管狐/クダ【クダギツネ/クダンギツネ】
珍奇ノート:管狐 ― 霊能者に使役される小さな狐の憑物 ―

管狐(くだぎつね)とは、日本に伝承される憑物のこと。

竹筒に入るほど小さいキツネのような獣であり、霊能者などに使役されるといわれている。


基本情報


概要


管狐は人に取り憑くといわれる憑物の一種で、家に憑いて怪異をなす妖獣として語られることもある。

昭和初期の『大百科事典』によれば、クダ・クダンギツネとも呼ばれ、中部・東海地方などに伝承されており、姿はイタチに似ており、毛色は黒や赤で、尾が太く大きくなる、あるいはネズミほどの大きさで群棲する。肉体を自在に隠したり現したり、人体に寄生して 口を借りて意志を述べたりすることができ、非常に強い繁殖力を持つ。

また、行者や巫女といった"狐使い"と呼ばれる霊能者によって使役されたり、特殊な家系の者に飼育されているが、統御する者が死ねば四方に散って勝手に繁殖する。管狐を使役する家系は縁組みなどで係類が広まると信じられていることから、婚姻を避ける風潮もある などと説明されている。

ただし、管狐に関する奇談は多く、その内容にも一貫性はない。よって、容姿や特徴については諸説ある。

管狐の容姿
・本草綱目:小黄犬に似て、鼻は尖り、尾は大きいが狸には似ていない
・甲子夜話:子犬のように小さく、鼻が尖っており、細い尾が上に向かっている(目が縦についたイタチのようだとも)
・想山著聞奇集:猫ほどの大きさで、体はカワウソに似ており、鼠色の毛色で、リスのような大きな尾を持つ
・静岡県の伝承:ネズミよりも少し大きく、ネコのような姿で、白・赤・黒の毛色を持つ
・長野県の伝承:2寸(6センチ)の竹筒に入って売られていたとされる

憑物としての管狐

管狐は狐憑きのような憑物で、『名言通』では「猫神・猿神・犬神などと同じようなもの」と説明されている。

憑かれると心身に支障をきたすとされ、具体的には 夜泣きや譫言が始まったり、発熱を伴う病気に罹ったり、生味噌以外の食物を受け付けなくなる などといわれている。

また、『甲子夜話』には 管狐は爪先から人体に入って毛に覆われた玉のようなものを埋め込み、これをアンテナのようにして精気を得るとされ、普段は寄生した者の近くにおり、玉を取り除くと倒れる といった話が記されている。

使役獣としての管狐

管狐は行者や巫女などの霊能者に使役される使役獣であるともいわれている。

『甲子夜話』では、修業を終えた山伏が授かる場合 雌雄一対の管狐を竹の筒に入れて授けられ、上手く操って人に憑かせれば、その者の隠し事や心中の意の探って報告させることができるようになるという。しかし、大変扱いにくく、良い食物を与えなければ言うことを聞かず、繁殖力が強い上に食べる量がとても多いので、餌代に困ることも多いと説明されている。

また、家で使役されている場合は主人の家に富をもたらすといわれ、具体的には物の売買の際に秤の分胴に取り憑いて加重を有利に操るとされる。しかし、その家から退散したり、取扱が粗末であったりすると、たちまち家運が衰えるという。なお、管狐を所有する家は「くだもち」「クダ屋」「クダ使い」「くだしょう」などと呼ばれて忌み嫌われているようだ。

また、伏見稲荷で3~10円ほどで売られており、安いものは役に立たないが、高いものは外から金を集めてくる。しかし、勝手に増えるため やがて餌代に困るようになるという話もある。

管狐と類似するもの

管狐は飯綱(いづな) あるいは 飯縄権現と呼ばれることもあり、東北・中部地方の霊能者や新潟県などの飯綱使いなどに使役され、予言や占いのほか呪詛の類に使われるのだという。

また、関東地方に伝わる狐の憑物であるオサキ(尾裂狐)も管狐と類似した性格を持ち、関東の一部以外に管狐の伝承がないのは そこがオサキの勢力圏であるからともいわれているらしい。

