天邪鬼 ― ひねくれ者の鬼 ―
天邪鬼(あまのじゃく)とは、ひねくれ者の鬼のこと。
人を害する悪鬼とされることが多いが、巨人など鬼以外を指すこともある。
基本情報
概要
天邪鬼は日本各地に伝わる妖怪で、人の心中を察したり、口真似・物真似をして人をからかったりするという。
その性格は、人の意に逆らうようなことをする ひねくれ者や、人の手伝いをしていても すぐに投げ出してしまうような怠け者、勝負をしてもズルをするような卑怯者とされていることが多い。転じて、そのような性格の人をアマノジャクと呼ぶこともある。
この天邪鬼の説話には様々なものがあり、昔話の「瓜子姫」のような童話に登場することもあるが、地方によっては妖怪ではなく、巨人だったり、昆虫の呼称だったりすることもある。また、人を害する説話が多いが、人の助けになることをする説話もいくつかある。
・アマンジャク
・アマンジャコ
・アマノザク
・アマノザコ
・アマンジャクメ
・アマノサグメ
・アマンジャコ
・アマノザク
・アマノザコ
・アマンジャクメ
・アマノサグメ
・あまんじゃこの腰掛石(兵庫県多可郡多可町中区曽我井)
・あまんじゃくの石柱:あまんじゃくが作ろうとした橋の名残(兵庫県多可郡多可町 笠形山登山道)
・小滝:天邪鬼が流れ星を取ろうとして積み上げた岩が崩れた振動でできた滝(岡山県津山市八社)
・天邪鬼の重ね岩:天邪鬼が流れ星を取ろうとして積み上げた岩(岡山県久米郡美咲町両山寺)
・阿太賀都健御熊命神社:祭神の架橋造りを天邪鬼が邪魔したと伝わる(鳥取県鳥取市大字御熊612)
・あまんじゃくの石柱:あまんじゃくが作ろうとした橋の名残(兵庫県多可郡多可町 笠形山登山道)
・小滝:天邪鬼が流れ星を取ろうとして積み上げた岩が崩れた振動でできた滝(岡山県津山市八社)
・天邪鬼の重ね岩:天邪鬼が流れ星を取ろうとして積み上げた岩(岡山県久米郡美咲町両山寺)
・阿太賀都健御熊命神社:祭神の架橋造りを天邪鬼が邪魔したと伝わる(鳥取県鳥取市大字御熊612)
データ
種 別 | 日本妖怪、鬼、巨人 |
---|---|
資 料 | 日本各地の民話、昔話 |
年 代 | 不明 |
備 考 | 由来・説話・呼称・対象には諸説ある |
天邪鬼の説話
天邪鬼を鬼とする説話には昔話や地方の伝説などがあり、物真似や声真似などをして人や神を騙すといった内容のものが多い。これによって橋などの建築物が未完成に終わったという伝説がいくつもある。
昔話の「瓜子姫」に登場する天邪鬼は、大きな瓜から生まれて老夫婦に大切に育てられていた瓜子姫を、天邪鬼が言葉巧みに騙して瓜子姫に成り代わったが、最終的には正体がバレて殺されるという内容になっている。
岐阜県に伝わる伝承では、天人と天邪鬼が双六で勝負をしていた時に天邪鬼が不正をしたので、天人が盤を蹴り飛ばしたとされ、これが双六という地名の由来になっている。
また、この双六に弘法大師が来た時に人を害する天邪鬼の噂を聞き、弘法大師は天邪鬼に「もし、私が一晩で御堂を建てることができたなら、もう人々に悪戯をするな」と賭けを申し出たところ、天邪鬼がこれを受けたので、弘法大師は猛烈な勢いで御堂を築いていった。すると、天邪鬼は焦って鶏の鳴き真似をして夜明けが来たと騙そうとしたが、それを見抜いた弘法大師は怒って材木を石に変えてしまったという。
このように「一夜で何かを築こうとする時に天邪鬼が一番鶏の鳴き真似をして邪魔をする」という説話がいくつかあり、こうした説話は 秋田県の武帝の伝説、山形県の猿倉山の伝説、新潟県の羅石明神の伝説、和歌山県の橋杭岩の伝説、鳥取県の健御熊命の伝説、鹿児島県の枇榔島の伝説 などに見られる。また、天邪鬼自身が私欲のために一夜で建築物を建てようとしたが、夜明けが来たために途中で投げ出したという説話もある。
天邪鬼を巨人とする伝説は、神奈川県や兵庫県に伝えられている。
神奈川県では、大昔に箱根山にアマノジャクという者が降りて来たとされる。このアマノジャクは怪力の持ち主だったが大変へそ曲がりな性格で、箱根山をとても気に入っていたので、麓の人々が富士山に見惚れているのが許せなかったという。そこで、富士山の頂上を低くしてやろうと富士山の頂上に行き、そこから岩をぶん投げた。それが海に浮かんで伊豆七島となり、投げそこなった岩が初島になったとされる。また、このアマノジャクは夜でなければ力が出せず、夜明けを迎えた時に落としてしまった岩が箱根の二子山になったとされている。
