酒呑童子【シュテンドウジ】
珍奇ノート:酒呑童子 ― 大江山に棲んでいた鬼の頭領 ―

酒呑童子(しゅてんどうじ)とは、大江山に棲んでいたとされる鬼の頭領のこと。

茨木童子などの鬼を従えて都の人々を襲っていたが、源頼光らに討伐されたと伝えられている。


基本情報


概要


珍奇ノート:酒呑童子 ― 大江山に棲んでいた鬼の頭領 ―

酒呑童子は平安時代に大江山に棲んで都を荒らし回ったとされる伝説の鬼で、鬼の頭領として茨木童子や四天王(星熊童子・熊童子・虎熊童子・金童子)をはじめとする多くの鬼を従えており、大江山から手下の鬼を都に放って人間や宝物を略奪させたという。

そこで一条帝は源頼光に酒呑童子討伐の勅命を与え、頼光は武勇に優れた頼光四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)らを従えて大江山に向かった。一行は山伏に扮して大江山に登り、道中で戦勝祈願した後に翁に化身した神から鬼を倒すことのできる毒酒「神変鬼毒酒」と「星兜」を授かり、さらに山奥で酒呑童子の召使いの女と出会い、その案内で鬼の城を訪れた。

城に入った一行が宿を頼むと酒宴が開かれることになったが、一行の正体を怪しんだ酒呑童子は「血の酒」や「人の肉」で饗して様子を伺ったが、見破られまいとした一行はそれらを食した。これを見た酒呑童子はすっかり安心し、自らの身の上話を始めたので、頼光は頃合いを見て神から授かった毒酒を差し出した。

酒に目がない酒呑童子は喜んで毒酒を飲み、酔い潰れてたちまち寝入ってしまった。そのとき、10代の青年に見えるほど若々しかった酒呑童子は、巨大化して身の丈2丈ほど(6m)に巨大化し、髪は赤く逆立ち、その間からは角が生え、髭も眉毛も伸び繁り、手足は熊のようになり、鬼としての正体が顕になったという。

頼光は酒呑童子が寝ている隙きに刀を抜いて首を討ち取った。しかし、酒呑童子は首だけになっても生きており、飛び上がって頼光の頭に噛み付いたが、頼光は神から授かった「星兜」を被っていたので難を逃れた。そして、酒呑童子の首級を持って都に凱旋したという。

この説話が『大江山絵詞』や『御伽草子』によって伝えられている酒呑童子の伝説であり、「大江山の鬼退治」として広く知られている。

なお、酒呑童子が棲んだとされる「大江山」は「京都府福知山市の大江山の千丈ヶ獄」あるいは「京都市西京区の大枝山の老ノ坂峠」とされる。

酒呑童子の表記
・酒呑童子
・酒典童子
・酒顛童子
・酒天童子
・酒類童子
・朱点童子

酒呑童子の名前について


酒呑童子という名は、多くの伝説では「酒好き」であったことから名付いたとされるが、この由来については いくつかの説がある。

・酒好きだったため
・捨て子だったため(捨て童子の転訛)
・シュタイン・ドッチという名の外国人冒険家だったという説

酒呑童子の容姿について


珍奇ノート:酒呑童子 ― 大江山に棲んでいた鬼の頭領 ―

酒呑童子の容姿は伝説によって様々だが、大江山伝説では普段は10代の若者のように見えるが、正体を現すと 頭髪が逆立ち、角が生え、体毛が茫々と生え茂るといった、醜悪な鬼の姿になるとされている。

・越後系伝説:人間時代は絶世の美男子だったが、後に鬼の形相となった
・近江系伝説:鬼面が癒着して鬼の形相となった、あるいは長髪で牙が生えていた
・大江山伝説:普段は実年齢に反して10代後半の若者の姿に見える
 → 正体は 体長3~6m、赤く逆だった頭髪、頭に角、濃い体毛、熊のような手足 といった特徴を持つ

酒呑童子の出生について


珍奇ノート:酒呑童子 ― 大江山に棲んでいた鬼の頭領 ―

酒呑童子の出生伝説には様々なものがあり、大きく分けて 越後説、近江説、大和説 に分けることができる。また、鬼神と化す過程も、元々超人的な生い立ちだったもの と 何かしらの原因で凡人が鬼神化したもの に分けることができる。

