戸隠山の鬼たち
長野県の戸隠山には多くの鬼伝説がある。
このページでは戸隠山の鬼伝説について特集してみようと思う。
戸隠山の鬼について
戸隠山(とがくしやま)は長野県長野市にある山で、『日本神話』の「天岩戸」において岩戸に隠れていたアマテラスをアメノタヂカラオが引っ張り出す際に、岩戸を投げ飛ばし、それが落ちたところが山になったことから戸隠山と呼ばれるようになったという。また、戸隠の九頭龍信仰の聖地であり、古くから修験道場としても知られていた。そんな中、この戸隠山には鬼にまつわる数多くの伝説が残されている。
例えば、『太平記』には「鬼切」という太刀の由来として「源満仲が戸隠山で鬼を斬った時に使った刀」だと説明している。この話は浄瑠璃の『六孫王経元』で物語化されており、六孫王経基が変化の者を討伐した功績で源氏の姓を賜った際に諸国の侍が奉公しようと経元の屋敷に集まった。この時にやって来た信濃国の侍が、戸隠山に棲む鬼によって国が衰退することを憂いて、経基の子・満仲に「父の経基殿のように満仲殿も変化の者を討たなければ世間の笑い者になりますので、ぜひ戸隠山の鬼を討ってください」と言葉巧みに討たせようとした。満仲はその侍の邪な心を見抜いて断ったものの、臆病者と言われるのを恐れて、家来を連れて密かに討ちに向かうと、戸隠山で身の丈1丈(3.03m)ほどの鬼と遭遇したので、家来と協力して鬼の首を討ち取った、という内容になっている。
また、鬼無里の地名由来となった「一夜山の鬼伝説」もある。この伝説によれば、天武天皇の御代(飛鳥時代)に信濃に遷都しようと臣下に調査を命じたところ、水無瀬に棲む鬼たちが遷都を阻止するために一夜で山を築いて邪魔をした。これに怒った天武天皇は官軍を派遣して鬼たちを尽く滅ぼしたので、水無瀬は鬼無里(きなさ)という地名に変わったとされる。
また、戸隠神社に伝わる『戸隠山絵巻』には「九生大王(くしょうだいおう)」の伝説が記されており、元正天皇の御代(奈良前期)、戸隠山の鬼が近隣の人々を苦しめているということで、吉備大臣(きびのおとど)に鬼神討伐の勅命が下り、大臣は蘇我河麿と紀貞雄という腕の立つ家来らと共に戸隠山に入ると、そこで酒宴を楽しむ婦人を見つけた。この婦人たちに鬼の居場所を聞くと「陸奥に行っているので今は居ない、だから酒宴に興じているのだ」と説明され、大臣たちも酒宴に誘われることになった。そこで酒を飲みすぎて酩酊して寝ていると、婦人たちは鬼の本性を現して九生大王を呼び出しに行った。そこに観音が現れて大臣を起こすと、大臣は家来を起こして体勢を整え、木陰や岩陰に隠れて鬼が帰ってくるのを身構えた。そこに九生大王と眷属の鬼たちが帰ってきたので、大臣は一斉に斬りかかると、鬼たちも持ち前の怪力や神通力を使って応戦し、悪戦苦闘の末に退治した、という内容になっている。
この他にも、九頭一尾の鬼、官那羅、鬼女紅葉、悪童丸といった鬼の伝説が残っている。
その他の鬼伝説
九頭一尾の鬼
九頭竜 ― 9つの頭を持つ伝説の龍 ―
九頭龍(くずりゅう)とは、9つの頭を持つ伝説の龍または大蛇のこと。日本各地に伝説があり、善龍として崇められたり、悪龍として退治されたりと様々な形で伝えられている。
九頭一尾の鬼は『阿娑縛抄』に登場し、飯縄山で修行中だった学問という修行者が出会ったとされる。毒気のある臭い風を放っているが、その鬼は悪意はなく、元は別当であったにも関わらず貪欲な生活を送っていたために鬼の姿に変わってしまったのだという。学問は鬼に「鬼者隠形」と言うと鬼が石屋に籠ったので、学問は石室の戸を封じてそこに戸隠寺を立てたという。
官那羅(かんなら)
官那羅 ― 戸隠山に棲んだ女好きの鬼 ―
官那羅(かんなら)とは、平安時代に戸隠山に棲んでいたとされる鬼のこと。変身能力を持ち、普段は若者や童子に化けていたとされ、婦女を口説いては都で遊んでいたという。不思議な笛を持っていたが在原業平に盗られてしまい、これを取り返そうとしたことで朝敵として討伐された。
官那羅は、中世の神道書『神道集』の「諏訪大明神五月会事」に登場する鬼で、光孝天皇の御代に日本にやってきたという。それから信濃国を本拠にして、美男子に化けては都に遊びに行き、そこで婦女と交わっていたという。また、笛の名手で「青葉の笛」という心に浮かべた音色を自在に吹くことのできる不思議な笛を持っていた。
