珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

日本には「豊作・飢饉・疫病などの予言を語り、自らの絵図を飾ると厄災を免れると言い残して去った」という予言獣が多数存在する。現在では世界中で新型コロナウイルスが流行しているということで、これらの予言獣について特集してみようと思う。



尼彦


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

尼彦(あまびこ)は、江戸時代に肥後国(現・熊本県)に現れた予言獣で「我は海中に住む尼彦と申す者である。この先 6年間は豊作になるが、諸国に疫病が流行るかもしれないので、自分の姿を絵にして貼っておけば病難を逃れられるだろう」と言い残して去っていったという。



尼彦入道


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

尼彦入道(あまびこにゅうどう)は、江戸時代に日向国(現・宮崎県)に現れた予言獣で「これより6ヶ年は豊作が続くが、悪病も蔓延する。我が姿を写した絵を貼って朝夕 目にしておけば病難を免れるだろう」と言い残して去っていったという。

亀女


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

亀女(かめおんな)は江戸時代の寛文9年(1669年)に越後国(現・新潟県)に現れた予言獣で「私は亀女である。今年は豊作になるが、疫病が流行るので、我が姿を絵図に写して貼り置き、朝夕拝めば病難を避けられるだろう」と言い残して去っていったという。



神社姫


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

神社姫(じんじゃひめ)は、江戸中期に肥前国(現・熊本県)の浜辺に現れた予言獣で「我は竜宮の使者としてやって来た神社姫と申す者である。この先 7年間は豊作になるが、コレラという疫病が流行する。そこで自分の姿を写した絵を見れば、病難を免れ、さらに長寿になるだろう」と言い残して去っていったという。



予言する人魚(江戸時代の瓦版)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

江戸時代の瓦版によれば、奥州(現・宮城県)の海辺にある竹駒大明神(現・竹駒神社)の神主の娘が行方不明になり、7年後にその日を娘の命日に定めて施餓鬼供養を行っていたところ、娘が海上に現れて「私は7年前に入水した後に大海神(オオワダツミ)に仕えることになり、海神の守護神になりました。今年は三コロリ(コレラ)という怪しい病が流行り、罹れば まず助からないでしょう。そこで、私の姿をよく見て描き写し、その絵を広めなさい。一度でも見れば病難を免れて無病息災になるでしょう」と言い残して去っていったという。

姫魚(以文会随筆)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

姫魚(ひめうお)は、江戸時代の文政元年(1818年)4月、肥前国(現・佐賀~長崎県)の平戸に現れた予言獣で「私は龍神の使いとして来た姫魚という者である。これより7ヶ年は豊作になるが、コロリという病が流行って大勢の人が死ぬ。そこで我が姿を写した絵を家門に貼っておけば病難を免れるだろう」と言い残して去っていったという。

姫魚(江戸時代の資料)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

姫魚(ひめうお)は、江戸時代の文政2年(1819年)4月15日に肥前国(現・佐賀~長崎県)の平戸に現れた予言獣で「私は竜宮の使いとして来た姫魚という者である。これより7ヶ年は豊作になる、その印に北斗星の傍に箒星が流れるだろう。だが、コロリという病で多くの人が死ぬ。そこで我が姿を写した絵を見せれば病難を免れるだろう」と言い残して去っていったという。


悪病除の人獣(『虚實無盡叢』)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

悪病除の人獣は、江戸時代の文政10年(1827年)に越中国(富山県)の立山に薬種を堀りにきた者の前に現れて「今年から4~5年の間に名も知れぬ悪病が流行り、老若ともに多くの死人が出るだろう。だが、この図を書いて常に見ればその病を避られるので、決して騒がぬように」と言い残して去っていったという。

クタベ(『かわら版』など)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

クタベ(クダベ)は、江戸時代の文政10年(1827年)に越中国(富山県)の立山の薬草園に現れ、自らクタベと名乗って「これから数年の間 名もなき病が流行して多くの死人が出るだろう。だが、自分の姿を写した肖像を一度でも見れば、その者は病難を逃れるだろう」と言い残して去っていったという。

スカ屁(『かわら版』)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

スカ屁は、江戸末期に越中国(富山県)のかき山のいまき谷にある尻が洞の割目から現れて、そこに居たこやし取りに「今年より4,5年の間に名もなきオナラ病が流行し、それは芋屁を止める薬も効かず "手に汗握り屁"となるだろう」と言ったという(これは流石にクタベのパロディだと思われる)。


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

件(くだん)は江戸時代よりたびたび各地に現れる予言獣だが、天保7年(1836年)の瓦版には「天保7年12月、丹波国の倉橋山の山中に、図のように身体は牛、顔は人に似た件(くだん)という獣が現れた。昔、宝永2年12月にも件が現れ、その翌年から豊作が立て続けに起こったということが古書に見える。もっとも件という文字は人偏に牛と書いて"くだん"と読む。なお、心の正直な獣であることから証文の終りにも如件(くだんのごとし)と書く由縁となっている。この絵図を貼り置けば、家内繁盛して厄病を受けず、一切の災いを免れて、大豊年となる 誠にめでたい獣である。」と記されている。



