珍奇ノート:オオカムヅミの伝説



『古事記(黄泉の国)』


イザナギとイザナミは二人で協力して国土や森羅万象の神々を生んだ。だが、イザナミが火の神カグツチを生む時に御陰を焼かれてしまい、死者の行く黄泉の国へと旅立ってしまった。

イザナギは もう一度イザナミと会いたいと思い、後を追って黄泉の国へと向かった。黄泉の国のイザナミの御殿に着くと、イザナギは「愛しき妻よ、まだ国作りは終わっていないから帰ってこい」と言った。すると、イザナミは「それは残念なことをしました。どうしてもっと早く来てくださらなかったのですか。私は黄泉の国の食物を食べてしまったので帰ることはできません。ですが、せっかく来て下さったのですから黄泉の国の神々に相談してみましょう。その間、決して私を見てはなりませんよと言い、御殿の奥へと入っていった。

そこで、イザナギは言われた通りに待っていたが、いくら待っても一向に返事がない。しびれを切らしたイザナギは、髪に挿していたクシの歯を一本折り、それに火を灯して明かりとし、御殿に入って周囲を見渡してみると、そこには変わり果てた姿になったイザナミがいた。その姿は体中にウジがうごめき、頭から体の端々まで雷が生じているというものだった。

これを見たイザナギが驚きのあまり逃げ出すと、イザナミは「私に恥をかかせましたね」と言って黄泉醜女(ヨモツシコメ)に追いかけさせた。そこで、イザナギは髪に付けていた黒蔓を取って投げつけると、落ちたところから山葡萄が生えてきた。これを黄泉醜女が食べ始めたので その間に逃げのびた。それでもまだ黄泉醜女が追ってくるので、今度は右の角髪に挿していたクシの歯を折って投げると、落ちたところからタケノコが生えてきた。これも黄泉醜女が食べ始めたので、その間に逃げ出した。

すると、今度はイザナミの身体に生じた雷神に1500人の黄泉軍(ヨモツイクサ)を副えて追わせたので、イザナギは十拳剣で振り払いならが逃げ続け、ようやく黄泉比良坂の坂本まで来たので、そこに生っていた桃の実を3つとって投げつけると、追手は皆逃げ去った。そこで、イザナギは桃の実に「お前が私を助けたように葦原中国の人々を助けてやってくれ」と言って、桃に意富加牟豆美命(オホカムヅミ)という神名を与えた。

最後にイザナミ自身が追ってきたので、黄泉比良坂の入口を千引の岩(千人がかりで動かすような大岩)で塞ぎ、悪霊どもが出入りできないようにした。そこで岩越しにイザナミが「あなたがこのような行いをされるので、私はあなたの国の人間を一日に1000人殺しましょう」と言った。これにイザナギは「そなたがそうするなら、私は一日に1500人の産屋を立てよう」と答えた。このため、一日に必ず1000人死に、必ず1500人生まれるのである。

『先代旧事本紀』


イザナギとイザナミは二人で協力して国土や森羅万象の神々を生んだ。だが、イザナミが火の神カグツチを生む時に御陰を焼かれてしまい、死者の行く黄泉の国へと旅立ってしまった。

イザナギは もう一度イザナミと会いたいと思い、後を追って黄泉の国へと向かった。黄泉の国のイザナミの御殿に着くと、イザナギは「愛しき妻よ、まだ国作りは終わっていないから帰ってこい」と言った。すると、イザナミは「それは残念なことをしました。どうしてもっと早く来てくださらなかったのですか。私は黄泉の国の食物を食べてしまったので帰ることはできません。ですが、せっかく来て下さったのですから黄泉の国の神々に相談してみましょう。その間、決して私を見てはなりませんよと言い、御殿の奥へと入っていった。

そこで、イザナギは言われた通りに待っていたが、いくら待っても一向に返事がない。しびれを切らしたイザナギは、髪に挿していたユツツマクシの歯を一本折り、それに火を灯して明かりとし、御殿に入って周囲を見渡してみると、そこには変わり果てた姿になったイザナミがいた。その姿は膨れ上がって体中にウジがうごめき、頭から体の端々まで雷が生じているというものだった。

これを見たイザナギが驚いて「なんと汚く穢れた国に来てしまったのだ」と言って逃げ出すと、イザナミは「約束を守らず私に恥をかかせましたね。私はあなたの本心を見ました」と言った。これにイザナギは自らを恥じて「縁を切ろう」と言うと、イザナミは黄泉醜女(ヨモツシコメ)に追いかけさせて引き留めようとした。

