泉小太郎 ― 陸地を開拓した伝説の龍の子 ―
泉小太郎(いずみこたろう)とは、長野県の民話に登場する龍の子のこと。
母の犀竜と共に元々湖だった松本盆地を、人が住めるように平地にしたという伝説がある。
また、『龍の子太郎』の元ネタの一つになっている。
基本情報
概要
江戸時代の地誌『信府統記』によれば、今の松本盆地は第12代景行天皇12年までは大きな湖だったとされる。この湖に棲む犀竜(さいりゅう)が、東の高梨に棲む白竜王(はくりゅうおう)と交わって生まれたのが 泉小太郎(日光泉小太郎) だとされる。
小太郎は鉢伏山で生まれ、放光寺山周辺で成長したが、後に母の犀竜は自らの姿を恥じて湖水に隠れてしまった。そこで小太郎が母の行方を探し回っていたところ、熊倉下田の奥にある尾入沢という場所で母と逢うことができたという。
そこで、犀竜は「私は諏訪大明神のタケミナカタの変身で、氏子たちを繁盛させようとして姿を変えたのです。小太郎よ、私の背中に乗りなさい。この湖を突き破って水を下流に落とし、平らな陸地にして人の住める里にしましょう」と言って、小太郎を背に乗せると、尾入沢から三清地の大岩を突き破り、また水内の橋下を突き破り、千曲川から越後の海まで乗り込んでいった。こうして湖水が流れ出て平らな陸地ができ、やがて人々が住み着いて郷村ができていったとされる。
この後、犀竜は白竜王を尋ねて行き、数年後に川会という場所で再開すると、白竜王は自らを日輪の精霊で大日如来の化身であると名乗り、犀竜と共に仏崎の岩穴に隠れたという。一方、小太郎は有明の里に帰って子孫を繁栄させ、後に自らを鉢伏権現の再誕であると名乗り、里の繁栄のために仏崎の岩穴に隠れたとされている。
この説話は松本地域で民話としても伝えられており、ゆかりの地である穂高神社、大町ダム、弘法山古墳などには小太郎の像が設置されている。
泉小次郎の伝説
民話による泉小太郎伝説は、小太郎が犀竜と共に湖水を溢れさせて平地を作った後、小太郎が有明の里に帰って幸せに暮らしたというところで終わっている。しかし『信府統記』には続きがあり、以下のような内容になっている。
筑摩・安曇野の両郡が果てしなく広い海原だったとき、人々は山上に住み、船で移動せざる負えなかった。これを憐れんだ鉢伏権現が人に化身して鉢伏山の傍らの丸山に住むようになると、そこに不思議な泉が湧き出るようになった。その泉は酒のようで、人々を飢えから助け、疲れを養うという。そのため不老不死の泉と呼ばれ、土地の人々は喜んだという。
この権現の子を泉小次郎といい、生まれながらにして常人離れした能力を持ち、岩壁を駆けたり、水中を自由自在に泳いだりすることができた。小次郎は陸地を作るために海中に入って調べてみたところ、一つの山を突き破れば海水を流して丘ができるということが分かった。
しかし、人間の身体では不可能なので天神地祇に祈ったところ、大雨が降って水が溢れんばかりに増えて、やがて山の上を超える程に水が溢れた。その時に一匹の犀(サイ)が現れたので、小次郎は犀に乗って山を突き破った。これにより、海水は越後まで流れ落ちていき、やがて平らな陸地ができた。その後、この犀を神に祝って犀口水引大明神に祀られることになった。
この権現の子を泉小次郎といい、生まれながらにして常人離れした能力を持ち、岩壁を駆けたり、水中を自由自在に泳いだりすることができた。小次郎は陸地を作るために海中に入って調べてみたところ、一つの山を突き破れば海水を流して丘ができるということが分かった。
しかし、人間の身体では不可能なので天神地祇に祈ったところ、大雨が降って水が溢れんばかりに増えて、やがて山の上を超える程に水が溢れた。その時に一匹の犀(サイ)が現れたので、小次郎は犀に乗って山を突き破った。これにより、海水は越後まで流れ落ちていき、やがて平らな陸地ができた。その後、この犀を神に祝って犀口水引大明神に祀られることになった。
こちらの伝説では泉小次郎という子がサイに乗って陸地を造ったという伝説になっている。ちなみに穂高神社の小太郎像はサイに乗っているが、この説話のイメージにピッタリのデザインとなっている。
データ
種 別 | 人物(神仏の化身) |
---|---|
資 料 | 『信府統記』 |
年 代 | 不明 |
備 考 | 『龍の子太郎』の元ネタの一つとされる |
スポンサーリンク
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