伊吹弥三郎【イブキヤサブロウ】
珍奇ノート:伊吹弥三郎 ― 酒呑童子の父とされる伊吹山の鬼 ―

伊吹弥三郎(いぶきやさぶろう)とは、伊吹山に棲む伝説の鬼のこと。

伊吹山の神の子孫とされ、伊吹童子伝説において酒呑童子の父とされている。


基本情報


概要


滋賀県の伊吹山は、日本神話においてヤマトタケルに致命傷を与えたという伊吹山の神が鎮座することで知られているが、伊吹弥三郎は『御伽草子』などで伝えられる伊吹童子伝説において、その伊吹山の神の子孫とされている。

この伝説によれば、日本神話でスサノオに退治されたヤマタノオロチが転生して神となったのが伊吹山の神で、弥三郎の家系はその子孫として代々 伊吹山を司って来たのだという。そのため、弥三郎も普通の人とは違い、丈夫な身体と怪力を持ち、容姿も大変美しかったとされている。

しかし、酒好きで常に酒を飲んでは酔っ払っており、伊吹山で野生の獣を狩っては引き裂いてそのまま食べ、酒や獣が無くなると人里に降りて家畜や商人を襲って奪い取っていたので、人々は弥三郎を鬼として恐れていたという。

伊吹童子伝説では、大野木殿という高貴な人物の娘を自らの妻とし、一人の男児を儲けたが、人々に害をなす弥三郎の野放しにしておくことを危惧した大野木殿によって謀殺されてしまう。

この後、弥三郎の子として生まれた男児は伊吹童子と名付けられたが、母の胎内に33ヶ月も留まっており、生まれながらにして長髪で、上下の歯が生え揃い、人語を話した、など非凡な子供だったので、人々から鬼子として恐れられるようになった。

また、幼いながらも酒好きで、見た目も成人のように大柄だったことから、酒呑童子とも呼ばれるようになり、放っておけば弥三郎のようになってしまうと危険視されるようになったため、大野木殿の判断で伊吹山に捨てられることになった。

その後、酒呑童子は伊吹山で逞しく成長し、やがて鬼を従えて乱暴狼藉の限りを尽くすようになったが、これが伊吹山の神の怒りに触れ、ついに伊吹山を追放された。以後、酒呑童子は山々を転々として、最後に大江山に行き着いたという。

これが伊吹童子伝説であるが、弥三郎のことを伝える伝説は他にもあり、仮名草子『大倭二十四孝』では、伊吹山に棲む鬼として描かれ、都への貢物を奪っていたので、やがて討伐軍が派遣されたという話になっている。

また、『三国伝記』では伊吹山に棲む変化の者とされ、人々に害をなすので佐々木頼綱という武将に討伐の勅命が下り、弥三郎を討ちに向かったが取り逃し、しばらくの年月を経てしまった。頼綱は弥三郎を逃しては一生の不覚と奮起して、摩利支天の秘法を修め、弥三郎を仕留めることに成功したという。しかし、この後に弥三郎の怨念が毒蛇に転生し、田の水を枯らして人畜に甚大な被害を与えたことから、怨霊を鎮めるための祠が建てられ、それ以来、雨を降らせる水神として信仰されるようになったとされている。

データ


種 別 鬼、怪人
資 料 『三国伝記』『大倭二十四孝』『御伽草子』ほか
年 代 不明
備 考 酒呑童子の父とされる

資料


伊吹弥三郎の伝説(『三国伝記』)


伊吹山には弥三郎という変化の者がいた。昼は崔崽畳峰の洞窟に住み、夜は関東鎮西の遠境に往還し、人家の財宝を奪ったり、国土の凶害をなす不祥事を行っていたので、天下の大いなる愁いとなるとして、佐々木備中守源頼綱に弥三郎討伐の勅命が下った。

頼綱は険しい峰に分け入って弥三郎を探したが見つからなかった。どうやらこの山の本拠を捨て去って他郷に移ったようで、竜池の辺りに隠れているという。それからも弥三郎を捕えられず年月を経てしまった。

(中略)