データ


種 別 日本妖怪
資 料 『想山著聞奇集』『甲子夜話』ほか
年 代 江戸時代頃?
備 考 狐憑きや犬神などと同類とされる

資料


文献





『名言通』



クダは、信濃国伊奈郡にいる。小さな狐で、竹筒に入れておくことから名付けられたのだろう。

大さき使(尾裂狐)は上野国南牧にいるが、これも管狐の一種である。また、備前・備後・出雲国などにも この種の狐がいる。猫神とか猿神また四国の犬神、九州の蛇も大体これと同じである。

これらはよくない事も行うため、憑いた者に近づいてはならない。



『秉穂録』



遠州にて、管狐が人に憑くことがある。

憑かれた者は必ず生味噌を食べ、他の物を食べなくなる。



『想山著聞奇集』


珍奇ノート:管狐 ― 霊能者に使役される小さな狐の憑物 ―

信州伊奈郡松島宿の北村と原村の間に5,6軒ばかりの家がある。ここには26,7歳になる百勝の娘がおり、享和年間(1801~1804年)の事だったと思うが、夜 床に就いた後にヒイヒイという大声を出して泣くので、家人は困って県道玄に治療を頼むことにした。なお、その頃の道玄は若く、近隣の松島というところに住んでいた。

道玄が治療に訪れると、そこはとても大きな家だったが、ひどく落ちぶれた樣子で、20畳ばかりの座敷はあったが、人が来てもすぐに立ち去りたくなるほど荒れ果てており、妖怪の棲家とでもいうべき古家であった。

夜になって「便所はどこか?」と家の子供に尋ねてみると「古座敷の向こうにある」と教えられたので、灯火を持って便所に近づくと、突然 頭がヒヤリとした冷たいものがかかった。拭ってみたが特に別状はない。ところが、また同じようにヒヤリとしたものがかかった。

用を足した帰り道、またヒヤリとしたものがかかったが、そもそも道玄はこんなことで狼狽えることのない豪傑だったので、そのまま座し、家人に先程のことを尋ねると「あれは祖父の代に使われていたもので、親の代から一切使ったことがないので、妖物でもいるかもしれない」と言われた。

その夜は女も泣かなかったので、また明晩に来るという約束をして帰ったが、道玄は怪しく思い、翌日の暮に家を訪れて左手に灯火、右手に薄紙を黒く塗ったものを刀身に貼り付けた脇差を持って便所に向かった。そこで、刃を隠すようにそっと抜き、見えないように隠し持って、ヒヤリとした瞬間に突き上げると、何かに刺さる確かな手応えがあり、血を流した怪物が逃げ去る様子が見えた。

勝手に帰ってよく見ると、額から肩にかけて大量に血が掛かっていたが、便所の周りには血は残っておらず、道玄もそのまま放っておくことにした。また、その日に女は泣かなかった。

翌朝、ゆっくり起きて朝食を摂っていると、便所の方の隣家で凄まじい人の声が聞こえたので、何事か尋ねてみると、妙な獣が深手を負って死んでいるとのことだった。そこで、現場に向かうと脇腹を裂かれた怪物が横たわっており、その大きさは大猫ほど、顔はまさに猫のようで、身体はカワウソに似て、毛色は全体が鼠色で、尾は甚だ大きく、リスのようであった。

この獣を知るものは居なかったが、信州の方言で「クダ」という妖獣であると言う人々もいる。この妖獣は人に姿を一切見せず、代々にわたって家に憑き、憑かれた家は「クダ憑きの家」と呼ばれる。そのため、この家筋の者は婚姻などで嫌われるという。また、管狐と同じものかと尋ねると「クダ」というばかりではっきりしなかった。尾が太かったので狐の一種ではなかろうか。

三州、遠州などでいう管狐は、筬の中に入るほど小さいので この名で呼ばれており、その姿はネズミほどのキツネで三州に知っているものがいるが、種類はいくらでもあると思うので、管に入るものもいるかもしれない。しかし、管狐とは全く異なるものなのかもしれない。いずれにせよ、妖獣は高遠の城下から見物客が来るほど珍しいものだった。

また、女が夜に泣くという症状は、妖獣を退治してからは止んだので、妖獣の仕業だったのだろう。このことは県道玄から直接聞いた話で、あまりに珍しいことだったので、同氏の その姿形を描いてもらい、後日の証とした。なお、道玄は万芸に長け、武芸にも優れた人物である。



