田村利光【タムラノトシミツ】
珍奇ノート:田村利光 ― 坂上田村麿の伝説上の父 ―

田村利光(たむらのとしみつ)とは、『田村三代記』に登場する伝説上の人物のこと。

隕石から生まれた父と大蛇の化身の母を持ち、都の将軍として活躍してとされている。

また、伝説における坂上田村麿の父となっている。


基本情報


概要


田村利光は奥浄瑠璃『田村三代記』に登場する伝説上の人物で、伝説における坂上田村麿の父に当たる。利光は御伽草子『田村の草子(鈴鹿の草子)』における藤原俊仁の立ち位置に当たるが、物語の展開がやや異なる。

『田村三代記』によれば、利光は "隕石の破片から生まれた田村利春" と "繁井ヶ池の大蛇の化身である母" の間に出来た御子で、母の胎内に3年3ヶ月留まってから産まれて大蛇丸と名付けられた。大蛇丸は10歳で今瀬ヶ淵の大蛇を討伐したことで中納言に任じられて利光という名を賜る。

その後、奥州の蝦夷の反乱を鎮圧し、そこで見初めた悪玉という賤女に一夜の契りを籠めて都に帰った。後に悪玉は奥州で御子を出産して千熊丸と名付ける。成長した千熊丸は父を訪ねて上洛し、そこで利光に奉公することになった。

利光は千熊丸の類稀なる才能を恐れて謀殺しようとするが、やがて千熊丸が自分の御子だと知ることになる。この後、利光が千熊丸を連れて参内すると、千熊丸には坂上田村麿利仁という名が与えられ、利光は悪玉を都で正妻に迎えたとされる。

なお、利光は素早丸(そはやまる)という剣を愛用し、漣(さざなみ)という名の愛馬を駆ったとされる。

藤原俊仁との違い



『田村三代記』の田村利光と、御伽草子の藤原俊仁の説話は似ているが、具体的には以下の点が異なる。

・父の出生について:利光は星から生まれた子が父で、俊仁は将軍が父
・母の大蛇について:利光は討伐しているが、俊仁は討伐していない(俊仁は伯父の大蛇を討伐した)
・奥州に向かう過程:利光は蝦夷鎮圧で向かい、俊仁は悪路王退治で向かった
・妻の賤女について:利光は水仕の悪玉が正妻、俊仁は名無しの賤女に契りを籠めたが正妻は別にいる
・唐土侵攻について:利光は唐土侵攻していないが、俊仁は唐土侵攻の際に横死した
・田村麿の名の違い:利光の御子の名は利仁だが、俊宗の御子の名は俊宗

データ


種 別 伝説の人物
資 料 『田村三代記』
年 代 平安時代
備 考 『田村の草子』における藤原俊仁に当たる

『田村三代記』による利光伝説のあらすじ


大蛇丸の誕生
隕石の破片から生まれた田村利春が、繁井ヶ池の大蛇の化身である母と結ばれて御子を儲けた。御子は母の胎内に3年3ヶ月留まってから産まれ、大蛇丸と名付けられた。この後、母は利春に正体を見られたということで古巣の池に帰っていった。大蛇丸は利春に養育されたが、母が残した神通の鏑矢を乳房代わりにしたという。

大蛇丸の大蛇退治
大蛇丸が10歳の時、大和国と山城国の境にある今瀬ヶ淵に棲む悪龍が人々に害をなしたので、幼くして武勇に優れた大蛇丸に悪龍退治の宣旨が下った。そこで、大蛇丸は母の形見の「神通の鏑矢」と帝から賜った「素早丸(剣)」を携え、100騎ばかりの軍勢を率いて今瀬ヶ淵に向かった。

今瀬ヶ淵で悪龍と対峙すると、兵たちは恐れ慄いたが、大蛇丸は動じずに神通の鏑矢を射放って悪龍を討ち取った。この後、都に帰って帝に悪龍退治を報告すると中納言に任じられ、大蛇丸は二条中納言利光と名を改めた。その後、利光の前に紫雲が現れて、悪龍の正体は母の大蛇であり、大蛇丸に武功を立てさせるために敢えて討たれたという事を伝えたという。

利光の蝦夷征討
嵯峨天皇の御代、奥州で蝦夷が反乱を起こしたので利光に蝦夷征討の宣旨が下された。そこで利光が1000騎の軍勢を率いて奥州に向かうと、奥州の諸大名は「利光将軍は大蛇から生まれたと聞くので疎かにするわけにはいかない」として利光に従い、蝦夷も利光の威光を恐れて直ちに降伏した。

こうして反乱を鎮圧した利光は、奥州の獣の毛皮を都への土産物にしようと、大規模な巻狩を催した。そこで七ツ森という森で狩りを始めると、その森に棲む異形の獣によって多くの犠牲を出したが、巨大な荒熊を仕留めることができたので この毛皮を都への土産物とした。

千熊丸の誕生
利光は奥州で悪玉という賤女を見初めて一夜の契りを籠めた。そこで、利光は悪玉に神通の鏑矢を渡して「御子ができたならば鏑矢を印に都を訪ねよ」と言って都に帰っていった。その後、悪玉は懐妊したが、3年経っても生まれてこなかったので、悪玉を抱えている九門屋という長者は、腹の子は化生の者だろうと恐れて悪玉を山に追放してしまった。

悪玉は山を彷徨ったが、これを見かねた柴刈の人たちに産屋を建ててもらい、そこで男児を出産した。この男児は美しかったため、九門屋夫婦に引き取られて、千熊丸と名付けられて養育された。

千熊丸の上洛
その後、千熊丸は自分の父が都の将軍であることを知り、父に逢おうと上洛して利光に奉公を申し出た。そこで利光は千熊丸の力試しをしようと、人を乗せた巨大な碁盤を持ち上げるように命じた。すると千熊丸は軽々と持ち上げて投げ飛ばしたため、千熊丸は利光に仕えることになった。それからというもの、千熊丸が人並み外れた才能を見せるようになったので利光は謀反を恐れるようになり、やがて千熊丸を謀殺しようと考えた。

そこで、利光は千熊丸に丹波の人喰い馬を乗りこなせという難題を突きつけたが、千熊丸はこれを手懐けて乗りこなしてしまったので、利光は益々生かしておけないと思い、自ら弓を取って障子の向こうで朝飯を食べている千熊丸に矢を射放ったが、千熊丸は少しも騒がずに箸で受け取ったので、利光は遂に降参して千熊丸に素性を尋ねることにした。すると、千熊丸は形見の鏑矢を取り出して「悪玉より生まれ出た千熊と申します」と名乗った。

これを聞いた利光は千熊丸を伴って参内すると、帝から坂上田村麿利仁という名が与えられた。また、利光には悪玉を正妻とすべしとの宣旨が下り、悪玉は都に呼ばれて四位の女官となり、やがて田村御前と称されるようになった。悪玉が上洛すると、村人たちは悪玉を染殿大明神として崇めるようになったという。

関連資料