首切れ馬 / 首無し馬【クビキレウマ / クビナシウマ】
珍奇ノート:首切れ馬(首無し馬) ― 頭部の無い馬の妖怪 ―

首切れ馬(首無し馬)とは、頭部のない馬の妖怪のこと。

日本各地に伝承があり、単体で現れたり、神や魔物の乗り物として現れるという。


基本情報


概要


首切れ馬は、日本各地に伝わる首の切れた馬の妖怪で、頭部が無いために首無し馬と呼ばれることもある。その伝承地は、四国や九州をはじめ 福島県・福井県・東京都・島根県 など多数ある。

この妖怪の伝承には様々なものがあり、単体の妖怪として語られることもあれば、神・亡霊・悪魔などの乗り物として語られることもあり、さらに馬の首だけで現れるという話も伝えられている。

多くの場合は、夜などの特定の時間に、生前に因縁のあった場所や縄筋や四辻などの特定の場所に現れて、目撃した者に祟りを為すとされている。しかし、逆に目撃すると縁起が良いとされることもある。

単体で現れる首切れ馬(首無し馬)
単体で現れる首切れ馬は、人の都合で殺された馬であるとされていることが多い。

例えば、徳島県の伝承では 寺に強盗に入った時に寺で飼われていた馬が騒がしく嘶いたので、強盗が首を斬り落として殺したところ、翌年から首無し馬が現れるようになって凶事が続いたという。

また、大分県の伝承では 戦国時代に島津氏が志賀氏の居城である岡城を攻めた時、戦場から志賀氏の馬が単独で帰ってきたので、城に居た奥方が戦場に武将を残して帰ってきたと思って その首を刎ねてしまった。それから、岡城に首無し馬が現れるようになったという。その後、この馬は武将の死を知らせようとして帰ってきたことが分かり、奥方は自分のしたことを悔いて床に臥せてしまい、遂には病で死んでしまったという。

上記の他に、出会うと福を得られるという話もある。

例えば、徳島県美馬郡の伝承では 節分の晩に現れる首切れ馬は干菜のようなものを引っ張っており、これに飛びつくと金持ちになれるといわれているらしい。

また、愛媛県今治市玉川町の伝承では 毎年2月4日の晩に縄目と呼ばれる土地に首の無い人が首無し馬に乗ってくるといわれており、この首無し馬を見ると、どんな人でも出世できるのだという。

乗り物としての首切れ馬(首無し馬)
乗り物としての首切れ馬は、古代や中世の戦で非業の死を遂げた人物を乗せて現れることが多い。

例えば、愛媛県松山市の伝承では 戦に敗れた有田児山城の武者が怨霊と化し、夜毎に首無し馬に乗って敵方の津吉城を攻めたといわれており、道を通る時に馬がシャンチキと音を立てたので、その首無し馬はシャンシャン馬あるいはチンチン馬と呼ばれて恐れられたという。

また、福井県の伝承では 毎年4月24日の夜に鎧兜を身に着けた白い武者が白い首無し馬に乗り、夜明けまで城下町を練り歩き、これと出会ったものは これを他言すると死んでしまうのだという。この白い武者は秀吉に滅ぼされた柴田勝家の家臣の亡霊であるといわれている。

上記の他に、神や魔物の乗り物として語られることもある。

例えば、徳島県の伝承では 節分・大晦日・庚申の日・夜行日の夜に現れる 夜行さん(やぎょうさん) という一つ目鬼は首切れ馬に乗って徘徊するといわれており、これを目撃すると投げられたり、蹴り殺されるという。

また、愛媛県の伝承では 毎月27日夜の子の刻に現れる 夜行の神(やぎょうのかみ)という神は烏帽子に狩衣といった姿で首のない白馬に跨っており、行き逢った者はたちまち熱病を煩って死ぬといわれている。

また、徳島県上板町の伝承では 深夜に首切れ馬を先頭に七人童子がするといわれており、これを見た者には禍が起こるといわれていたため、恐れた村人たちが地蔵を立てて供養したところ、出なくなったといわれている。

また、鹿児島県の伝承では 大晦日の夜にトシドンという年神が山の上に降り立ち、首切れ馬に乗って鈴を鳴らしながら家々を巡り、その年に悪さをした子供を懲らしめて、歳餅という餅を与えて去っていくといわれている。

データ


種 別 日本妖怪
資 料 日本各地の伝説
年 代 鎌倉時代~現代
備 考 夜行さんやトシドンなどの乗り物でもある