河伯【カハク】
珍奇ノート:河伯 ― 中国神話に登場する水神 ―

河伯とは、中国神話に登場する黄河を司る水神のこと。

人から神になった存在とされ、主に大亀に乗る図像で知られている。

日本においては、河童の別名とされることもある。


基本情報


概要


河伯は、中国神話に登場する水神で、主に黄河を司る神として信仰されている。古代の文献では河川を神格化した存在として描かれ、後世には馮夷(ひょうい)という人物が神格化されたものとして説明されるようになった。

『捜神記』によれば「宋の時代、弘農の馮夷は黄河を渡ろうとして溺死し、その後、天帝によって河伯に任じられた」とされる。この伝承では、馮夷は人間から水神へと変化した存在として語られている。「馮夷」のほか「冰夷」と表記される場合もあり、両者は後世に同一視されるようになった。

河伯の姿については文献によって様々に描かれている。『山海経』では、冰夷の名で「人の顔を持ち、二頭の龍に乗る」と記されている。『楚辞(九歌・河伯)』では「河伯は二頭の龍に車を曳かせ、螭(みずち)を従え、白い大鼈(巨大なスッポン)に乗り、文魚を追う存在」として描かれる。また、『楚辞章句』王逸注には「河伯が白龍に化身して水辺を遊んでいたところ、羿によって射られて左目を傷つけた」といった神話が記されている。

『博物志』では、禹が黄河で遭遇した「長身で魚の身体を持つ河の精」を河伯ではないかと考察している。また、馮夷は仙道を得て河伯となったと説明されている。『酉陽雑俎』では「人面で二頭の龍に乗る」とするほか、「人面魚身」とも記されている。また、冰夷・馮夷・馮循・馮遅など複数の名称が挙げられ、河伯にまつわる複数の伝承や異名も紹介されている。

河伯の神格や信仰についても文献によって様々である。『晏子春秋』には「斉の景公の時代に大旱魃が起こったため、景公が河伯を祭ろうとした」という逸話が記されている。ここでは「河伯は水を国とし、魚や鼈を民とする水界の支配者である」と述べられている。また、『酉陽雑俎』にも旱魃の際に河伯が雨を降らせるという伝承が記されており、雨乞いや降雨と結びついた水神として信仰されていたことが示されている。

一方で、河伯は人々に恩恵を与えるだけでなく、水害をもたらす畏怖の対象でもあった。『史記』滑稽列伝には、魏の文侯時代の故事として「河伯娶婦(河伯に妻を捧げる風習)」の逸話が記されている。鄴では河伯の怒りによる洪水を防ぐためとして、娘を河に流す風習が行われていたとされ、河伯が水害を支配する恐ろしい神として認識されていたことがうかがえる。

日本における河伯


日本では「河伯」と「河童」を同一視したり、「河伯」と書いて「カッパ」と読まれることもある。この両者の関係については様々な説が唱えられているが、その起源については詳しくわかっていない。

日本における「河伯」の最古級の使用例としては720年成立の『日本書紀』仁徳天皇11年条が挙げられる。ここでは河伯が茨田堤の築造を妨げる河川神として登場し、天皇の夢に神が現れて「武蔵人の強頚と河内人の茨田連衫子を河伯への供物として捧げれば堤を完成できる」と告げたとされる。ただし、この河伯は「かわのかみ」と読まれるもので、河童と直接関係しているとは言い難い。

しかし、九州地方には河伯と河童を直接結びつける地域伝承も存在し、筑後地方では壇ノ浦の戦いで敗れた平家の残党が死後に河伯(河童)になったという伝説があるとされる。また、『筑後楽由来』や寺社縁起類には「平家の亡霊が河伯に変じた」という内容が記されているという。なお、この地域では河童は水神信仰と結びついた存在として扱われ、水天宮の眷属とされる例もある。

また、西日本には河童を水神として祀る地域もあり、高知県南国市の河伯神社では河童を「エンコウ」と呼んで祀っている。このような信仰からも、河童が単なる妖怪ではなく、河伯のように水神的側面を持つ存在であることがわかる。

江戸時代になると、中国の水怪と日本の河童伝承が比較されるようになった。1712年成立の『和漢三才図会』では、中国の水怪である「水虎」が日本の「川太郎」のような存在として紹介され、「川太郎」については現在の河童に通じる特徴が記されている。さらに、1820年頃の『水虎考略』では、河童の名称として「水虎」「川太郎」「河伯」などが挙げられており、この時点で日本では河童を表す呼称の一つとして定着していたことがわかる。

このように、河伯と河童は本来同一の存在ではないが、中国における水神であった河伯が、日本における水神的な河童信仰が融合する中で、河伯という名称や水神としての性格が河童と結び付けられるようになったと考えられる。

データ


種 別 神仏
資 料 『山海経』『竹書紀年』『晏子春秋』ほか
年 代 紀元前~
備 考 日本においては河童の別名とされることがある