豊年亀


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

豊年亀(ほうねんがめ)は、江戸時代に紀州(現・和歌山県)で捕えられた怪物で、当時の図画には「天保10年(1839年)7月14日、紀州熊野浦(現・和歌山県新宮市~三重県熊野市の海辺)で生け捕られた"ほうねん亀"という怪物で、悪魔除けの御守りになる。胴回りは一丈八尺(約5.5メートル)、体長は四尺五寸(1.71メートル)であった」と記されている。



海彦


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

海彦(あまびこ)は、江戸時代の天保15年(1844年)に越後国(現・新潟県)に現れた予言獣で「年中に国の人口の7割が死滅するが、自らの姿を絵札にして持っておけば これを免れる」と言い残して去っていったという。

肥後国天草の予言獣


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

天草の予言獣は、江戸時代の天保14年(1843年)6月15日の夜に肥後国天草郡龍亥村の山中に現れたという長い体毛の生えた3本足の予言獣で、これを目撃した柴田五郎左衛門という侍に「今年から5年間は豊作が続くが、日民は6割程度死ぬ。我が姿を紙に描いて見れば、災いを除いて長寿となるだろう」と言い残して去ったという。しかし、天草地方に「龍亥村」といった地名は無かったらしい。

疫病除天草神(「疫病除天草神霊画」)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

疫病除天草神は、江戸時代の天保14年(1843年)に筑紫の天草の山中に現れたという葉のような衣を纏った3本足の予言獣で「今年から3年の間 悪しき病が流行って四方の数多の人々が病に冒されて死ぬが、我が神像を描いて日々見ておけば、その難を逃れる」と言い残して去ったという。

アマビエ


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

アマビエは、江戸時代の弘化4年(1846年)の4月中旬に肥後国(現・熊本県)に現れた予言獣で「当年より6ヵ年は豊作となるが、もし病が流行ったら私の姿を写した絵を人々に見せよ」と言い残して去っていったという。



予言する人魚(藤岡屋日記)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

『藤岡屋日記』によれば、江戸時代の嘉永2年(1849年)4月中旬に越後国(現・新潟県)の福島潟という大沼に人魚が現れて「私はこの沼底に住む者である。この年から5ヶ年の間は諸国は豊作になるが、11月頃より流行病によって人口の6割が死ぬだろう。だが、私の姿を見た者 あるいは 私の姿を描いた絵図を伝え見た者は病難を免れるだろう。これを早々に世に知らしめよ」と言い残して去っていったという。

加賀国の双頭の烏(『暴瀉病流行日記』)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

加賀国の双頭の烏は、江戸時代の安政4年(1857年)12月に加賀国白山に現れたという2頭を持つカラスで「来年の8,9月頃に世の人々の9割が死ぬ難が起きるが、我が姿を朝夕に拝めば難を逃れることができる」と言い残して去ったという(翌年の1858年には日本で実際にコレラが流行し、江戸だけでも3万人が死亡している)。2020年の新型コロナウイルス流行時に山梨県立博物館の学芸員によってTwitterに投稿され、その際に「ヨゲンノトリ」と名付けられた。

光り物


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

光り物は、越後国福島潟に夜ごとに現れたという長髪で身体に鱗の生えた人のような妖怪で、女性の声で「当年より5年間は豊作となるが、悪風のために多くの人が死ぬ。難を逃れるには我が姿を描いて朝夕に見るべし」と言い残して去ったという。いつの事かは不明だが、木版画は江戸後期のものとされている。

天日子尊


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

天日子尊(あまひこのみこと)は、明治8年(1875年)の3月15日頃に新潟県湯沢町の田に現れた予言獣で「我は天日子(あまひこ)の尊(みこと)なり。今ここに出現した理由は、この村において これより7年間 凶作が続き、日に日に人口が減って今の半分になるだろう。予はこれを哀れんで諸人に知らせるべく現れた。これより、我の姿を写した絵を各家に貼り、朝夕 敬ひ祭れば、7年の災難を免がれるだろう」と言い残して去っていった。これより、村の人々は各家の軒先に天日子尊の絵札を貼ったという。

アリエ


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

アリエは、明治9年(1876年)に肥後国(現・熊本県)の青鳥郡の海に現れた予言獣で「我は海中に住むアリエという者である。人々に今後の吉凶を伝えようと思ってやって来たが、我が姿を見て皆 逃げてしまうのでなかなか話せなかった。だが、幸いにも貴方に声をかけられたので、我の知ることを話そう。この年から6ヶ年の間は豊作になるが、6月より疫病が流行り、コロリの如く広まって6割ばかりの人々が死に絶えるだろう。こそこで我の姿を写した絵を貼り置き、朝夕 目にすれば これを避けられる」と言い残して去っていったという。

海坊主(『安都満新聞』)


珍奇ノート:疫病を予言した日本の予言獣たち

海坊主は、明治12年(1879年)10月7日に上総国夷隅郡(現・千葉県勝浦市)の原浦にいた吉次郎をはじめとする9人の漁師の前に現れて「これからコレラという病が流行るので、私の絵姿を門に貼っておくように」と言い残したとされ、同月20日の『安都満新聞』に海坊主の目撃記事が掲載されたという。