この中でも有名なのが、越後説と近江説だが、越後説では九頭龍権現、近江説では八岐大蛇と、何かと血統に龍蛇神が関わっているという特徴が見られる。ちなみに近江説における酒呑童子の父は伊吹弥三郎という鬼で、伊吹山の神の子孫であるとされている。

越後出身説


越後出身であるという伝説は国上寺(新潟県燕市)の『大江山酒顛童子絵巻』にある。これによれば、子宝に恵まれなかった夫婦が戸隠山の九頭神権現に祈願したところめでたく懐妊し、16ヶ月を経てようやく出産したとされる。その子は外道丸と名付けられ、類稀なる美貌で多くの婦女を魅了したが、手に負えないほどの乱暴者であったため、国上寺に稚児に出された。以後、外道丸は仏道修行に専念して大人しくなったが、外道丸に恋文を送った婦女が返事が来ないことを苦に命を絶つことが相次いだ。これを知った外道丸は恋文を焼き捨てようと、恋文を溜めたツヅラを開けたところ、紫煙が立ち込めて気を失ってしまった。その後、目覚めて井戸で自分の顔を見ると、鬼の形相となっていたので、仏道修行を捨てて山々を転々とし、やがて酒呑童子と名乗って大江山の千丈嶽に籠ったとされる。

また、『實録傅記』にも同様の伝説があり、こちらでは外道丸は酒好きで仏道修行の合間に酒を飲んでいたので酒呑童子と呼ばれるようになったとされ、大江山に向かった際には茨木童子が先に大江山を支配していたので争いとなり、酒呑童子が勝って鬼の頭領となったとされる。

近江出身説


近江出身という伝説の一つに『奈良絵本』の酒典童子伝説がある。この伝説によれば、嵯峨天皇の時代に比叡山延暦寺に不思議な術を使う稚児がおり、この稚児は伊吹大明神(伊吹山の神で、ヤマタノオロチの転生とされる)と長者の娘の間に生まれた子で、幼少期から酒を飲んでいたので酒典童子と名付けられたとされる。それから時が過ぎ、都が平安京に移ると、内裏で祝賀行事として風流踊が催され、比叡山にも風流踊を披露するよう勅命が下ったので、童子の提案で「鬼踊り」が披露されることに決まった。童子は祭りで使う鬼面を皆の分まで自分で作り、内裏での鬼踊りが無事に終わったので、童子は祭りの後の酒宴で飲みすぎて鬼面を着けたまま眠ってしまった。翌朝、童子が目を覚ますと鬼面が肉に付いて取れなくなっており、そのまま寺に向かうと伝教大師に怒られて比叡山を追い出されてしまった。その後は両親のいる伊吹山に行き、神通力を身につけて本当の鬼になってしまった。人々を襲い始めた酒典童子は、伝教大師によって伊吹山から追放され、やがて大江山に行き着いたとされる。

また、別の近江出身伝説として『御伽草子』などの伊吹童子伝説があり、この伝説によれば、伊吹山には伊吹弥三郎という伊吹山の神(ヤマタノオロチの転生とも)の子孫が棲んでおり、この弥三郎が高貴な人物の娘を孕ませてできたのが伊吹童子である。童子は母の胎内で33ヶ月過ごしてから生まれたので、既に長髪で歯も生え揃っており、すぐに人語を話したという。この時、父の弥三郎は既に他界していたが、生前は酒好きで、野山の獣を貪る鬼のような者だったので、童子も同じようになるだろうと思われて人々から恐れられた。そのため、やがて童子は伊吹山に捨てられたが、山の鳥獣の助けもあって逞しく育ち、仙術も身につけ、神通力を自在に操れるようになった。それから月日が経つにつれて童子は益々強力になり、鬼を従えて乱暴狼藉の限りを尽くした。これに怒った伊吹大明神に伊吹山を追放された童子は、各地の山を転々として最後に大江山に行き着いたという。

大和出身説


大和出身という伝説として白毫寺の酒呑童子伝説がある。これによれば、山で人の死体を見つけた白毫寺の稚児が好奇心から死肉を持ち帰って師僧に差し出したところ、師僧は珍味と喜んで食べたので、稚児は嬉しくなって町の人々を襲って肉を差し出すようになった。これに気づいた師僧は稚児を責めて山に捨てたので、稚児は大江山に行って酒顛童子になったという。この伝説では童子が元々超人的な生い立ちだったとされていないようだ。