イザナギは剣を後手に振りつつ逃げ出し、髪に付けていた黒蔓を取って投げつけると、落ちたところから山葡萄が生えてきた。これを黄泉醜女が食べ始めたが、それでも黄泉醜女が追ってくるので、今度は右の角髪に挿していたクシの歯を折って投げると、落ちたところからタケノコが生えてきた。これも黄泉醜女が食べ始めたが、食べ終わるとまた追ってきた。

イザナギはヨモツシコメから逃げのびたが、今度は8柱の雷神が1500人の黄泉の兵を率いて追走してきたので、イザナギは十拳剣で振り払いならが逃げ続け、大樹に向かって放尿すると それが大きな川となった。イザナギは、ヨモツヒサメがその川を渡っている間に黄泉平坂まで辿り着き、そこに生っていた桃の実を3つとって投げつけると、追手は悉く逃げ去った。これが桃を使って鬼を防ぐ由縁である。

そこで、イザナギは桃の実に「お前が私を助けたように葦原中国の人々を助けてやってくれ」と言って、桃に意富迦牟都美命(オホカムツミ)という神名を与えた。

最後にイザナミ自身が泉都平坂まで追ってきたので、イザナギは杖を投げて「ここから先には雷の兵は来ることが出来ない」と言い、泉都平坂を千人引の岩(千人がかりで動かすような大岩)で塞いだ。すると、イザナミは岩越しに「あなたには負けません」と言ってツバを吐いた。このツバはヒハヤタマノオという神となった。それを掃き払ったときに生まれた神をヨモツコトサカノオという。

そこでイザナミは「愛しい我が夫よ、あなたが別れの誓いを立てるなら、私はあなたの国の民を一日に1000人ずつ締め殺しましょう」と言った。これにイザナギは「愛しい我が妻よ、そなたがそのようにいならば、私は一日に1500人ずつ産ませることにしよう」と答えた。このため、一日に必ず1000人死に、必ず1500人生まれるのである。

『秀真伝』


熊野で山火事が起こった時、イサナミは向かい火を放ってこれを止めようと、火の神であるカグツチを生み出した。その時にイサナミはカグツチの炎に焼かれて死んでしまったが、死の間際に埴神のハニヤスと水神のミツハメを生み出した。

イサナミは熊野の有馬に葬られ、ココリヒメは集まった親族に別れを告げた。葬儀の後、イサナミの遺骸を見ようとしたイサナギをココリヒメに止められたが、どうしても確かめたいと思って密かに遺骸を見に行った。そのとき、イサナギは遺骸の前で黄楊櫛の辺歯に火を灯し、これを明かりにして覗いてみると、遺骸には蛆が集っていたので、イサナギは「駄目だ、醜く穢れている」と言い残して早々に去った。

その夜、イサナギはカミユキ(幽体離脱あるいは夢)の状態となった。すると、目の前にイサナミが現れ「あなたは真実を受け入れずに私に恥をかかせました。私の恨みは8人のシコメに晴らさせましょう」と言ってシコメを放った。イサナギは剣を振りながら逃げつつ、途中で葡萄を投げつけた。すると、シコメは葡萄に夢中になって一旦 足を止めたが、食べ終わるとすぐに追いかけてきた。次に竹櫛を投げると これも噛み、終えるとすぐに追ってきたので、イサナギは桃の木に隠れて木に成っていた桃の実を投げつけた。するとシコメは去っていった。

この後、イサナギはシコメを追い払った桃にオフカンツミと名付けた。その後、イサナギは黄泉比良坂まで到り、そこでイサナミとコトタチ(宣誓)をした。その時、イサナミは「よかった、こうしてくれなければ世が乱れ、日々千人の堕落した臣を殺さねばならないところでした」と言うと、イサナギは「よかった、例え毎日千人の臣を失っても困らぬよう、私は毎日1500人の臣を育てていこう」と言った。こうして黄泉比良坂はカキリイワ(現世と黄泉の境界)となった。イサナギはこれをタマカエシノカミと称し、イサナミの死を悔やみながらモトツミヤ(肉体)に帰った。

日月神示(第07巻 日の出の巻第 15帖)


十柱の神様 奥山に祀りて呉れよ、九柱でよいぞ、何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合はして十柱となるのざぞ。御神体の石 集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祭りして呉れよ。病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな。

届くとは注(そそ)ぐ事ぞ、手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、殊に臍の息一番大切ざぞ、若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。

神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、此の事 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ。飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。十二月十八日、ひつ九か三。

犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)


天地が開けた神代の昔、イザナギとイザナミという夫婦神が現れた。その神々は夫婦で協力して日本の国土を造り、国を支配する神々を産み出したが、イザナミが火の神を産んだ時に火傷を負ってしまい、まもなく黄泉国という死者の国に旅立っていった。

