童子という鬼がおり、人々を襲っては腰に帯びた巾着袋に入れて山に持ち帰っていたが、ある時に巾着袋の根締めの石を投げ飛ばしたとされ、それが「巾着石」として今でも残されているという。

データ


種 別 日本妖怪、鬼、怪人
資 料 『摂津名所図会』『摂陽群談』『摂陽研説』『御伽草子』ほか
年 代 平安時代
備 考 酒呑童子の配下の鬼、友人関係であったとも