頼綱は弥三郎を逃してしまっては一生の不覚として奮起し、摩利支天の秘法を以って陰形の術を修め、弥三郎の動向を伺った。そして、高時川の水中にて弥三郎を仕留め、一家の名誉を挽回した。

その後、弥三郎の怨霊が毒蛇と化して高時川の井ノ口を碧潭(へきたん)と成して用水を大河に落とした。これによって多くの田の水が枯渇し、青苗が黄色くなって枯れ、飲用水も足りなくなってしまった。

これが9年続くと、人畜は疲弊し、飢餓で亡くなった者は数知れない。よって、ここに祠を建てて悪霊を神と崇め、井ノ明神と称した。すると、日照りの時に雨を降らせて土地を潤すような神となった。云々

伊吹弥三郎の伝説(仮名草子『大倭二十四孝』)


近江国の伊吹山には弥三郎という者がいた。この者は鉄のように丈夫で千人力の怪力を持つ。そのため、国の人々は弥三郎を「鬼伊吹」と呼んだ。

ある時、この弥三郎が都に向かう一行を襲い、帝への貢物を奪い取ったので、帝は軍を起こして弥三郎を退治せよとの勅命を下した。

弥三郎を見つけた兵たちは刀で斬りかかったり、矛で突いたりしたが全く刃が立たず、矢を射っても刺さることは無かった。その上、弥三郎は飛ぶ鳥のように山野を素早く走り、捕えられることも難しい。

どうにかして弥三郎を退治しようと公卿らが詮議して近国の兵を集めた。そして、この弥三郎を討ち取ったものには勲功を認め、宣旨を下そうと約束した。云々

伊吹弥三郎の伝説(『御伽草子』)


近江国に大野木殿という高名な人がおり、その大野木殿には16歳になる美しい一人娘がいた。夜になると、この娘の元に通う男が居たのだが、屋敷の者は誰も気づくことはなかった。やがて、娘は懐妊したので、驚いた乳母が事の次第を問いただすと、娘はどこの誰かとも分からない男が毎晩のように通っていたので懐妊したと話した。

乳母から事情を聞いた母は、その男が変化の者だと察し、その正体を突き止めようと娘に針を付けたままの苧環(おだまき)を渡して、男が来た時に衣の裾に縫い付けさせた。朝になって男が帰っていくと、その先を糸が示していたので、それを頼りに後を追っていくと、やがて伊吹山の畔にあった男の家に辿り着いた。

その男は弥三郎という者で、野山で獣を獲って喰い、獣が穫れなければ人里に降りて牛馬を襲って喰っていたので鬼と呼ばれるようになり、そのうちに人も喰うようになるのではないかと人々は恐れて、伊吹山の近隣から逃れるようになった。

大野木殿は、そのような常人離れした弥三郎が娘の相手だと知ると疎かにすることができず、晩に山海の珍味を携えて弥三郎のもとに向かい、好物の酒を振る舞って夜通しもてなした。そこで、弥三郎は娘が身籠った子が尋常ではない力の持ち主で、やがては一国の主となるだろうと語ったが、酒の飲みすぎが祟って死んでしまった。

その後、大野木殿の娘は33ヶ月(2年9ヶ月)を経て男児を出産した。その男児は黒々とした頭髪が肩まで垂れ、歯は上下とも生え揃い、抱きかかえた乳母の腕の中で目を見開いて「父はどこにいるのか」と人語を発っして皆を驚かせた。

この男児は伊吹童子と名付けられたが、人々は大野木殿の姫君が恐ろしい鬼子を生んだを噂して恐れるようになった。そこで、世間の動揺を危惧した大野木殿の息子は、大野木殿に「世間で鬼の生まれ変わりと恐れられている伊吹童子をこのまま育ててしまうと、もし言うことを聞かなくなった時に取り返しがつかないことになる」といった旨の進言を述べた。

それを聞いた大野木殿も、凶悪無比な弥三郎の血を引いている伊吹童子を放っておくことはできないと息子の意見に同意し、ついに伊吹童子を伊吹山の中に捨てることにした。

捨てられた伊吹童子は、最初は泣き叫んでいたものの、やがて平然とした態度になって辺りを駆け回って遊ぶようになった。山中の獣たちも伊吹童子を守るかのように振る舞い、食物や花を運んだりした。こうしたことから伊吹童子は衰弱するどころか益々元気に成長していった。伊吹山の神や鳥獣たちによって逞しく育てられた伊吹童子は、不老不死の薬とされる「さしも草」の露を舐めたことで仙術を得て、神通力を自在に操れるようになった。