とても悲しんだイザナギはイザナミの後を追って黄泉国を訪問し、イザナミの御殿を突き止めて「一目会いたい」と懇願すると、イザナミは「黄泉国の神々と相談してみますので、それまで絶対に中に入らないでください」と答えた。イザナギは最初は素直に待っていたものの、いくら待っても出てこないので、しびれを切らして御殿の中に入った。すると、そこに居たイザナミはとても醜い姿だったので、イザナギは恐怖して逃げ出してしまった。

これに怒ったイザナミは、ヨモツシコメという黄泉の鬼どもを集めてイザナギを捕まえるよう命じた。イザナギは十拳の剣を抜いて後手に振りつつ、鬼たちを追い払いながら黄泉比良坂(よもつひらさか)まで退いた。しかし、鬼達がまだ追ってくるので、そこに生えていた大きな桃の木から桃の実を取って鬼達めがけて投げつけた。すると、どういうわけか鬼達は頭を抱えて一目散に逃げ去ってしまった。

イザナギは、桃の実のおかげで危機を免れることができたので、大変喜んで桃の実に大神実命(おおかむづみのみこと)という神名を与えて「これから後の世の人々が、私のように苦しむことがあったら、お前が行って助けてやってくれ」と頼んだ。

それから時が経ち 人々の世になった頃、尾張国の木曽川の畔の「粟栖(くりす)」という村に仲の良いお爺さんとお婆さんが住んでいた。二人は情が深く正直者であったので村人からも慕われていたが、淋しいことに子宝には恵まれなかった。そのため、二人は子宝を願いながら日々を過ごし、今日もお爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に向かった。この川上には桃林があり、上流には「大桃(だいとう)」という所があった。

ある日のこと、いつものようにお婆さんが洗濯岩の上で洗濯していると、川から大きな桃が流れてきた。お婆さんは、お爺さんが帰ってきたら一緒に食べようと思い、桃を拾って洗濯物と一緒に持ち帰ることにした。お爺さんが帰ってくると、お婆さんはさっそく桃を取り出して切ろうとしたが、その時に桃の中から声が聞こえたと思うとひとりでに割れて、中から丸々と太った男児が出てきた。二人はとても驚いたが、この子はきっと神様が授けてくれたのだと思って手を取り合って大喜びした。その子は桃から生まれたので、桃太郎と名付けられて大切に育てられた。

桃太郎はすくすくと育ち、成長するにつれて力も強くなっていったので、そのうちお爺さんの仕事を手伝うようになった。ある日、お爺さんを手伝っていた桃太郎が山奥へ入って行くと、懐に子供を抱いた女達が肩を寄せ合ってしくしく泣いていた。そこで桃太郎が優しく理由を尋ねると、女達は「私たちは、この山向いの土田村(どたむら)の百姓です。可児川の中の鬼ヶ島に棲む鬼達が近くを荒らしまわって女子供をさらって行くので、こうして子供を連れて逃げて来たのです。どうかお助けください」と話した。ここは「乳母の懐」と呼ばれ、可児川には「鬼ヶ島」ある。

これを聞いた桃太郎は鬼退治を決意してお爺さんとお婆さんに話すと、二人は感心して土地の名物のきびだんごをたくさん作り、これを兵糧として桃太郎に持たせてやった。桃太郎はきびだんごを網袋に入れて腰にさげ、日本一と書いた小旗を立てながら、勇んで鬼ヶ島に旅立った。この後、お爺さんとお婆さんは桃太郎の無事を祈って洞窟に籠った。この桃太郎が進んだ道を「旗がひら」といい、二人が籠った洞窟を「断食の洞窟」という。

桃太郎の出発すると、日頃から仲良くしていた犬が着いてきたので、桃太郎は良いお供が出来たと喜んできびだんごを一つやった。この犬が棲んでいた所を「犬山」という。この先を少し行ったところで、今度は近くの崖から大きな猿が現われて仲間にしてくれと頼まれた。そこで、桃太郎は犬と仲良くするように言い付けながら、猿にもきびだんごをやった。この辺りには「猿洞」や「猿渡り」という所がある。この先は道が無いため、桃太郎の一行は木曽川の対岸に渡ろうと、船に乗り込んで綱を切って漕ぎ出すと、今度は山の天辺から一羽の雉が船に舞い降りてきた。桃太郎は雉にも きびだんごをやって仲間にした。この雉の棲んでいた山は「堆ケ棚(きじがたな)」という。こうして桃太郎一行を乗せた船は向う岸へと無事に辿り着いた。ここは「古渡し」と呼ばれ、ここから8kmほど先に鬼ヶ島がある。