兵庫県では、大昔に播磨国にアマンジャコという者が居たとされる。このアマンジャコは背が高すぎて頭が天に支えてしまうため、天が高い土地を探していたところ、今の多可町に到ったという。その地は天が高く、両手を上げて背伸びすることができたので、アマンジャコは喜んで「ここは高いぞ」といったのでタカという地名が起こったとされている。これは『播磨国風土記』に登場する大人という巨人の説話にも記されている。その後、アマンジャコは笠形山に住み、人々を驚かせようと妙見山と笠形山に橋を架けようとしたが、土台は出来たものの、それを繋ぐ丸太が見つからなかったので、途中で投げ出してしまった。それが今も笠形山に残る石柱だといわれている。また、人々が雨乞いを願っていた時に、山から村まで大岩を引いて来ると、その溝が川になって人々を助けたという伝説もある。
上記の他に以下のようなものがある。
・岩手県九戸郡:サナギのことをアマノジャクと呼ぶ
・秋田県仙北郡角館:チャタテムシのことをアマノジャクと呼ぶ
・栃木県芳賀郡、富山県西礪波郡、岐阜県加茂郡:山姥のことをアマノジャクと呼ぶ
・秋田県平鹿郡、茨城県稲敷郡、群馬県邑楽郡、静岡県田方郡:木霊や山彦をアマノジャクと呼ぶ
天邪鬼の由来の諸説
日本神話には以下のような説話がある。
高天原の天津神は地上を平定するためにアメノワカヒコという神を遣わせたが、この神は天津神の命令に背いてオオクニヌシの娘を娶り、後々は出雲を我が物にしようと企んで8年経っても報告しなかった。
天津神はアメノワカヒコに使命を果たさない理由を問おうと雉を遣わせると、雉は地上に降りて天津神の伝言を告げた。そこでアメノサグメという女神が、アメノワカヒコに「この鳥の鳴き声はとても不吉です。弓で射殺してしまいましょう」と進言したので、アメノワカヒコは雉に矢を放って射殺してしまった。
天津神はアメノワカヒコに使命を果たさない理由を問おうと雉を遣わせると、雉は地上に降りて天津神の伝言を告げた。そこでアメノサグメという女神が、アメノワカヒコに「この鳥の鳴き声はとても不吉です。弓で射殺してしまいましょう」と進言したので、アメノワカヒコは雉に矢を放って射殺してしまった。
一説によれば、この説話に登場するアメノサグメが日本古来の天邪鬼の由来であるとされている。その理由は、アメノサグメ(天探女)が名前から 天の動き や 他人の心 に探りを入れる者と解釈されて、それが同様の特徴を持つ天邪鬼に変わっていったといわれている(が、日本神話のアメノサグメの登場箇所は非常に少ない)。
『先代旧事本紀 大成経』には以下のような説話がある。
ソサノヲが高天原で悪事を働いていた時に、胸や腹に満ちた猛き氣の余りを吐き出すと、そこから天狗神が生まれた。それは霊威の強い女神であり、身体は人のようであるが、頭は獣のようであり、鼻と耳が長く、獣のような牙を持っていた。
荒々しく常に怒っており、誰にも従おうとせず、相手が大きな力を持つ神であっても鼻で掴んで千里の先に投げ飛ばした。また、強堅な刀や戈で攻められても、それに噛み付いて牙でズタズタに壊してしまった。ひねくれた性格で、心が左と思っても それに逆らって右と言い、また前を後ろと言うなど常に逆のことを言うので、アメノサコヒメ(天逆毎姫)と名付けられたが、自ら天逆毎姫尊と名乗って尊称で呼ばせた。
荒々しく常に怒っており、誰にも従おうとせず、相手が大きな力を持つ神であっても鼻で掴んで千里の先に投げ飛ばした。また、強堅な刀や戈で攻められても、それに噛み付いて牙でズタズタに壊してしまった。ひねくれた性格で、心が左と思っても それに逆らって右と言い、また前を後ろと言うなど常に逆のことを言うので、アメノサコヒメ(天逆毎姫)と名付けられたが、自ら天逆毎姫尊と名乗って尊称で呼ばせた。
この説話では、アメノサコヒメが世間の天魔障神(障りのある神々)の基であるとされていることから、天邪鬼もこの神に由来するといわれている。
仏教における「あまのじゃく」は人間の煩悩の象徴とされており、「海若」や「耐董」と表記される。また「天邪古(あまのざこ)」と呼ばれることもある。
その由来は、四天王の一である毘沙門天の鎧の腹部にある鬼面が、中国の河伯(かはく)という水鬼に由来しており、同じく中国の水鬼である海若(かいじゃく)が「あまのじゃく」と訓読されるので、これが日本の天邪鬼と習合されて「海若(あまのじゃく)」と呼ばれるようになり、後に四天王が足下に踏みつけている悪鬼も「耐董(あまのじゃく)」と呼ばれるようになったといわれている。
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