これを欲した在原業平は官那羅から騙し取って帝に献上した。帝は青葉の笛を大層気に入ったが、官那羅は笛を返してもらおうと内裏で交渉したところ、帝がどうしても手放そうとしないので、官那羅は怒って鬼の本性を現して宮女を拉致して戸隠山に帰っていった。これにより帝は満清という将軍に追討を命じ、戸隠山で退治されることになった。
鬼女紅葉(きじょもみじ)
鬼女紅葉 ― 戸隠山に棲んでいた美しい鬼女 ―
鬼女紅葉(きじょもみじ)は、長野県の戸隠に棲んでいたとされる伝説の鬼女のこと。元々は美しい女だったが、都で流刑に処されて戸隠山に追放されたことで、人々を襲う鬼となったとされる。賊徒を従えて近隣の村々を荒らし回っていたが、朝廷から派遣されてきた平維茂によって討伐された。
『戸隠山鬼女紅葉退治之伝』によれば、会津の貧しい両親が第六天の魔王に子宝を祈ったところ女児を授かった。この子は呉葉と名付けられ、魔王の申し子だったので生まれつき才器と美貌に恵まれて、神通力も備えていた。そのため、数多の男を魅了し、その中の長者の息子と婚姻を結んだことから多額の結納金も手に入れた。
呉葉は一家で結納金を元手にして京に移住して紅葉と名を改めた。そして、得意の琴の指南を始めると たちまち京で評判になり、やがて源経基の奥方の目に止まり、腰元として働くことになった。そのうち紅葉は出世して局で下女を扱う立場となり、やがて経基をも魅了して密通するようになった。経基の子を孕んだ紅葉は欲を出すようになり、奥方の命を奪うために神通力を使うようになった。しかし、これが家人に露見して、戸隠山に流刑に処されることになった。
戸隠山に行った紅葉は、神通力で地元の人々の病を治して感謝されるようになった一方で、夜な夜な男に化けて富豪の家から金品を略奪するようになった。その後 賊徒を従えるようになり、やがて人の血肉を喰らうような鬼となって人々に恐れられる存在となった。このため、朝廷は平維茂に鬼女紅葉の討伐を命じ、戸隠山に官軍が派遣されることになった。
戸隠山に官軍が入ると、紅葉は幻術で侵入を防いだが、観音の力を借りた維茂によって神通力を奪われたため、自分の支配する領域への侵入を許してしまい、そこで巨大な鬼の姿となって迎え討とうとするものの、観音の力によって体勢を崩されてしまったため、敢え無く維茂に討ち取られることになったという。
悪童丸(あくどうまる)
酒呑童子 ― 大江山に棲んでいた鬼の頭領 ―
酒呑童子(しゅてんどうじ)とは、大江山に棲んでいたとされる鬼の頭領のこと。茨木童子などの鬼を従えて都の人々を襲っていたが、源頼光らに討伐されたと伝えられている。
『酒典童子若壮』によれば、戸隠明神の申し子として越後国の武士の家に生まれた悪童丸は、生まれつき怪力で乱暴な性格だったので、将来を心配した両親によって国上寺に預けられた。しかし、寺でも暴れまわって大勢の稚児や法師を殺したので、信濃の戸隠山に追放された。
その後、戸隠山の盗賊の頭領を倒したことで自分が頭領となり、近隣の村々を荒らし回って人々を恐れさせた。朝廷は大軍で討伐に向かったが敵わなかったので、悪童丸の両親を捕えて都におびき出すことにした。これに悪童丸は悔しがり、両親の身代わりとして自ら出頭すると、堅固な牢獄に監禁された。しかし、持ち前の怪力で牢を破って戸隠山に帰っていった。
そこで、自らの力を誇示して悦に浸っていると、そこに天狗の善界坊が現れて力比べをしようというので、手を組み合わせると、善界坊は悪童丸の手を取ったまま天高く飛び上がり、虚空に飛んでいった。この後、二人は無色界で魔王に会い、悪童丸はそこで未来の予言を与えられた。
この後、戸隠山に帰ると、無色界に行く前から80年以上経っており、両親が自分の罪を被って死んだという事を知った。これに怒った悪童丸は両親の無念を晴らそうと悪鬼に変じ、4人の鬼を味方につけ、酒典童子と名を変えた。そして手始めに比叡山を支配しようとしたが、伝教大師には敵わなかったので、丹波国の大江山に行ったという。
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