岸からしばらく進むと急に犬が激しく吠えたので、周りに注意すると、川端の岩陰から4,5体の大きな鬼が飛び出して来た。ここは「敵がくれ」と呼ばれている。そこで桃太郎の一行は鬼どもと取っ組み合いの争いになった。この時、傍らの山から沢山の大猿・小猿が滑り降りてきて桃太郎に加勢し、付近の村人も助太刀に駆けつけた。この辺りには「猿すべり」や「助の山」などという場所がある。思いがけない伏兵に鬼達は散々な目に遭って、とうとう逃げて帰ってしまった。前哨戦に勝った一行は山の上に登って勝関(かちどき)をあげたので、その麓の村を「勝山村」といい、取っ組み合いをした場所を「取組村」という。

桃太郎一行は、沼や田を越えて木曽川を渡り、いよいよ敵の本陣である鬼ヶ島へ攻め進んだ。ここは古くは「深田」や「太田」と呼ばれていたが、今は町や村の名になっている。また、可児川の真中には「鬼ヶ島」がある。鬼ヶ島に入ると、まずは雉が上空から偵察することにした。しかし、鬼ヶ島は奇岩怪石が重なりあっている地形で、毒気の湧く井戸や落とし穴も仕掛けられていた。その上、雲をつくような大樹が密生していたので、上空からでは鬼が居場所が分からなかった。そのとき、見張りの鬼が桃太郎を見つけたので「桃太郎が川を今渡って、島へ攻め込んだぞ」と仲間に知らせた。そのため、ここは「今渡り」と呼ばれており、今は町になっている。

猛然と襲いかかってくる鬼達に桃太郎の一行は勇敢に立ち向かい、犬は鬼に投げつけるための石を集め、猿は木々を飛び移りながら鬼を見つけ次第に噛みつき、雉は上空から戦場を見渡して急降下して鬼を突いて攻撃した。この辺りには「犬石」「推ヶ峰」「猿噛城祉」などの珍らしい地名がいくつも残っている。桃太郎達の猛攻に流石の鬼達も降参して「もう決して悪いことはしません」と改心し、その印に宝物を全て差し出した。桃太郎一行は宝物を荷車に積み、めでたく帰路についた。途中の村々では、鬼を退治した桃太郎一行を大喜びで迎え、倉から酒を出して凱旋を祝ったという。この酒倉のあった所を「酒倉村」、祝った所を「坂祝村」という。

桃太郎一行が粟栖の対岸まで来ると、一旦この地に宝物を積んで、集った人々に鬼退治の報告をした。この地を「宝積地村」といい、後に「大勝山宝積寺」という寺も出来たが、この寺は今は坂祝村方面に移っている。こうして立派に目的を果たし、たくさんの宝物を土産に我が家へ帰った桃太郎は、連れ立った犬・猿・雉にも宝物を分け与え、その忠勤を労った。そして、犬は「犬帰り」という場所の岩門を潜って「犬山」へ、猿は「猿洞」へ、雉は「堆ヶ棚」へと帰って行った。

その後、村々には平和な日々が続き、桃太郎は お爺さんとお婆さんに孝養を尽くしながら暮らしていたが、やがて二人とも安らかに天寿を全うしたので、桃太郎は自分の役目を終えたかのように近くの山に登り、それっきり姿を隠してしまった。それ以来、村人は桃太郎の姿を二度と見る事が出来なくなったが、不思議なことに桃太郎が隠れた山がだんだん桃のような形に見えるようになった。これに村人たちは驚いて「桃太郎さんは桃の神様の生まれ変わりだったのだろう。きっと子供の姿でこの地に現れ、人々を苦しめる鬼達を退治してくださったのだ」と話し合って、その山を「桃山」と呼んで崇拝するようになった。そのため、この山の麓に小さな社を作って桃太郎を祀ったという。

それから数百年の時が流れ、桃山の麓の神様は子供の守り神として崇められるようになった。そして「子供の背丈の御幣を供えると、その子は桃太郎さんの様に丈夫に育つ」と言い伝えられ、村人をはじめ、遠方からも参拝者が来るようになった。その後、昭和に入ってから研究者によって古い言い伝えが次々と発見され、桃太郎の伝説も次第に世間に広まっていった。

それから次第に参拝者も多くなったので、社をもっと便利な土地に移そうと良い土地を探して相談していたところ、突然に桃山から一羽の雉が飛び立って1kmほど南の山へと降りていった。そこは昔から桃太郎の生家があった場所としてしられる「古屋敷」という場所だった。そこで、これは御神意によるものとしてこの場所に御宮を作り、昭和5年に遷座したのが今の桃太郎神社である。このとき、あたかもこれを迎える様にたくさんの猿が山から出て来て人々を驚かせたという。