『甲子夜話』


珍奇ノート:管狐 ― 霊能者に使役される小さな狐の憑物 ―

くだ狐の事

狐の一種に「管狐」というものがあると聞いた。この狐は いたって小さくイタチのようであるという。私(松浦静山)は、長年、この狐を見てみたいものだと思っていた。

小野蘭山の『本草綱目啓蒙』は この狐について取り上げてはいない。また、『本草網目』の注釈には「形は小黄犬に似て、鼻は尖り、尾は大きいが狸には似ていない」と書いてある。なお、この記述は「イタチのようである」という管狐の特徴とは合致しない。小黄犬がどんなものかは知らないが、どうも管狐では無いようである。

近頃、浅草御蔵前の道端で動物の見世物をやっている。その動物は狐に似ており、体は小さく、小犬のようである。鼻も尖っているが、尾が大きいわけではなく、細くて、上に向かっている。普通の狐なら、尻尾は下に向いて垂れているはずである。

私は「これぞ管狐に違いない」と思い、浅草に人をやって この狐の絵を描かせた。ところが、月日を経ると この狐はどんどん大きくなってしまった。そこで、見世物をやっていた男に聞くと「この狐は親のないのを育てた」と言った。結局、この見世物の狐は、管狐ではなかったのである。

さて、朝川善庵は狐のことに詳しく、彼が色々と教えてくれたことには、管狐は ある霊山において、学を修めた山伏へと授けられるものであるという。その場所は、金峯山か、大峰山か、山伏の官位を出すところのはずである。

また、この狐は遠江や三河のあたり、北の山中に多く棲んでいるという。ただし、山伏が授かるのは金峯山と大峰山に限り、山伏の中でもたびたび峯に入って、行法に達した人でなければ滅多に授けられることはない。そして、狐を竹の筒に入れて、梵字などを記し、何らかの修法を施してから与えるという。

また、山伏が念を保ったままにしてこれを置いておくと、狐が餌をとることはないようだ。山伏が竹筒から狐を出して食を与えれば、狐は人の隠し事を暴き、心の中のことも悉く悟って告げるという。そのため、狐は祈祷の験を顕す拠所とされる。

人に取り憑かせるも随意にできるが、これは邪道で用いる術とされる。また管狐を一度筒から出すと、戻すことは並の山伏にはできない。狐を思い通りに使うのは大変難しく、食べ物なども良いものを与えなければ用をなさず、食べる量はとても多いという。

管狐は、大体雌雄一対を筒に入れて授けられ、外に出して使うと子がどんどん増えていくので、餌代に困るようになる。よって、利のために邪法を使ってばかりいると、遂には山伏が身を滅ぼすことになるのである。狐を使う山伏に狐はよく懐き、泥土にまみれて帰ってくると、狐は山伏の寝床に入ってくる。汚れや臭いもすごいが、これを我慢しなければ狐は働くなってしまう 。

また、一度授かった狐は捨てることができず、生涯付き従うという。もし、人から熱心に頼まれて譲ったとしても、養い方が狐の意に沿わなければ、再び主人のもとに帰っていくという。

また、主人が死ねば、その狐は主なしとなって王子村(東京都北区王子)の辺りに棲みつき、狐は人に憑いて人の力によって事を為すので、憑いた人が死ねば、狐の力のみで人に憑くことはできない。そのため、王子あたりに棲み着いているのである。

さて、善庵は弟子である伊藤尚貞という飯田町の町医者より、管狐について詳しく聞いたそうである。そこで尚貞は、管狐についてこのように語ったという。

「例の管狐が憑いた患者をたびたび治療しました。狐は、はじめ手足の爪の端から入り込み、そこから皮膚の間に留まるのです。治療には、まず手足の指のあたりをきつく縛って、それから体中の潜っている場所を追っていきます。そして、刺しても害のないところに追い詰めるのです。

潜っているところは、必ず瘤のように隆起しているのですぐにわかります。そこを切り開くと、肌の中から毛の小さい丸いものが現れます、これこそが狐の精気というものなのでしょう。それから、家の中を探索すると必ず狐の死体が見つかるはずです、多くは天井などの上に倒れています」

善庵は、尚貞がその狐の皮を剥ぎ取って、二枚ほど溜め置いているのを見たという。その皮の大きさから推察すると、その体はイタチよりやや大きいようである。色は黒くてイタチのようで、目が縦についているので上から下まで一見することができる。