岡山の伝説


岡山県の伝説によれば、樵の一行が山に仕事に出かけた際に弟子の一人が山中で紅白餅を見つけ、あまりに美味そうだったので食べてしまったところ、面相が一変して性格も粗暴になり、山中を彷徨う鬼と化してしまった。この弟子を心配した仲間が探しにいったが、その仲間も食ってしまった。その後、この弟子は反省し、親方に謝って再び樵に戻ったが、衝動的に山中に戻るようになり、やがて丹波の大江山に飛び去って行った。これが後の酒呑童子だとされている。こちらの伝説も童子が超人的な生い立ちだとはされていない。

九州出身説


大分県には酒呑童子山(しゅてんどうじさん)という山があるが、この山には酒呑童子と名付くことになった伝説がある。その伝説によれば、昔 日田村で生まれた男児が乳の代わりに酒を呑んだで酒呑童子と名付けられた。童子の小便は田畑は作物の良い肥料となったので村で評判になったという。ある時、村の娘が鬼に連れ去られるようになったので、童子が鬼退治を名乗り出て鬼の棲む山に乗り込んでいった。そこで童子は鬼に酒の飲み比べで勝負することを提案し、もし自分が勝ったら村の娘を連れ去るなという条件をつけた。そして勝負が始まると互いに50升近くの酒を飲み干したが、51升目で鬼が倒れたので童子は勝利を収めることができた。勝った童子は鬼に向かって勢いよく小便をかけると、その小便は鬼を流しながら川となった。それが今の津江川で、その山は酒呑童子山と呼ばれるようになったという。こちらの伝説では酒呑童子が善人として描かれており、大江山に行くという話もない。

酒呑童子の首の行方


酒呑童子の首の行方については、いくつかの説がある。

・平等院説:酒呑童子の首級は帝らに検分された後、平等院の宝蔵に納められた
・老ノ坂説:都に持ち帰ろうとした際に地蔵尊の忠告を受けたので、その場に埋葬した
 → 四条河原で晒し首の後、老ノ坂に埋葬されたという伝説もある
 → 童子は今までの悪行を悔い、人々の首から上の病を治したいと言った(首塚大明神由緒)

茨木童子について



酒呑童子は多くの鬼を従えていたとされるが、その中でも茨木童子は取り分けて特別視されている鬼であり、単体でも数多くの伝説が残されている。

有名な話に京都の一条戻橋で若い女の姿で渡辺綱(源頼光の家来)の前に現れ、道案内させるふりをして綱を捕らえようとしたが、腕を切られてしまったという一条戻橋の鬼伝説がある。また、羅生門に現れて、度胸試しに来た渡辺綱に襲いかかったが、兜を掴んだ時に腕を斬られてしまったという伝説もある。

この他にも様々な伝説があるが、茨木童子の生い立ちを探ってみると、実は茨木童子も越後出身で若い頃から外道丸(酒呑童子)と親交があり、二人共美男子だったが女の怨念によって鬼と化してしまったので、二人で村を荒らすようになり、やがて大江山に行き着いたとする伝説もある。

また、生い立ちにおいても、母の胎内に長期間留まっていたり、生まれながらにして長髪で、歯が生え揃っていたなどの共通点がある。このように茨木童子の伝説の多くは、酒呑童子と関連していたり、似たような内容になっているという特徴が見られる。


酒呑童子の関連スポット



・くがみ山(新潟県):越後出身説において酒呑童子が育ったとされる場所
・大江山(京都府):酒呑童子が拠点とした山(鬼のオブジェなどが多数ある)
・老ノ坂峠(京都府):酒呑童子が拠点とした山
・酒呑童子山(大分県):独自の酒呑童子伝説にまつわる山

神社仏閣


・国上寺:童子の伝説に関わる寺で、イケメン官能絵巻で有名(新潟県燕市国上1407)
・酒呑童子神社:縁結びの神社(新潟県燕市国上5866-1)
・首塚大明神:童子の首が祀られる神社、心霊スポットで有名(京都市西京区大枝沓掛町)

その他


・日本の鬼の交流博物館:大江山にある鬼の博物館(京都府福知山市大江町仏性寺909)
 → 鬼専門の博物館で、鬼関連の資料や世界の鬼面などが見られる

データ


種 別 日本妖怪、鬼、怪人
資 料 『大江山絵巻』『御伽草子』など
年 代 平安時代
備 考 様々な場所に出生伝説がある