それからというもの、大野木殿とのいきさつを誰も覚えてないほどの長い年月が経った。しかし、伊吹童子の容姿は14,5歳くらいにしか見えないほど若々しいものだった。また、その長い年月の間に伊吹童子は益々力をつけて、稲妻のように空を飛翔したり、山を動かしたりできるようになり、やがて数多の鬼神を従えて乱暴狼藉の限りを尽くすようになった。

このような粗暴な振る舞いに怒りを覚えた伊吹大明神は、ついに伊吹山から伊吹童子を追放することにした。伊吹童子は比叡の東の峰に飛び、一時は大比叡の山に移り住んだが、伝教大師の法力や山王権現の神力には勝て無かったので、比叡山から逃げ出し、さらに西の山に向かって飛び去った。そして、丹波国の大江山という高く険しい山に降りて、そこに住み着くことにした。

その頃、大江山は人が登るには難しい難所であった。そこで伊吹童子は岩を積んで築地とし、岩を穿って窟を造り、門という門に異形の鬼神を配置して住処を警護させた。そして、空を飛ぶことのできる眷属を都に放って人里を襲わせ、宝物を奪ったり、若い女を拐かして岩屋に連れ込ませ、優れた女は召使にし、劣った女は打ち殺して糧とした。

やがて岩屋の中には金銀財宝がうず高く積まれるようになり、人々から鬼ヶ城と呼ばれて遠ざけられるようになった。この脅威は人だけでなく鳥獣も恐れされ、ついに誰も近づこうとしなくなったという。

伊吹弥三郎の伝説(『室町物語』)


昔、近江国に伊吹弥三郎という忌々しき者がいた。その父を弥太郎といい、古より代々伊吹山の主であった。また同じ頃、近江国には大野木殿という名高い人がおり、最愛の一人娘がいた。この娘は大変容姿が美しかったので、弥三郎は自分の妻に迎えていた。

この弥三郎は、容姿が清らかで器量も立派であったが、幼い頃より酒好きの酒飲みで、成長するに従って次第に酒量も増えて大酒飲みになっていき、常に酔っ払っては狂乱していた。そして、飽きるほど酒を飲みたいと思っては、道で商人を襲って酒などを奪い取るという悪事を働いていたのである。

また、普段の肴には、獣、猿、兎、狸などの類をそのまま引き裂いて食らっており、毎日3,4匹の獣を捕えていたので、やがて山林で鳥や獣の姿を見なくなっていった。そのため、弥太郎は人家で飼われている馬や牛を奪い取って食うようになり、人々に恐れられるようになった。

昔、出雲国の簸川(斐伊川)に八岐大蛇(ヤマタノオロチ)という大蛇がいた。この大蛇は毎日生贄をとって生きた人間を食っていた。また、八塩折の酒槽を飲み干すほどの大酒飲みで、酔ったところを素盞鳴尊(スサノオ)に殺された。この大蛇が死後に変じて神となり、それが伊吹大明神である。なので、弥三郎は伊吹大明神の御山を司る者として酒好きであり、また生きた物を好んでいた。よって、伊吹山は旅人も来なくなるほど人々に恐れられ、近隣の村里も次第に荒廃していった。

この話を聞いて大変驚いた大野木殿は、弥三郎は人ではなく鬼の類であるとし、このまま放っておいてはやがて神通力を以って人倫を滅ぼし世に災いをもたらすと思ったので、どうにかして退治しようと策を巡らせた。そこで、弥三郎を呼び出して話を聞こうとしたが、弥三郎は世の有様を恥じていると言って来ようとしなかった。

