鬼女紅葉【キジョモミジ】
珍奇ノート:鬼女紅葉 ― 戸隠山に棲んでいた美しい鬼女 ―

鬼女紅葉(きじょもみじ)は、長野県の戸隠に棲んでいたとされる伝説の鬼女のこと。

元々は美しい女だったが、都で流刑に処されて戸隠山に追放されたことで、人々を襲う鬼となったとされる。

賊徒を従えて近隣の村々を荒らし回っていたが、朝廷から派遣されてきた平維茂によって討伐された。


基本情報


概要


珍奇ノート:鬼女紅葉 ― 戸隠山に棲んでいた美しい鬼女 ―

鬼女紅葉は、長野県の戸隠山に棲んでいたと伝えられる鬼女で普段は美しい女の姿だが、鬼としての正体を現すと、身の丈1丈(3.03m)で、鹿のような枝分かれした角を持ち、眼は日月のように輝いている、といったとても直視できないような醜悪な姿になったとされる。3

第六天の魔王に祈って生まれたことで神通力を使うことができ、人の心を読んだり、自分の分身体を作ったり、他人に変身したり、病を治したり することができたとされ、その他にも 火や氷の雨を降らせたり、洪水を起こすなどの幻術も操ったとされる。また、鬼になってからは 矢刃も通さない堅固な体となり、空中を飛んだり、火炎を吐き出したりすることもできたという。

鬼女紅葉の伝説は『戸隠山鬼女紅葉退治之伝』に詳しく記述されており、この文書には以下のような内容が記されている。

奥州の会津に棲んでいた笹丸と菊世は子宝に恵まれなかったので、日々 神仏に子宝を祈っていたが子を授かることはできなかった。その時に第六天の魔王に子宝を祈るように勧められたので そのようにしたところ、承平7年(937年)に女児を授かったので呉葉(くれは)と名付けた。

呉葉はとても賢く育った上に琴の秘術や美貌も兼ね備えていたので言い寄る男も多かった。その中に近隣の長者の息子がおり、呉葉に恋文を送っていたが全く相手にされなかったので 病んで床に伏せるようになった。この後、長者は呉葉が原因だと分かったので、使用人を遣わせて息子と呉葉の仲立ちをさせようとしたが、笹丸は呉葉を都の貴人に嫁がせようとしていたのでこれを拒んだ。しかし、笹丸はこの長者に借金をしていたので、使用人は「すぐに返済ができないのであれば、代わりに呉葉を貰っていく」という条件を付きつけた。

これに困った笹丸がどうしたものかと悩んでいると、呉葉は秘文を唱えて自らの分身体を作り出したので、これを呉葉の身代わりに嫁がせることにした。翌日、借金の催促にやってきた使用人に身代わりの呉葉を差し出すと、使用人は結納金にと100両を渡したので、笹丸一家はこれを元手に都に夜逃げした。一方、身代わりの呉葉が嫁いだことで長者の息子の容態は回復したが、ある時に分身体が雲に乗って空の彼方に飛び去ってしまったという。

都に上った笹丸一家は各々が名を改めることにし、呉葉は紅葉(もみじ)と名乗ることにした。紅葉は都で琴の指南を始め、次第に都で評判を得るようになった。この評判は源経基の奥方の耳にも入り、紅葉は腰元として経基の屋敷に入ることになった。そこで紅葉は神通力を使って奥方の心を読んで自身の評価を上げていき、やがて局に住んで下女を召し使う身分となった。

この紅葉の評判は、いつしか経基の耳にも入り、ある宴で一曲調べたところ、その音色は経基をすっかり魅了してしまった。その後、紅葉と経基は密通するようになり、やがて懐妊したので、紅葉は奥方を亡き者にして権力を手に入れたいと思うようになり、神通力で奥方を悩ますようになったという。

それから紅葉は分身体を作って奥方を看病させる一方で、自らは局に籠って奥方の死を祈るようになった。この紅葉が2人存在するという奇妙な様子を家人に気づかれて、これを探られると紅葉の陰謀が露見したので、この罪によって天暦10年(956年)に紅葉は信濃の戸隠山に流されることになった。

紅葉は戸隠山に住むようになると、秘文を使って地元の人々の病気や怪我を治療するようになったので、生き神様と呼ばれるようになり、食物を貰ったり、家を建てて貰ったりしていた。その一方で、男に化けて夜な夜な土地の富豪を襲っては金品を奪うようになったという。この後、地元の盗賊に勝負を挑まれたが、幻術を使って翻弄し、あっさりと手下にしてしまったという。