また、管狐の人に憑くものは、前のように肌の内に瘤の如く現れるようだ。野狐にこのようなことはなく、これが見分け方なのだという。



『大百科事典』



管狐、民間信仰の対象をなす一種の想像上の動物で、クダともクダンギツネともいう。

主に中部日本、殊に遠江、三河、信濃、美濃地方で存在が信じられており、関東の一部ではオサキ狐というものと対比される地位にある。狐の一種で形は遥かに小さく、イタチに似て毛は黒や赤といわれ、尾は太く大きくなるとも、あるいはネズミほどの大きさで群棲するともいわれる。

また、紡織に用いるような管のように小さいとも伝えられるが、その形容には諸説ある。いわゆる狐より小さいという以外は、その形態、毛色なども、見たものによって語るところが異なり、たまたま捕獲したものもコエゾイタチ、ヤマイタチ、ヤマネなどの小動物を仮称していたようである。

管狐の特色は、形態よりも霊能を信じる人の観念にあり、肉体の隠顕は自在で、人体に取り憑いて口を借りて意志を述べ、あるいは病身の者に取り憑いて食を求め、繁殖力は著しい。これを統御する者は狐使いなどと称される ある種の行者か巫女の類で、もしくは特殊な家筋の者に飼育されているが、その者が死ねば、四散するともいわれ、故意に絶滅させることは不可能である。霊人によって威圧するか、時に人糞を食わせれば死滅するともいう。

その家人、または主人の意志によって行動し、縁組等によって系類を広めると信じられ、一般人は婚姻等を避ける風潮もある。しかし、その家筋を標証する根拠はなく、これを認定するのは伝統を支持する者たちの意志であり、決定の基準は特別な伝承のある場合を除いては、多く その家の富の昂進と関連付けるようである。

急激に資産を増加した場合などには、第一に疑いの眼をかけられ、家運が衰えれば退散したとか、取扱が粗末であったなどといわれる。管狐が主のために富を作る方法としては、物を売る時は品物に乗って加重をかけ、買う場合は秤の分胴に取りすがるなどというもので、オサキ狐の場合と共通している。


民間伝承




静岡県両河内村の伝承



管狐は白・赤・黒の毛色で、鼠より少し大きい位で、猫のような形をしている。

稲荷を信心する人は、伏見稲荷からわけてもらう。10円くらいのものがよく、外から金でもなんでも持ってくる。3,4円くらいのものは増えるだけで何も持ってこない。

増えると餌をやりきれなくなり、近所から勝手に取ってくる。それで管狐を飼っている家との縁組は嫌う。



長野県上伊那郡の伝承 其の一



ある女子がクダに憑かれたので、学校の先生が見舞いに行った。

そこで、クダは「面白いことをやって見せよう」と言い、柱をかき上がって天井の柱を敏速に歩いて見せたという。

長野県上伊那郡の伝承 其の二



ある男が旅先で2寸ばかりの密封された筒を3円で買った。

その筒にはクダが憑いていたので怖くなって捨てると、その男は旅から帰って間もなく死んでしまったという。

長野県上伊那郡の伝承 其の三



ある老婆が清水で洗濯していると、通りかかった2人の女が小さな紙を落としていった。

帰宅した老婆はクダが憑いたような病気になったので、ムスビをやるとクダは離れていったという。

長野県下伊那郡の伝承 其の一



クダはネズミに似た動物である。

大正5年(1916年)頃に熱病が流行ったとき、病人が「大鹿からきたクダのせいだ」という うわごとを言うので、飯田から行者を呼んで封じてもらい、水神の社に祀った。

なお、秋の大祭には、藁のツツッコ(茅巻のようなもの)に赤飯を入れて供える。

長野県下伊那郡の伝承 其の二



行者がクダを離すときは、箱の中にクダを集めて天竜川まで背負っていき、入水しながら箱を流す。

そのときに、行者は水を潜って出てくるという方法をとるという。


備考


フィクション


・漫画『地獄先生ぬ~べ~』では、イタコ見習いの葉月いずなに使役されている
・ゲーム「真・女神転生 STRANGE JOURNEY」では、珍獣クダとして登場している