大野木殿は来ないならば自ら行ってやろうと、様々な雑餉(酒や食物)をこしらえて伊吹山に向かい、弥三郎の住処に立ち入った。すると、弥三郎が出てきたので、大野木殿は持参した雑餉を調えて弥三郎に振る舞った。そのとき、大野木殿が持ってきた酒に弥三郎は大変喜んで早速飲み始め、用意された酒などを荷馬ごと悉く平らげた。すると、さすがの大酒飲みも酔いつぶれ、場もわきまえずに床に倒れ伏してしまった。これを好機と捉えた大野木殿は、弥三郎の脇の下に刀を突き刺して、館に帰っていった。

大野木殿の娘は、父の動きを知っていたものの、弥三郎がきっと酔いつぶれてしまうだろうと思って、衣の着替えを用意していた。3日後、酒に酔いつつ目覚めた弥三郎は、脇の下に突き立てられた刀を探って驚き、大野木殿に謀られたと悔しがって飛び起きた起きたのだが、刀が急所を突いていたため、弥太郎の命はやがて尽きていった。弥三郎が死んだという話が世間に伝わると、人々は安堵して伊吹山の近隣に人が戻ってくるようになった。

一方で、弥三郎の妻であった大野木殿の娘は、弥三郎と二度と会えなくなったことを嘆いていた。これは父の仕業であると分かって恨んだが、仕方のないことでもあるので、どうしようもなく日々を過ごしていた。その後、娘の懐妊の月日が満ちて、やがて出産を迎えると、とても美しい男児が誕生したので、娘は弥三郎の忘れ形見だと大変喜んだ。

しかし、いつしか男児が弥三郎に似ているという噂が人々の間で立ち始めた。これを聞いた大野木殿は娘に「弥三郎の忘れ形見として大事にするのは分かるが、弥三郎は悪事を働いていた者だから大人しく育てよ」と申し付けると、娘は「我が父よ、貴方も邪見の人でしょう。弥三郎殿を騙し討ちにしたことは浅ましく恨めしいことで、忘れることはできません。この間生れた我が子に親子の喜びをなし、日頃の悲しみの慰めにしようと思っていたのに、重ねて憂き目を味合わせるのですか」と辛辣な恨み言を言い返すと、大野木殿も哀れに思い、これ以上は何も言わなくなった。

その後、男児は月日が経つごとにみるみる成長し、幼いながらも見た目は成人のようになっていた。また父の弥三郎とよく似て酒を好むので、人々は男児を酒呑童子と呼ぶようになった。酒呑童子は常に酔っ払って乱心しており、態度も大きく罪無き人も苛め、野山を走り回っては馬や牛を叩きのめすなど、幼い頃から身の丈に合わない悪行を働いていたので、人々は「酒呑童子は弥三郎の生き写しのような子だ、放っておけば世の人種は尽く滅んでしまうぞ」と言うようになった。

これを聞いた大野木殿は、娘のもとに使いを送って「なんと言われても世に災いを起こすような子は引き取らせてもらうぞ」と告げさせると、娘は「父の仰せはごもっともです。これ以上、周りの人々を恐れさせて迷惑を書けるようであれば、我が手に置いていくのは良くないのでしょう」と答え、とうとう酒呑童子は日吉山の北の谷に捨てられることになった。そのときの酒呑童子は7歳であった。

このように親しまれるべき人々にも憎まれ、周りの民百姓にも疎まれてしまった酒呑童子は、どことも知れない深谷に住むことを余儀なくされ、この地に棲む虎や狼に襲われて命が奪われそうになることもあった。しかし、この状況を悲しむことはなく、月日が経つごとにさらに逞しくなっていき、やがて恐ろしく凄まじい風体に変わっていった。この間、普段は木の実などを採って食っていたが、後には鳥獣を獲って食うようになったという。

その後、酒呑童子は小比叡の峰に住処を変えたが、ここは二宮権現の天下であり、悪鬼邪神を戒める存在であったため、この峰を逃げ出した。この二宮権現というのは、この日本国の地主であり、昔、天照大神(アマテラス)が天岩戸を押し開き、天沼矛を以って青海原をかき探ったときに矛に当たるものに素性を問うと「我はこの日本の地主である」と答えた国常立尊(クニノトコタチ)である。この国常立尊の本地は浄瑠璃世界の薬師如来であり、「人寿二万歳の始めよりこの所の主たり」と釈尊に語らせた者である(以下割愛)。