この後、紅葉は手下がさらってくる婦女の肉を食べたり、血を酒として飲むようになった。こうして紅葉は戸隠山の鬼神として知られるようになり、近隣の人々に恐れられるようなった。そこで、安和2年(969年)、冷泉帝は平維茂に紅葉討伐の勅命を下した。これにより、維茂は官軍として総勢250余騎を率いて戸隠山に向かった。

官軍が戸隠山に入ると、紅葉は幻術を使って 火の雨を降らせたり、水を操って洪水を起こしたので多くの兵がやられてしまった。そこで維茂は北向観音に加護を求めて参籠すると、夢に現れた老僧から降魔の剣を授かることができた。この後、紅葉の身体は氷のように冷たくなって硬直したため、一時的に幻術が止んだという。

そこで維茂は全軍を戸隠山に向かわせて、手下の賊徒を次々と破っていき、ついに紅葉に接近することになった。そこで維茂が白羽の矢を射ると紅葉の右肩に突き刺さり、このままでは勝てぬと思った紅葉はそこで鬼の姿を現した。鬼は宙を舞いながら維茂に向かって火炎を吹き出したが、そこで空中から金色の光が差して来て呉葉を大地に落とした。維茂はこの隙に紅葉の首を打ち落とすと、その首は空中に舞っていずこに消え去ってしまったという。

以上が鬼女紅葉の伝説となるが、長野県には民話として同様の伝説が伝えられており、その民話では紅葉が退治されたことで「鬼無里(きなさ)」という地名が付いたとされている(一夜山の鬼伝説が発祥という説もある)。また、当地には紅葉が都を偲んで付けたとされる「東京(ひがしきょう)」「西京(にしきょう)」「二条」「三条」といった場所も残っているという。

また、紅葉伝説は謡曲『紅葉狩』という作品でも描かれており、こちらでは 山中で紅葉が貴婦人のように酒宴を楽しんでいたところに維茂が通りかかり、紅葉が言葉巧みに酒宴に誘って酔わせた所を討ち取ろうとしたが、維茂は神の力によって目覚め、鬼神の正体を現した紅葉を討つといった内容になっている。

九生大王の伝説


戸隠神社に伝わる『戸隠山絵巻』では、元正天皇の御代に戸隠山に「九生大王(くしょうだいおう)」という鬼神が棲んでいたという物語が記されており、以下のような内容になっている。

元正天皇の御代(奈良前期)、戸隠山の鬼が近隣の人々を苦しめているということで、吉備大臣(きびのおとど)に鬼神討伐の勅命が下り、大臣は蘇我河麿と紀貞雄という腕の立つ家来らと共に戸隠山に入ると、そこで酒宴を楽しむ婦人を見つけた。

この婦人たちに鬼の居場所を聞くと「陸奥に行っているので今は居ない、だから酒宴に興じているのだ」と説明され、大臣たちも酒宴に誘われることになった。そこで酒を飲みすぎて酩酊して寝ていると、婦人たちは鬼の本性を現して九生大王を呼び出しに行く。

そこに観音が現れて大臣を起こすと、大臣は家来を起こして体勢を整え、木陰や岩陰に隠れて鬼が帰ってくるのを身構えた。そこに九生大王と眷属の鬼たちが帰ってきたので、大臣は一斉に斬りかかると、鬼たちも持ち前の怪力や神通力を使って応戦し、悪戦苦闘の末に退治することができた。

紅葉鬼人の伝説


長野県の八坂村(現・大町市)には紅葉鬼人という鬼女の伝説がある。この伝説によれば、八坂村で一番高い山に紅葉鬼人という赤顔の女が棲んでおり、この紅葉鬼人が有明山に棲む魏石鬼八面大王と恋に落ちてできたのが金太郎だとされている。ただし、この説話は鬼女紅葉と整合性が合わないため、別物だとするのが妥当だと想われる。

データ


種 別 日本妖怪、鬼女
資 料 『戸隠山鬼女紅葉退治之伝』、「戸隠の民話」など
年 代 平安時代
備 考 同名の鬼女に金太郎の母の「紅葉鬼人」がいる(同一の存在かは疑問)