牛鬼【ウシオニ / ギュウキ】
珍奇ノート:足代山の牛鬼 ― 福岡県の足代山に伝わる牛鬼 ―

足代山の牛鬼とは、福岡県久留米市の足代山に棲んでいたと伝わる牛鬼のこと。

人や家畜に害を為していたので、観音寺の住職である金光上人が退治したとされている。


基本情報


概要


足代山の牛鬼は、福岡県久留米市の足代山に棲んでいたとされる牛鬼で、牛の頭に鬼の身体を持ち、神通力を使って人や家畜をさらっていたされており、当地には以下のような伝説が伝えられている。

康平5年(1062年)の晩秋、真夜中に観音寺の鐘を突く音がするので、驚いた住職が様子を見に行くと、そこには誰の姿も無かった。しかし、それからも夜毎に鐘の音が鳴り続け、その後に村の牛馬が煙にように消えた。さらに村の娘や子供まで消えていったので、恐れた村人たちは観音寺の住職を頼ることにした。この住職は比叡山での修行を終えた金光房然廓上人という高僧であった。

金光上人は夜中に鐘を突く者の正体を突き止めようと、宝剣を携えて鐘楼に隠れて夜を待った。やがて夜が更けると、辺りが俄に曇り出し、次第に風が強くなり、雷雨と共に不気味な怪物が現れた。その怪物は、頭は牛で身体が鬼という牛鬼であり、とても恐ろしい姿をしていたので、流石の金光上人も身体の震えを隠せなかった。そこで金光上人を見つけた牛鬼は、すぐに真っ赤な口を開けて飛びかかってきたが、金光上人はすかさず御経を唱え始めた。すると、牛鬼は急に苦しみだし、読経と宝剣の力によって神通力も失って、遂にその場で息絶えてしまった。

その翌朝、怪物退治の知らせを聞いた村人たちは牛鬼の遺骸を刻み、その首は都に送り、その手は寺に納め、その耳は付近の山に埋葬した。これによって、その山は「耳納山(みみのうやま)」と呼ぶようになったという。

この伝説にある通り、牛鬼の手は今でも石垣山観音寺に納められている。その手のミイラは「3本指(親指とその他の指)で、全体的に人に比べて細長く、それぞれの指も非常に長い」といったものになっている。

また、この伝説には「多くの者が牛鬼退治に挑んだが悉く負けてしまったので、村人たちは金光上人に退治を依頼したところ、金光上人は足代山に籠もって牛鬼を待ち、牛鬼が現れた時に読経して神通力と体の自由を奪い、宝剣でとどめを刺した。そして、牛鬼の耳を切り取って山頂に埋めた」といった別説もある。

データ


種 別 日本妖怪、怪人、鬼
資 料 観音寺の伝説
年 代 平安時代
備 考 観音寺に手が奉納されている

足代山の牛鬼の関連スポット
・観音寺:牛鬼の手が納められている(福岡県久留米市田主丸町石垣271-1)